感情が行動の源泉となり、理性はそれを実現するための道具。
理性的に考えれば、合理的な生産性のある矛盾のない冷静な結論を導けるのですが、世の中の半分以上は、一時的な感情で判断する非合理的な判断によって、実行される。
Twitterもそうだし、ワイドショーも似たようなもの。
赤信号を突っ切って車の前に飛び出す自転車などは、非合理性の塊で、非生産性の極地の自殺行為でもあるわけですが、何も考えなければそれは実行される。
人がそのようになることも知っているわけで。
冬の極寒の中、バイクで移動して朦朧とした意識の中銭湯に行き、脱衣所で荷物を下ろそうとしたときに、
「ここは女性用ですよ」
と指摘されたことがある。
そのくらい簡単に人の判断能力がなくなることも知っているわけです。
休んだり、冷静になって、別視点から自分や物事を観察できることは重要ですよ。
人が怒るのは、危機に対する防御反応なのですが、怒りを無くそうとする社会風潮が情報操作である可能性も捨てきれないわけです。
私が小学生時代、朝のニュースでは国鉄のストライキで電車がストップなんてよくあった。
会社にも学校にも行かなくていいのだから、喜ぶべき事柄でもある。
ストライキは、労働者の権利を主張するために保障された権利ですよ。
ところが最近は全く行われない。
労働組合の劣化とも言われる。
公共交通輸送機関やライフラインの停止を伴うストライキに対して、内閣総理大臣が停止させることができる法律もあるわけですが。
何が正しく、何が間違っているか判断するのは、結局のところ自分自身です。
物事の原点を学ぶことは楽ではないですが、偽の情報に騙されずに本質を掴むためには、学ばないとなりません。
そうしなければ、結局周りに流されて、自分の本意と全く逆の行為を実行して生きることになりますよ。
高い壺も、信じる人にとってはご利益があるんです。