昔、「稲盛和夫の実学」という本が流行りました。
買って読んでません。いわゆる積ん読。
実学というのは、人文系の法学や経済学を指します。
私が提唱するのは、「現実学」
人が導き出した物理法則は、現実の観測によって成り立っているのです。
艦砲射撃の際、距離を測定し、大砲の角度を決める。
その際必要なのは、重力加速度、火薬が与える砲弾の初速、そして空気抵抗。
今でさえ電卓を叩けば簡単に求まります。しかし建物全体を専有したコンピュータENIACはそれを計算するために生まれたのです。
ただし数学は、人が定義した数学という土俵の上に成り立っている、特殊で壮大な理論体系です。
「テレビを見ればすべてわかる」
「ネットで全部理解できる」
と思い込むのはものすごく危険なんです。
例えば、進んで行くことを推奨しませんが、あらゆる被災地の詳細情報は、テレビにもネットにも出ません。
個人の住宅の全半壊して家財ぐちゃぐちゃの家の中を、全国に放送できないのです。
仮に今現在のあなたの部屋の中や、冷蔵庫の中や、トイレや風呂に入っているその姿を全国ネットで放送されたらどうかを考えてみてください。
ありえないんです。
被災地に限らず、実際の場所では、見るもの、匂い、音、熱、温度、湿度、風、足場、すべてが想像と異なります。
「水深30cmで溺死」はありえない?
流速が毎秒5m
気温が氷点下で表面が氷結
底が滑って立ち上がれない
心身の疲労限界
などの複数要因があれば簡単なのです。
しかしその前提を知らずに、
「水深30cmで溺死」
「馬鹿じゃねぇの?」
と判断できるのも人なのです。
想像力欠如を招きやすいなと思うのは、
「降雨量100mm」
ご存知の通り、100mmは10cmです。
「コップ一杯10cm」
と聞くと大したことがないように思えます。
しかし、
「自分の家の床に水深10cm」
と言われたら相当嫌です。
雨量というのは、すべての場所に等しくその水が落ちてくるのです。
「体育館の床に水深10cm」
でもいいのです。
つまり、「面積に関係なく等しく10cm水が落ちてくる」となると、ただ事じゃありません。
同様に、
「降雨量150mm」は「水深15cm」
「降雨量300mm」は「水深30cm」
「降雨量500mm」は「水深50cm」
とイメージを変換すると、かなりまずいことがわかります。
ちなみにダムはダム湖の面積だけでなく、その上流の流れ込む山肌面積も含むと考えると、軽く降雨量の100倍を見積もっていいと思います。
「降雨量300mm」は「ダム貯水量30m(30000mm)以上増加」
相当危険です。
単純な数字から危険を感じ取るには、相当な現実の危険を体得していなければなりません。
残念ながら「現実学」に学歴は関係ありません。
「現実を見極めよう」とする人にしか「現実学」は体得できないのです。
どんなに高学歴でも、現実学を知らない人にはがっかりします。
頭の中が絵本のおとぎ話で止まっている感が半端なくて…。