ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

失敗稼業

2019-03-13 20:31:16 | Office
基本、初めてやることは失敗します。

他の人が失敗するのを敢えて止めようとしなくなりました。

多少の基礎は教えますが、失敗という貴重な経験をする機会を奪うのはいかがなものか?という価値観に変わってきていましてですね。

自分自身も、物事の解決手法全てを知っているわけではないので。

その人に合った解決手法があると思うんです。

それは当人がジックリと考える必要があると思うんです。

分数の割り算はどうして分母と分子を逆にするのかぐらい。


「ツッコまれ慣れる」
ということもあってですね。

失敗がコミュニケーション手段になる場合もあるんです。

漫才のボケとツッコミの様にですね、ひたすらボケ続け、ひたすら怒ってツッコミ続けるという。

それはもう相手にしないが吉なんですが。


それを踏まえて。

失敗が仕事というのもありますね。

週刊誌とかワイドショーとか。

他人の失敗を分析するわけです。

なんですかね。その人と同じようにならないためでしょうか?

でもそれらの人生の失敗的な事件に対する論評も存在するし、それに対する需要もあるわけです。

一つは「どうしてそんなことをするのかわからない」といった問題に解を得たいがためだろうし、同じようにその問題を知人と論じたいためだとも思います。


「その人の失敗や問題は、その人にしか解決できない」

という、自立や自律のプロセスがそもそも抜けていて、「一般教養レベルで解決できる」と思っちゃうと、週刊誌レベルになっちゃうのかなとも思います。


「失敗が仕事」は他にもあって、自動車のリコールは仕事になりますね。

自動車会社の責任で問題を改修するわけですが、結構現場は忙しくもあり、潤います。


「他人の不幸は蜜の味」
はある意味当たっていて、他人の不幸で仕事ができる場合もあるのでしょうね。

ただ人としては、他人の不幸を喜ぶような人間にはなりたくないとは思います。


「失敗するほどいろいろやったんだね。偉いなぁ」
と褒められるぐらいの気品はあっても良いかと。

単純な事務手続きを間違えられて、自分が窮地に追い込まれる場合は、流石に怒りますけれど。
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