ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

禁忌?

2015-04-27 22:03:46 | 日記
ちょっと前、「宗教」という言葉は明治に輸入された"religion"に対する言葉として生まれたことを知った。

それ以前は何だったのか義理の父に聞いたら、
「それ以前は、八百万の神で、何でもかんでもありがたかったんだ。」

ガッテン!

じゃあ、日本人だろうがなんだろうが、クリスマスを楽しんでもいいし、仏教でなくても、彼岸参りしようがなんだろうが、構わないわけだ。

御嶽山が噴火してから、周りをよく見ると御嶽神社がいかに多いことに気づいたか。

山岳信仰かと思いきや、日本神話に出てくる国常立尊(くにのとこたち)が祀られているわけです。

日本の成り立ちとなる神が祀られている。

よく考えれば、日本神話によれば、日本はすべての神により成り立っている。

自然だって人だって。

だから何でもありがたいと祀って間違いではない。

葬式は仏教でも、初詣は神社でいい。

結婚式は教会式で、結納は日本式でもいい。

家を建てる前に、お祓いは神式でいい。

ハロウィンもクリスマスもバレンタインも、みんなめでたければそれでいい。

正月も旧正月も祝っていい。

仏教の宗派間の違いについて、目くじら立てて議論するより、「そういうのもありだよね。」と認めちゃえばいい。

ジャンボンてどうしてやるかわかんないけど、小銭撒くなら貰っとこう。

レノンが「想像してごらん 宗教がない世界を」って、かつての日本がそうだったわけじゃない?

「宗教が!」と言い出したから、意識するんであって、元々そんなものはなかったとすれば、カテゴライズするほうが変なのではないか?


私はお墓の前で 手を合わせています

だし、

お寺で除夜の鐘をついて、新年には、賽銭箱に小銭を投げて、
「今年もまた来ることができました。ありがたや。」

でも、全く問題ないと思っている。

生きてるだけで丸儲けなんだから、みんなありがたいことですよ。

おみくじ引いて一喜一憂できるのも、生きているからこそ。

本質を忘れて争っているのはどうかなと思う。

殆どの人はすべからく両親の性交のうえで生まれてるんだから。

ありがたや、ありがたや。
コメント
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