アブラハム・マズローによる、
が提唱されている。
生きるために必要な欲求は満たさなくてはならない。
食事とか睡眠とか。
ところが経済活動や組織活動の目的のために、最低限の生きるための欲求を我慢して突き進んでしまう。
そして最終的に自らと自らの組織を破滅させてしまう。
・目先の利益を追求してマスクなどの防護用品を買い占めて転売
医療機関や、もとより病気を持っていたり、病気を発症している人に必要な防護用具が供給されない。
これによって社会も自らも感染症や病気の重篤化による死亡の危険が高まる。
生命の危機と就労収入確保の困難さを感じ、目先の収益を求めているとも思える。
自分の墓穴を自分で深く掘り続けている行為でもあるのだけれど、気づけない。
・報告書の虚偽記載で自殺
財務省の文書隠し。
正確な報告書を作成し続けたが、上司の判断により訂正される。
罪の意識に耐えきれず自殺。
働くのは生きるためであって、自らを否定するような仕事なら一日でも早く辞めていいと私は思う。
上司の判断が問題となっているけれど、そもそもの大嘘の隠蔽をし続けている人のせいで、報告書の事実と言質が一致しない。
自らの社会的ステータスの維持とか現在進行中の計画実行の維持とか、様々な要因があるけれど、隠蔽工作は発生する。
一時的な体面の維持であり、さらなる嘘を嘘で維持すればいずれ大きな破綻をきたし、大きな犯罪となる。
正確に記録して正確に報告することによって、正確な問題解決、更には学習し事前対処ができる。
本来的には真面目が一番良い。
自己実現理論は階層的になっているけれど、上位の欲求が満たされれば下位の欲求は満たされなくても良いわけではない。
食事も睡眠も排泄も満足にできなければ、上位のどんなに高度な自己実現欲求も満たされずに死んでしまう。
かと言って短絡的に下位の欲求を満たすことは、社会的な破滅をもたらす。
精神的成長と経験に伴い、上位の欲求を満たすために、ある程度の下位の欲求を我慢することができる。
相反する欲求の優先順位や時間的順番を並び替えることによって、計画的に全欲求を満たすことは可能になる。
上位の欲求の目標はいくらでも変えることができるので、不具合があれば目的目標を変えることもできる。
しかしながらどこか一箇所爆発的に長ければいいというわけでもないので、全体的に凡庸だけれどちょっとずつ良い感じに最適化される。
普通なんだけれどなんだかすごい。
仏教的「中道」はこのことを言っているのかも。
生き物は生き残るために生きるわけで、基本的欲求は性本能も含めて与えられている。
しかし目先の利益を追求して社会も自らも自滅に追い込んでしまう。
「これは何かおかしいぞ?」
と思ったら、いつでも危険回避のためにブレーキを踏んでハンドルを切るのが社会人として求められるモラルと操縦技術なのだけど、大抵アクセル踏みっぱなしで赤信号を無視して突っ走ってしまう。
止まってもいいんですよ?
曲がってもいい。
結局は自分の人生は自分で責任を取らなくてはいけない。
他人に合わせるより思い切って今の環境そのものをやめる。
それは自由だと思いますよ。
手放す勇気で新しい価値を手に入れる。
同じことを維持し続けるというのは、変わり続ける環境に対して常にやり方を変えて対応し続けるという、非常に困難な作業なんです。
最終的目標が一致しなければ、続けなくても良いと思う。
流されずにしっかり感じ考えて自分の責任で生きる。
後悔なく生きて死ぬためにそう考えてはいる。