広告デザインやプロデュースなどを仕事にしていたため、特徴的な長所を際立たせて全面に押し出して、弱点を目立たなくするなんてことは、結構できることを知っている。
世相に関しても同様のことが言えて、スキャンダラスな事件を表面化することによって、その裏で起きている内部的な問題を隠していたり、あえてスキャンダラスに報道することにより、責任の所在をあるところに(恣意的に)焦点をあわせているなぁ、と思うときがある。
世相だけではなく、実はこれは集団や個人の中でも起こることであり、ショッキングな出来事はその集団の価値や個人の価値観を揺るがすことになるが、内的葛藤を経た上であるところに収束する。
原因と結果にある因果関係を決定づけるのだが、それが本質的に正しいか正しくないかは実はそんなに問題ではなく、自分が一番納得しやすい因果関係が結べれば、ある意味安定する。
それでも、前提条件が違えば同じ状況でも対処法が異なるし、なるべくなら事実の因果関係が正しい方が後々破綻しにくい。
私の身近な人に、一番ショッキングな因果関係を結ぶことを常とする人がいるが、これもあり得ることだといえども、後々破綻する。
嘘でもいいから、とにかく相手の意表を突く理由をとっさに言える。
それを言われた相手は一瞬ひるむ。
因果関係がうまく結べないからだ。
そしてその理由で通してしまう。
状況対処としては確かに切り抜けやすいが、後々問題となるのはそれが嘘だということ。
芸術というものに関して言うと、意表をついたデザインは確かに価値が存在する。
目を引くからだ。
ただ、その内容が嘘であると、それはまた誇大誇張広告や、嘘偽りの流布となる。
某国家首長がエキセントリックな発言をすると、諸外国や国際企業や株価、更には為替相場が変動したりする。
過激な発言により社会がどう反応するのかを観察している可能性が高いので、早急な将来予測で行動指針を変えない方がいい。
ともあれ、なるべく事実関係を正確に関係づけるのならばよいが、とっさの嘘で対応してしまった場合、後々さらなる嘘が必要になり、自らを窮地に追いやる。
そういう意味では、私としては、心霊現象も、UFOも、似非科学も、宗教もあってしかるべきなのだろうと思う。
真実の因果関係は、時として人にとってとても残酷な場合がある。
例えば、昔の煙突式ストーブが歌うという現象があった。
何十年もそれを聞き続けた人は、それは歌うストーブだと信じて疑わなかったとする。
ある日私がひょいと顔を出し、その話を聞いて、
「あ、それは鉄製の煙突がうまくAMラジオを拾って拡声しちゃうんですよ。最近はラジオも発達してradikoというアプリでネットでラジオを聞けるんですよ。ほら、この放送番組とおんなじ内容ですよ?」
私はもしかしたら殺されるかもしれない。
「歌うストーブ」がその人にとって真実ならば、別に科学による正確な因果関係は必要ない。
ある夏のニュース番組の中で、台風直撃の際によく流れる「傘がひっくり返るOL」の映像が流れた。
ふと疑問に思った。
傘がひるがえっている。スカートもめくれている。
傘よりも先にスカートを気にしたほうが良くないか?
その前に、なぜこの風の強い中スカートを履く必要があるんだろう?
生物学的性別(ジェンダー)と社会的性別(ジェンダー)がある。
台風のときぐらい、スカートを履くという社会的性別はなくして良くないか?
そういえば女子高生はなんで皆スカートを履いているんだ?
別にパンツ(長ズボンの方)でもよくないか?
寒いだろ?階段上がるとき後ろ手しなくてよかろう?
そんなにあなたの下着を率先して見たいとも思わんのだよ?
いやそもそもだ。スコットランドでバグパイプ吹いてる男もスカート(キルト)履いてる。
日本でおっさんが普通にスカート履いてたら、多分気持ち悪い。
いや、なぜ気持ち悪い?
女性性を象徴させる社会的性別のシンボルだからだろう?
女性は女性扱いされたいからスカートを履くのか?
ダイバーシティ(多様性を認める社会)と逆行してないか?
あたしゃ男であるし、今更トランスジェンダーする気もない。
問題はだ。生物学的性と社会的性がごっちゃになっていることじゃないか?
確かに看護師は女性の方がいいと思うし、女子トイレを掃除するのも男より女のほうがいいと思う。
そのへんは適材適所。
このあたりの因果関係は触れないほうがいいのかもしれないが、ダイバーシティをうたう世の中では必須の議論だと思ったりする。
この文書がスキャンダラスかどうかはわからないが、なんか違うところをみんなでつついてる気がしてならないんですよ。
世相に関しても同様のことが言えて、スキャンダラスな事件を表面化することによって、その裏で起きている内部的な問題を隠していたり、あえてスキャンダラスに報道することにより、責任の所在をあるところに(恣意的に)焦点をあわせているなぁ、と思うときがある。
世相だけではなく、実はこれは集団や個人の中でも起こることであり、ショッキングな出来事はその集団の価値や個人の価値観を揺るがすことになるが、内的葛藤を経た上であるところに収束する。
原因と結果にある因果関係を決定づけるのだが、それが本質的に正しいか正しくないかは実はそんなに問題ではなく、自分が一番納得しやすい因果関係が結べれば、ある意味安定する。
それでも、前提条件が違えば同じ状況でも対処法が異なるし、なるべくなら事実の因果関係が正しい方が後々破綻しにくい。
私の身近な人に、一番ショッキングな因果関係を結ぶことを常とする人がいるが、これもあり得ることだといえども、後々破綻する。
嘘でもいいから、とにかく相手の意表を突く理由をとっさに言える。
それを言われた相手は一瞬ひるむ。
因果関係がうまく結べないからだ。
そしてその理由で通してしまう。
状況対処としては確かに切り抜けやすいが、後々問題となるのはそれが嘘だということ。
芸術というものに関して言うと、意表をついたデザインは確かに価値が存在する。
目を引くからだ。
ただ、その内容が嘘であると、それはまた誇大誇張広告や、嘘偽りの流布となる。
某国家首長がエキセントリックな発言をすると、諸外国や国際企業や株価、更には為替相場が変動したりする。
過激な発言により社会がどう反応するのかを観察している可能性が高いので、早急な将来予測で行動指針を変えない方がいい。
ともあれ、なるべく事実関係を正確に関係づけるのならばよいが、とっさの嘘で対応してしまった場合、後々さらなる嘘が必要になり、自らを窮地に追いやる。
そういう意味では、私としては、心霊現象も、UFOも、似非科学も、宗教もあってしかるべきなのだろうと思う。
真実の因果関係は、時として人にとってとても残酷な場合がある。
例えば、昔の煙突式ストーブが歌うという現象があった。
何十年もそれを聞き続けた人は、それは歌うストーブだと信じて疑わなかったとする。
ある日私がひょいと顔を出し、その話を聞いて、
「あ、それは鉄製の煙突がうまくAMラジオを拾って拡声しちゃうんですよ。最近はラジオも発達してradikoというアプリでネットでラジオを聞けるんですよ。ほら、この放送番組とおんなじ内容ですよ?」
私はもしかしたら殺されるかもしれない。
「歌うストーブ」がその人にとって真実ならば、別に科学による正確な因果関係は必要ない。
ある夏のニュース番組の中で、台風直撃の際によく流れる「傘がひっくり返るOL」の映像が流れた。
ふと疑問に思った。
傘がひるがえっている。スカートもめくれている。
傘よりも先にスカートを気にしたほうが良くないか?
その前に、なぜこの風の強い中スカートを履く必要があるんだろう?
生物学的性別(ジェンダー)と社会的性別(ジェンダー)がある。
台風のときぐらい、スカートを履くという社会的性別はなくして良くないか?
そういえば女子高生はなんで皆スカートを履いているんだ?
別にパンツ(長ズボンの方)でもよくないか?
寒いだろ?階段上がるとき後ろ手しなくてよかろう?
そんなにあなたの下着を率先して見たいとも思わんのだよ?
いやそもそもだ。スコットランドでバグパイプ吹いてる男もスカート(キルト)履いてる。
日本でおっさんが普通にスカート履いてたら、多分気持ち悪い。
いや、なぜ気持ち悪い?
女性性を象徴させる社会的性別のシンボルだからだろう?
女性は女性扱いされたいからスカートを履くのか?
ダイバーシティ(多様性を認める社会)と逆行してないか?
あたしゃ男であるし、今更トランスジェンダーする気もない。
問題はだ。生物学的性と社会的性がごっちゃになっていることじゃないか?
確かに看護師は女性の方がいいと思うし、女子トイレを掃除するのも男より女のほうがいいと思う。
そのへんは適材適所。
このあたりの因果関係は触れないほうがいいのかもしれないが、ダイバーシティをうたう世の中では必須の議論だと思ったりする。
この文書がスキャンダラスかどうかはわからないが、なんか違うところをみんなでつついてる気がしてならないんですよ。