昨日は「阪神大震災から15年目」の追悼の日。私はこの年を忘れないと思う。
TVの映像から流れてくる震災の爪痕に驚愕し、心が痛んだ。こんなことが起りえるのかと。こんなことがあっていいの?と。もし、こんなことが今、ここで起ったら、私はこの幼い3人を連れて逃げることができるだろうか、東京は地震が多い。仕事で毎日深夜になる夫は頼ることは鼻から考えたことがなかった。
そして3月20日、オウムのサリン事件が起きた。築地の日比谷線で何かがあったというので、交通が大混乱していた。二年前位まで勤めていた職場は新富町駅か築地駅を利用する。なので、前の会社に電話を入れると、大遅刻をするものはいたが、被害にあった人はいなかったようで、ほっとした。
その日、私は職場である新宿でランチを取るために同僚と駅近くを歩いていた。「号外!、号外!」という怒号で、新聞が配られていた。見ると「サリン」の大見出し、サリンって何だろうと思いながら過ぎた。 3月20日は、退職する私のお別れ会があったので、家に帰るのが遅かった。帰ってTVを付けると「大騒ぎ、大混乱」の様相を写しだしていた。
なんということなんだろう、信じられないようなことが次々に起った。その3月私は以前から思っていたことを実行に移した。一代決心とも言うべきこと。「沖縄で子どもを育てよう」と。帰ってきたのだった。帰ってきた沖縄では米兵による少女暴行事件が起った。
阪神大震災で町は見事に復興を遂げたけれど、(心が)傷ついた人たちは立ち上がることができたのだろうか。心の底から祈ります。安らかな心が取り戻せますように。
あれから15年。3歳だった下の子もこの春、高校を卒業する。
(写真は「がらまんじゃくCAFE」)