経済学の基本として、分業化をすることが効率追求になる。
メーカーであれば、製造部、営業部、企画部、経理部など、専門分野を分けてそれぞれのスペシャリストによる業務を負担すれば、経営効率化する。
専門職分業化を行うと、反面セクショナリズムが発生する。
官僚のセクショナリズムが有名だが、組織の中の利益に固執して、他の組織に無関心になるということは、よく起こっている。
自国だけ良くて、隣国の都合など顧みないなどは実際社会でも起こっている。
技術部門の都合だけ考えて、経理や営業や製造部の都合など考えないなども、メーカーでよく発生している。
最終的に、製造工場やお客の都合さえ考えなくなり、当然のごとく、ものが造れず売れなくなり衰退する。
今の日本がまさしくこの状態である。
昨今では現場の仕事を派遣や請負のアウトソーシングサービス(外注)に頼る形が当然化している。
もちろんここでもセクショナリズムが働く。
派遣や請負は現場仕事を続けようと専業化する。物事の言語化やプレゼンテーション能力を鍛えられることもなく、日々現場の実験や製造や測定を続ける。問題があっても報告できないし、報告しても理解されない。
正社員はマネジメントに忙殺されるとともに、現場を経験することがなくなるため、現場の問題を、認識も理解もできない。
従って、問題は放置され、会社としての不祥事になるまで気づかれることもない。
昨今の自動車品質検査問題の根本原因はここにある。
実際上の問題として、日々発生する問題を潰すことができず、無為に時間とコストがかかり続け、開発期間と費用が無尽蔵に浪費されていく。
分業・専業化に伴う、排他主義(セクショナリズム)化が加速する。
「自部署はしっかりやるべきことをやっている。できていないのは他の部署のせい」
つまり、
「自分は与えられた仕事をやっている。それ以外のことは全く関係ない」
という考え方が当然となる。
専業化はより集中化する。
狭い分野を深堀りし続けるほうが面白いし評価される。
より他部門や他分野に無関心になる。
自分の責任範囲は、より狭まっていく。
しかし、雇用の継続という観点においては継続し続ける。とはいえ収益の悪化は防げないため、近々その企業は衰退することになる。
現代日本の大企業病の基本原因である。
個人的にセクショナリズムの壁はぶち壊すべきだと思っている。
だから他分野多業務への関心を失わずに、積極的に進出する。
当然セクショナリズムを持っている部署や人間はいるのだから、それにも十分注意を払う。
引き込んできたり懐柔してきたりは、当然される。
ものを作るのであれば、製造、設備、人事、経理、経営、労務、営業、仕入、搬入出、安全衛生、計画、広報、医療などすべての知識技術が必要になる。
セクショナリズムの壁を乗り越えられる人間でない限り、その責任者は務まらない。
内向と外向の両方が必要になる。
外向だけでは成り立たない。
内向化して深堀りしなければ、わからないことやできない事がたくさんあるからだ。
複雑な理論構築やデータ分析が、数分のうちに終わるわけがない。
それはプレゼンの時間であって、論文発表時間と研究期間の長さを勘違いしている。
大学で卒業研究や大学院研究をやっている人間ならわかるが、研究内容の濃さと検討期間の長さが、わかりやすい論文へと直結する。
発表や売り込みが上手な人がいるが、その人が研究内容を深堀りできているかどうかは別問題ではある。
物事の深堀りと、営業的セールストークとは別分野なのだ。
だから、内向と外向のシーンは分ける必要がある。
かと言って、セクショナリズムを推奨するわけではない。
その内向きと外向きの両方が協力しない限り、物事は破綻するし、発展しない。
片側だけが有力で片側が従属ではない。
お互いに尊重し、悪いところは悪いと言える厳しさを備えない限り、発展しない。
無論これは技術と営業だけではなく、人事、労務、経理、企画、外交、宣伝すべての分野に跨がる課題だ。
得てして、経営だけ上手なら、一般労働者の労働環境は劣悪でも構わないと考える経営者がいるが、当然のごとく衰退する。
日本は強者に従属する国民性があるが、政治家も助長すれば失脚させられる。
逆もしかりではあるが、一般大衆は立場の弱さから、死ぬ可能性が高い。当然それを避けて意見や怒りを発する権利はある。
なんでもやったほうが面白いと思うけど。