ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

カネの幻想

2017-07-29 19:39:58 | 日記
ある日、自分の中での定義を求められた。



子供
老人
大人
カネ

他の人はいろんな定義を持っていたが、私は

男→人
女→人
子供→人
老人→人
大人→人

とした。
当然笑われる。

カネの定義を話すとき、
「カネはあげるもの」
といったら、他のいい大人全員が、
「じゃあくれくれ」
と言い寄ってきた。

最悪だ。

あんたたちはどうやって生まれてきて、どうやって育ってきたんだい?
カネかい?

子供は働いてはいけない。
お小遣いをもらって、食事をもらって、安全に寝られる場所を提供されて生きてきている。

そうでない子供もいるが。

自分の子供に、
「カネのために育てた」
と言えるか?

それこそ壮大な家族間断裂を生むだろうよ。

最も政略結婚などという、馬鹿げた家族関係もある。

「お前はカネのために育てた」
と言われてみろ。最悪だ。

義務教育で「富の再分配」を教わっただろうに。忘れたのか?

収入のある人が収入のない人に富を再分配する。
それで社会は回っている。

商取引だって実はそうだ。

価値を期待して、カネをあげている。

それで「得した」「損した」と言うことはできる。実に簡単だ。

でも金で人生も人も心も買えない。
カネの価値がつかないものは、「宝」だ。

子宝、国宝、そいつを商取引の現場に出すことはそれだけで罪だ。

怪盗ルパンが盗むものはお宝。
ブラック・ジャックが助けるのは命。
ゴルゴ13が狙うのは命。

値段がつかないものに値段をつけると、悲劇を生むことを揶揄してる。

でも、とんでもない価値を残していくのも彼らの仕事だ。

ものづくりが仕事の私は、もので宝を作ろうと考える。究極の理想だ。

宝はゴミとなり、ゴミは宝となる。
それは持つ者によって違う。

価値のわかる人がそいつを必要としているんだったらあげたほうがいい。

水を欲している病人がいて、そこに適当な器がなければ、王冠ぐらいはあげていい。

価値なんてそんなもんだと思う。



なんて長いご高説を述べたところで、聞かないし意味がないので、

「あんたらはもう必要ない」

としか言えない。

そこに時間をさくのはひどくつまらないことだから。