かつての一国のリーダーのあっけない最後には、とある芸人が流行病によって急死したのと似たものを感じる。
特に生きているときの印象がしっかり残っている人の死が、他人の心に与えるインパクトは大きい。
死が誰にでも訪れることに恐怖する。
人の文化が失敗を糧にして成長するとなると、失敗しないように学習していくことになる。
あまり手先ばかり見て対策すると、長期的・将来的な矛盾が発生したりする。
だから、より本質的な問題を見つけて、そこに対策をしていく必要がある。
そもそも宗教と政治は密接に関係がある。
人の最大の不安は「死」なのだけれど、その不安に回答を与えるのが宗教と言える。
死後の世界は人類の捏造なのだけれど、ヨーロッパではキリスト教が、西暦の間人々を支配する階級にあった。
人類による想像上の神によって、人を支配していた。
そして政治は外交も行う。
国葬云々も、やる必要があるのですよ。
国内というよりも、国外の弔問対応が必要で。
それらの責任において、単独ででも国葬を執り行う必要がある。
それは現時点のリーダーの責任として、早急に決定しないとならない。
それができなければリーダーの資質が疑われることになる。
犯人の動機が必要になるのだけれど、大きなインパクトがあるため、動機が単純な私怨で済ませたくなくなる。
大きな政治的意味が動機として必要になってくる。
宗教問題や政治問題に絡めたくなってくる。
個人的には、昔、徹夜で帰ってきた翌朝、自宅前の誰も聞いてない状況で街宣車で演説を始めた選挙候補者には本気で腹が立って、
「徹夜で帰ってきて寝るところでそれはやめてくれ」
と文句を言ったことはある。
8割ぐらいは、生卵を持ってぶつけてやろうかとも思っていたけれど、幸か不幸か、冷蔵庫に生卵がなかった。
国の将来、人々の人生、いろんなものを政治は変える。
理性以外にも、ほとんど理性的な考えがない感情論も大きく働く。
日本で起こる報道や議論や対応を見ていると、政治は輸入されたおもちゃなんだと思う。
日本では、武器として、使いこなしているとは思えない。
自分の人生も、他人の人生も、大きく変えることに大きな抵抗が生まれるのが日本。
日本以外でもあるか現状維持?
いろんな思惑があるなと思って、日本の世の中を見ている。