技術開発にはコストがかかる。
集中して費用と時間をかけて深堀りする必要がある。
そうしないと、新たな知見や成果が出ない。
深入りすればするほど視野狭窄になり、セクショナリズムが進む。
反対に、経営判断にはコストがかかりにくい。
たくさんの情報を集めて、費用をかけずに即断即決していく必要がある。
あまり深入りはしないで視野を広く持ち、社会を広く知って、組織全体を見て多くの人とコミュニケーションする必要がある。
技術開発と経済的経営は特性が逆だと思う。
なかなか分かりあえない。
理系と文系の違いとも言える。
私はどちらもやる必要があるし、やってきたわけだけれど、経営的な判断は単純に好きではない。
ただ、どちらか片方だけでは長期的な仕事にならない。
技術開発だけに専念すると、財務基盤の経営体力がなくなる。
市場から求められる商品開発ができなくなる。
全体戦略として間違った方向に向かっていても気付けない。
経営だけに専念すると、現場技術がわからなくなり、原理原則に反した仕事を行ってしまう。
どちらも企業として長続きしないことになる。
厚生労働省の職業の種類は4000種を超えている。
一人の人間が一生のうちにそれらすべてを体験することは不可能だ。
一日一業種を経験することができるかもしれないけれど、一日ですべての仕事の習熟はできない。
仕事の習熟や熟練には、数年レベルの業務経験が必要になる。
文系と理系の考え方は違う。
両方できる人は少ない。
本田宗一郎と藤沢武夫のコンビは絶妙だった。
技術の深堀りが必要だったから、本田技術研究所を作ったと言われている。
そして技術者を社長にして、経済屋は社長にならないとした。
世の中全ての会社はそうではない。
尤も、現在の本田技術研究所は技術屋が社長であるとしても、文系の政治家的考え方のほうが優勢になりつつある。
トヨタに追いつけ追い越せとなると、政治的判断を主体に据えて判断する必要がある。
しかし、政治的判断は技術屋とは特性が逆なので、一朝一夕に身につくものではない。
深い世界の歴史や文化、政治経済の成り立ち、民族の変遷、経済学の成り立ちの学習、営業感覚的曖昧かつ矛盾した即断、人を経済的道具として考える、戦略的裏切り等、技術屋があまり好きではない、知識を身につけ、思考方法をする必要がある。
それらは技術屋が「愚か」と判断する内容である。
同様に技術に視野狭窄になり、騙されて人にいいように使われる正直な技術屋も、狡猾な経営としては「愚か」な存在になる。
特性の壁はかなりあるのだ。