satineko日記

猫が好き、花が好き、2015年カワセミを見てから野鳥も好きになりました。

先週の診察の付き添い

2017年05月23日 | 認知症の兄
今日も30℃さいたま市は真夏日です。

5月17日(水)先週は4週ごとの診察日で病院の付き添いでした。
朝から出かけてお昼には着いたので駅でお弁当を2つ買って持って行き昼食は兄とお弁当を食べました。
午後の診察は3時からですが2時過ぎにタクシーを頼んで2時半まえに病院に着きました。
受付をして3時前にはレントゲンを撮って診察は3時10分でした。
認知症の薬は前回と同じで4週分、膝の骨折はもう少しで完治のようですが、先生に押されるとまだ痛みが残っていて
次回もレントゲンを撮る事になりました。
会計で待たされて薬局で待たされて、帰ってきたのは4時過ぎになっていました。
夕食が澄んで、お風呂が自分では沸かせなくなっているので「先に入れ。」と私がお風呂に入った後でお風呂に入りました。
「自分で出来るから。」というのですが教えてもすぐに忘れてしまいます。

5月18日(木)朝は駅前の喫茶店にモーニングに行きました。
400m位の距離ですが、杖を突いて途中で休みながら行くので30分近くかかります。
それでも朝からモーニングに行くようになったのは進歩です。



木曜日の午後はヘルパーさんが来て下さる日なので午前中に自転車で兄の食品の買い出しに行きました。
冷蔵庫は相変わらず賞味期限切れの食品が沢山入っていたので処分したので当分は買い物に行かなくても済むように見繕って
レトルト、インスタント、冷凍食品等も買って冷蔵庫に入れましたが電子レンジを何度も説明しても使えるかは判りません。
1時からヘルパーさんが来てお掃除をして帰る前には色々とお話もしたら、やはり食品の事はヘルパーさんも心配してました。

今回は兄の介護認定が要支援1に決定されたので、2時からはケアマネージャーさんとヘルパーのチーフが今後の対応について
相談に来て下さいました。
本人も交えて相談して、今後は週1回のヘルパーさんのほかに週1回はホームのデイサービスも受けられるように手配をしてくださる事になりました。
初めはデイサービスは完全拒否でしたが、行ってみる気持ちになってくれたのは勧めて下さったケアマネージャーさんのお蔭です。
一度体験をしてから正式決定になるからと5月25日(木)に姉夫婦が付き添う事になりました。

今回は落ち着いてきたようで「財布が無い。」を言わなくなったので1泊で帰ってきました。
疲れて帰って来たら夫が風邪で寝込んでいて元気が出ません。







2日いなかった間に庭の花はピンクのビロード草が咲き出して華やかになりました。



母の日にいつも心遣いをしてくださるYさんから今年もアジサイを頂きました。有難うございます。

いや~疲れました。

2017年05月09日 | 認知症の兄
4月27日(木)~5月4日(木)7泊8日で兄の介護に行って来ました。
3月29日から4月5日に行って退院してからの介護の手配やその他決めてきたので4月は姉が病院の付き添いをしてくれて
5月の病院の付き添いまでは行く予定にはしてなかったのですが、急遽出かけなければならなくなり一人で行って来ました。

認知症の介護では「宇宙人」と付き合うようだと聞いたことはありましたが、正気のように話していても5分後には
話したことも聞いたことも全く覚えていない、新しい事は記憶に残らないのです。
興味のある事だけには固執するので間違いを正そうと、何度も言っていると「うるさい!!」と怒鳴るので話が出来なくなります。

「財布が無い、お金が無い、預金通帳が無い、印鑑が無い、鍵が無い、」毎日同じことが何度も起きます。
同じ所に置くように言ってもどこかに置き忘れて妹でも信用が出来なくなってしまいます。

1か月近くの入院生活で認知症が進んでしまったので一人で生活するにはヘルパーさんにお手伝いをしていただくことになったのですが
「知らない人には部屋に入って欲しくない。」「今までやってきた事だから何でも出来る。」と週2回で入って頂いていたヘルパーさんを
居留守を使って帰してしまい、ケアマネージャーさんが「せめて1回でもヘルパーさんに入って頂かないと一人で暮らすのは無理でしょう。」
と連絡を下さったのでヘルパーさんの着て下さる日に出かけたわけです。
ケアマネージャーさんも心配して見に来て下さいましたが、ドアホンの音がしないのに気が付きました。
中でテレビを見ていると家の中の電話やドアホーンのボリュウムが下げられていて人が来ているのに気が付かなかったのも原因だったようです。

どうも親しくしていた方が家の中をいじって悪さをしたらしいのですが、兄も気が付いてなく話しても理解が出来ないようです。
親切だと信じているので何をされても判っていなかったようです。

昔話をしながら聞き出すと、覚えているのは20年以上前の事は比較的覚えていますが、その後の事は忘れていることが多く
妻や息子の死因さえ記憶にはありませんでした。

目も白内障が進んでいて手術を勧めても頑固に拒否していましたが1週間いて昔話をしながら何とか眼科に行き医師から説明して頂き
白内障の手術を受けることを納得しました。
手術で目が良くなれば、書いたものが読めるようになり少しは暮らしやすくなるでしょう。

いる間にヘルパーさんには2度来て頂きお話も出来たし兄も少し落ち着いたので帰って来ましたが、まだまだ心配な毎日です。

今回は一人で行ったので帰って来て家の事も心配でしたが、夫が家事も猫の世話もしてくれていたので感謝です。













優ちゃん、お父さんとお留守番頑張ったね。


兄が認知症になりました。

2017年04月08日 | 認知症の兄
7泊8日の帰郷でした。往きは良い天気で富士山も綺麗でした。



骨折で3月3日から入院していた兄の退院と認知症が進んでいるので
担当の先生から病状と介護認定の申請についての説明を伺って着いた当日に退院しました。

翌日からは介護の手続きと合間を見ての掃除でした。
1か月近くの入院だったので冷蔵庫の食品もすべて廃棄、臭いの籠った庫内の掃除、キッチンにあった調味料や食品も期限切れ
の物をまとめてのゴミ出し、夫が手伝ってくれましたが当人は全く関心がありません。

3月30日、介護施設で相談を受けて下さったケアマネジャーさんがとても親切な方だったのは幸運で相談した翌日に兄宅に様子を見に来て
下さいました。
独り暮らしでは申請から許可がありるまでも待てないだろうからと、許可が下りる前から「ヘルパーさんの手配をしましょう。
許可がおりない時は自費になりますが。」とヘルパーさんのチーフと連絡を取って2日後に来て頂き入る日を決めて下さいました。

長年気になっていた市営霊園のお墓も兄が判るうちに、お墓じまいをすることにして菩提寺のご住職さんに相談して石材店のご紹介をしていただきました。
こちらも、上手く連絡が付いて翌日お墓を見て頂き次回の病院の付き添いまでに作業をしてくださることになりました。
お骨はすでに京都の東本願寺に収めてあるので、立ち合いも必要がないから作業の写真を持って市役所の手続きだけで済む事になりました。

さて帰って来てからの兄ですが、「財布がない、預金通帳が無い。印鑑が無い。」認知症では良く聞く話ですが1日に何回も繰り返されると
その都度大騒ぎです。
予防としている間は私が預かる事にしましたが、それでも忘れて何度も同じことを言い出しました。

「エアコンが壊れた!電機屋に連れて行って!」古いエアコンでも兄は修理をしたかったようですが量販店に行きエアコンの手配をして
こちらも幸いにも在庫があって1日に買って4日に工事が出来ました。
工事に来られた方が「今の時期は移動需要で売れているので待たずに工事が出来たのはラッキーでしたね。」と言われました。

5日に帰る翌日からヘルパーさんが来て下さるので判りやすいように戸棚の中も部屋もワゴンや椅子、小物ではスリッパ等も買って準備して
帰って来ました。

ヘルパーさんが手伝ってくれるのを嫌がっていた兄ですが、翌日の様子では大丈夫そうで少しホッとしました。
でも相変わらず、「○○が無い、何処にあるのか?」と電話がかかって来ます。
掃除をして整理したのが自分流になっていないのが不満なのでしょう。
「ホームに入らずに暮らしたい。」との本人の希望が出来るだけ長くかなえられると良いのですが、先のことは予想が付きません。
いつか自分たち夫婦にも認知症を発症する日がくるかもと記録に残す事にしました。

今回は帰って来ても何もする気になれませんでしたが、明日は満開の桜でも見て気分転換をしたいと思います。
優もお友達のお蔭で元気でした。可愛がっていただき有難うございました。







畑の絹さやも白い花が咲き始めました。