「マズローの欲求段階説」というのがある。
自己実現理論ともいう。
理論では下位の欲求が満たされ、上位の欲求に移行する。
しかし、下位の生理的欲求がなくなったらそもそも生きられないので、その欲求そのものはなくならない。
食事も睡眠も息も、その欲求がなければ死んでしまう。
愛情は身も蓋もなく言えば性的欲求でもあり、集団維持のための欲求でもある。
生き物は基本的に子孫を成す本能がある。
植物でさえも生き残りをかけて繁殖を行う。
人の場合、若年期には性的欲求が強いけれど、子供を成したあとは育成の義務が発生する。
単純な性的欲求だけで生きることはできない。
育成のための金銭や家を確保して、家庭を維持する必要ができる。
いわゆる、「社会の現実」が待っている。
子供を保護して育てるのが親の義務となる。
女性は家庭を守り、男性は会社に勤めて定期的な収入を得るというのが、今の日本の家庭モデルでもある。
問題は子供が自立する段階で。
子供が精神的・経済的・社会的に自立するとなると、親もまた自立する必要ができてくる。
保守的な家庭環境のままでいられなくなり、また新たな目標を立てて生きていく必要がある。
だがしかし、欲求の強さは若いほど大きい。
若いほど欲求が強く、それが満たされないから大量のエネルギーを発揮できる。
性欲が満たされ、それが夢見るような愛情でもなく、現実的な社会生活であった。
生きる目標が生活の維持であり、新たなことに挑戦することではなかった。
そのように歳を取ってしまい、新たな欲求による抑えきれない衝動エネルギーは、実のところすでにない。
というか、その衝動を抑えることが求められる。
若いときのエネルギーは、満たされない欲求から発揮される。
その欲求は、未知であるからこそ夢を見ることもあるし、絶望になることもある。
恋愛に夢見たりすることもできる。
現実を経験してしまうと、そんな夢見ることでもなかったりするのだけれど。
欲求が満たされてしまって、次を目指さなくなる。
一つの解決手段としては、絶対に満たされない欲求を持つこと。
性的倒錯も一つの手段で。
絶対に満たされない欲求であるからこそ、エネルギーを維持できる。
まぁ、実際にそれを実行すれば、確実に人生が終わるようなことを妄想するのも、モチベーションの維持にはなる。
そんなエネルギーの爆発を日本では漫画やアニメが吸収できる。
「魔法少女にあこがれて」
を読んで、そのエネルギーがどうしてすごいのか考えると、絶対に満たされない欲求があるからなどとは思った。
同性間の恋愛が達成されても、永遠に終わりはない。
逆に言えば、だからこそずっと夢を見ることもできる。
この前提には、バイ・セクシャルやトランスジェンダーは含まないけれど。
そしてこれはこのブログを書くきっかけなのだけれど。
恋愛対象としては、アイドルを好きになるということもあるなぁ。
偶像を好きになれば、ほぼ満たされることはない。
というか、イコンである偶像と生活の価値観が合うとも思えない。
ドラゴンボールでも、宇宙戦艦ヤマトでもいいけれど。
人類に惑星を壊すエネルギーはないよなぁ。
その前にそのエネルギーで、自分や自分たちが死ぬ。
だからこそ憧れるということはあるのだろうなぁ。
大人になって、現実と呼ばれる、世間一般常識を見るようになると、なかなか想像できない世界でもある。
そうだとしても、大人がそのような夢想を行なってはいけないわけでもなく。
創作の中では、馬鹿げた物語は作れる。
MARVELやスターウォーズシリーズや、それらの空想物語に大人も熱中できるし、そういったものを作っているのもやっぱり大人だったりする。
それでもクスリを使ってトリップするのは違うとは思うけれど。
理性的に原理原則を積み重ねて実現できる夢はあるけれど。
外乱が多くて、なかなか到達できないのもそれだったりする。
音楽や絵画など、芸術にも終わりはない。
それを追いかけているうちは、欲求は永遠に満たされないだろうな。
若くいるというのはそういうことかもしれないなと。