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ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

悟れない

2020-02-11 07:31:58 | Social
世のすべてを理解して、全てに結論するなんてできないという、悟れないという悟り。

世の中の動きや人の考え方、組織の変化など、ある程度予測して変えることはできる。

それでも逃げ水や虹を捉えるように、近づけば逃げてしまうよう。精度を高めるほど。

物理やものづくりは専門なので、案外人よりそれなりのものを作ることはできるけれど、本当に良いものを作ろうと思うとなかなかできない。


他人の痛みすべてを理解することはできない。

何度も死ねるわけではないので。

しかし他人の痛みがわからないと、本当に人が求めることも理解できない。


怒られたことがないとか、苦労したことがないというのは、それはそれで幸せなことだと思うけれど、人を理解する貴重な学習の機会がなかった不幸とも言える。


ニートであるというのも、働かないで暮らせるという幸せを享受し続けられる、いわば桃源郷や天国のような境遇だけど、実際当人は死ぬほど苦しい。

どこかに就職して何やっているのかわからないけれど、忙しく働いている方が、暗い将来に悲観し続ける毎日よりマシだったりする。

自分が劣化していくことを実感するのは、毎日なにかを成し遂げる成長より、死にたくはなる。

しかし、従順に働いて、人としての限界を超えて病気や障害を負うのも本末転倒で。

生きるために働くのでね。
死ぬために働いちゃいけない。


働き方改革や36協定という仕組みは、過重労働を防ぐ役割があるけれど、能動的主体的に働くという意思も削ぐ。

これに慣れると、会社の経営に責任を持つ代表取締役にはなりにくい。

逆に組織を変革するような思考や行動力があれば、サラリーマンには向かない。

人の下で働けないし、上司もコントロールできない。

生涯雇用に向いてない。


完全に完璧はない。

悟れないという悟り。


究極にはバランスをとって落ち着くところがあるのだろう。

仏教的な中道がそれかどうかはわからないけれど、とても高度な水準のバランスでね。

そこに至るまでの紆余曲折が途方もない積み重ねのバランスです。

ジェンガというよりスカイツリーや高層ビルをどう作るかぐらい。

イメージの話。

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