ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

必要とされる人

2020-03-22 10:21:46 | 日記
小学生5年の時親が離婚した。

母親に妹二人がついていく形で私はどうするかと尋ねられ、一人父親に付くことにした。

父親はアルコール中毒だった。

後になり、母親があまりにも直情的で論理性などないことが父親のアルコール中毒を深くしていたと結論する。

漠然とではあったが、10歳そこそこでそのような雰囲気を感じていたのかもしれない。


父親のアルコール依存は変わらず、高校になり反抗期を迎えると、体力的に父親を上回った。

自ら児童相談所などに連絡し、親戚の援助によって福祉家庭で過ごすことに。


学費生活費は父親の兄妹、伯父叔母祖父が分担して出してくれた。

伯父叔母からは、
「私達に返そうと思うなよ」
と言われたが、大学2年で父親が仕事中に死に、保険金が降りてそれまでの支援金とそれからの学費が得られ、返してしまった。

伯父叔母は、
「私達に返すんじゃなく、社会に返しなさい」
と言う意味を述べていたと思い、高校大学社会人と私の目標は、
「必要とされる人になること」
だった。

そのための技能も知識も十分以上に得てしまったのだけれど、一つ私は理解していなかったのは、

善悪の判断がつかずに問題に突き当たる人は他人の力を欲し、
善悪の判断がつく人ほど、困難な問題は自分で解決するし、別の課題を与えて成長させる。


必要としてほしい人ほど需要がない。

結局は、
「自分で課題を見つけて自立しなさいよ」
ということになってしまう。

祖父はそのことをよく知っていたと思われる。


善悪も自分で判断して、自分で行動する

今現在の私のテーマはそこで、体制に組み込まれないという判断は、すでに成人前に済ませている。


立場が上だから責任を持って正しい判断ができる、というのはまずないですね。

行動の結果の責任の重さを知っている人ほど他人への仕事の依頼は慎重になるし、最終的な判断は現場で熟考を重ね実行する人に委ねる。その判断をする勇気もある。

そして判断の見返りは得ない。
成果も自分のものにしない。
実際に自分の成果ではないから。


そんなことも考えながら、今日という日を積極的に迎えよう。
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