年収が低い男性と年収が高い女性は生涯未婚率が高いそうです。
単純に年収と結婚を結びつければそうなるわけですが、個人的にはその背景となる、思考文化の変化も考えたほうがいいと思っています。
自分の幼少期は、親は離婚していたし、成人前に親の経済的庇護から離れる必要があった。
振り返ってそれが不幸かと思っていたか?といえば、そんなに不幸だとも思っていなかったのです。
親の価値観という、成長制限があると思っていて。
親の価値観を完全に超える努力は制限されるわけです。
アスリートではない親からすれば、自分の膝を壊してでも、記録の限界に挑もうとする子供は、特に女性であれば一生の傷になる。
足を壊した女性の結婚価値は落ちると考える。
やめさせるわけです。そのような努力は。
仮に、ピアノ演奏のプロが親だとすれば、指を壊してでも練習することを止めはしない。
指を壊して、それを治して、その先にある理想を求めることを知っているから。
指の故障を放っておいて、治す方法だけ教えるなどとは、児童虐待やネグレクトもいいところだという評価も受ける必要があると思う。
私はそのような価値基準による努力の制限を受ける必要がなかった。
親による庇護がなかったので、自分が努力して限界を超えない限り生きることが難しいことは、周囲の人間にもわかりやすかったこともある。
だから、自由に物事に集中できた。
いま自分が結婚していなかったり、未だに子供をもうけていないし、これからもそれらを求める気がないのは、自分の自由を縛られたくないし、子供やパートナーの自由を奪いたくないと考えているからだと思う。
実体験として、子供は自由にやらせて、自立させて、独立させたほうがいいと思っている。
親のために、親の介護のために、学んだり収入を得るような人生をさせたくない。
それじゃ子供は何も極められない。
ところが子供を庇護して育てる必要もある。
しかし庇護され続けると、困難を自ら解決する能力も知識も技能も身につかないことになり、結局不幸な人生を送ることになると考えている。
自分は結局その最適解を得ることができず、結婚も子作りもできないという状態だと思っている。
冒頭の高収入の女性が結婚しない理由も、そういった養育教育の背景も考える必要があると考えている。
自分が結婚しないのはそれだけじゃないだろうとは、突っ込まれるまでもなく思っているけれど。
そんなわけで、性欲はあるけれど、子供は作らないし結婚もしないという、現在日本文化では、いわゆるダメな大人の部類に入る生活を続けています。