人生に終わりがあるとは思えない。
あるとすれば諦めで。
芸術で、絵とか音楽とか、「完璧」はないんですよ。
その場その時、行き着いた結果が終了。
本当はもう、一からやり直したい。
それでも、時間とかお金とか、制限があるため終わりにする。
さらには、美術理論や音楽理論をしっかり学んでおかなければならないとも思う。
マンガなんか、ただひたすらに自分との闘いですよ。
社会背景、心理描写、芸術性、物語性、アングル、光源、テクスチャ、コマ割り、台詞回し、などなど。
突き詰めれば突き詰めるほど、終わりがない。
「本当にこんなレベルでいいのか?」
と自問自答をし続ける。
というか、自分に対するダメ出しの連続で、ひたすら消耗する。
宮崎駿さんの、「風の谷のナウシカ」を読むと、描画力もさることながら、社会背景や問題提起などとてつもなく奥深くて、どこまで考え抜いているのか検討もつかないほど。
児童文学をとことんまで追求したのか?それだけではないとは思うけれど。
本来、ものづくりもそういったものなんですが。
製造工程もさることながら、設計や試作研究も、突き詰めればきりがない。
それでもモノの開発には、納期や予算がきっちりと決まっていたりするので、諦めがつけやすい。
もちろん、完璧ではない。
見た目だけのモノに、サブミクロンオーダーの加工精度を与えられないのですよ。
コスト的に。
もっとも、スティーブ・ジョブスのアップル製品などは、人の触る部分にとてつもないコストをかけたりするのですが。
そこで本当の「技術者」は、他の人にわからないレベルで、自分のこだわりの品質を混ぜ込む。
そのわからないレベルのこだわりの積み重ねが、人の想像を超えた、「感動」になる。
そういったこだわりのある仕事をしたことがない人は、非常に不幸だとも思う。
「給料の良いSEになりたいから、プログラムを習う」
仕様通りのプログラムを指定納期までに作って納めるなんて地獄ですよ?
本来プログラムって、自分のやりたいことをコンピューターで早く精度良く実行させるのだけれど。
そのプログラムを、他人の言うとおり、期限内に作るって、相当気の狂う作業です。
自分で自分の作りたいゲームを作るためのプログラミングなら、めちゃくちゃ大変だけれど、めちゃくちゃおもしろいのですよ。
それは、芸術でも、ものづくりでも同じだと思う。
更に拡張すると、人生も。
他人に与えられた目的と目標で、指定時間に、指定場所で生きる。
とてつもなくつまらないことだと思いませんか?
それは家畜であり、社畜であり、国畜ですよ。
そのつまらない負の連鎖から抜け出したくてね。
めちゃくちゃしんどいのは知っていますよ?
自分で目的や目標を決めて、自分で学んで実行して確かめていく。
しかし、それをやらなければ、自分の人生ではないことも知ってしまったので。