坐禅の効果を、言葉にして表そうとすると、本当に言葉にしていいのか迷います。
こんなイメージですよ。としか言えない。
人によっては、更に深い思考を得る場合もあるだろうし。
坐禅とは、一休さんがトンチを考えるときや、寺の修行とか、そんなイメージがあると思います。
修行?警策(きょうさく)で叩かれるんでしょ?
警策は別に必要ではありません。あればあったで役には立つのですが。
私は坐禅を頭の中の整理に使います。
自分の色んな感情や、いろんな状況、色んな人の言葉、色んな人の感情、社会文化の歴史、自分や他人の失敗、感覚、体の病気の痛み、やらなきゃならないこと、仕事、お金、などなど。
色んな情報が同時にやってきて、どうすればいいのかわからなくなるときがあります。
なんだかぐちゃぐちゃでよくわからない。
それを整理したいときに坐禅をします。
今日イメージしたのは、かるたの取札。
適当にかるたの取札を広げている状態で、読み札に対してすぐに取ることができません。
取札を上下しっかりと揃えて並べて、五十音順に並べ替えて、更に読み札を参考に取札の横に置く。
そこに、その読み札を書いた人や場所や歴史など、わかりやすく追加していく。
関係する札をグループ化したり、線を繋げて関係性を示す。
そこまですれば、読み札が読まれた瞬間、迷わずに取札を取れます。
ズルじゃない?
かるたというルール上ではズルですが、人が生きる悩みを解決する上では、ズルいというより非常に効果がある方法です。
なにか悩んでるなぁ、頭の中がゴチャゴチャしているなぁと思ったときに、20分、30分だけでも坐禅をすると、やること、やれることの順番ができて行動できます。
何千年も前に、こういった手法を見出した人はすごいなぁと思います。