今日の棋譜20220124
1852年5月、時は7年ほど進んで和田印哲先生と再戦です。
和田先生の先手で角換わりのオープニングでしたが、天野先生は62銀。飛先を交換されるので良い手ではないのですが、挑発なのでしょうか。
先手は68玉だったので角を交換します。
77同銀22銀のところで24歩同歩同飛33角34飛86歩同歩88歩33飛成というような変化はあったのですが、78玉33銀と進みます。現代的には後手の早繰り銀対策が面倒だと思いますが、
和田先生のほうが早繰り銀を目指します。歴史的には戦後に角換わり腰掛け銀のブームがあって、そのあとに角換わり棒銀が流行りました。早繰り銀は現代まで流行することはなかったのですが、江戸時代に指されていたとは。
長らく早繰り銀と腰掛銀では腰掛銀が指しやすくなると言われていました。どうでしょうか。
腰掛銀は45歩を突いて先手の銀を追えるからなのですが、34歩の取り込みは入ります。銀の取り合いは先手が1歩得になりますから。
34同銀35歩(打つほうが良いかどうかも微妙)の時に銀の取り合いは微妙なところでしたが、天野先生はおとなしく銀を引きます。
37銀に33角、この自陣角は攻防に働きます。和田先生は46歩から1歩持って待つくらいが自然なのですが、
26飛52金66歩、矢倉囲いをさらに進めようとしています。でも後手が65歩から攻めやすくなるので、疑問の構想だったということになります。
駒組が進行する途中で、天野先生は38歩。相居飛車の場合はまあまあの手になることが多いです。和田先生は48銀と受けるのかと思えば
28角、これはきかされでしょう。角の働きに差があります。73桂からもう少し駒組が進み、
この図で指しかけ、指し継がれませんでした。後手の作戦勝ちの図です。
今日の問題集は作りません。
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# ---- Kifu for Windows V7 V7.46 棋譜ファイル ----
開始日時:1852/5/19
手合割:平手
先手:和田印哲
後手:天野宗歩
手数----指手--
1 7六歩(77)
2 8四歩(83)
3 2六歩(27)
4 8五歩(84)
5 2五歩(26)
6 3二金(41)
7 7七角(88)
8 3四歩(33)
9 8八銀(79)
10 6二銀(71)
11 6八玉(59)
12 7七角成(22)
13 同 銀(88)
14 2二銀(31)
15 7八玉(68)
16 3三銀(22)
17 4八銀(39)
18 4二玉(51)
19 3六歩(37)
20 6四歩(63)
21 1六歩(17)
22 1四歩(13)
23 3七銀(48)
24 6三銀(62)
25 5八金(49)
26 5四銀(63)
27 4六銀(37)
28 4四歩(43)
29 3五歩(36)
30 4五歩(44)
31 3四歩(35)
32 同 銀(33)
33 3五歩打
34 4三銀(34)
35 3七銀(46)
36 3三角打
37 2六飛(28)
38 5二金(61)
39 6六歩(67)
40 7四歩(73)
41 6七金(58)
42 3八歩打
43 2八角打
44 7三桂(81)
45 3六飛(26)
46 4四角(33)
47 6八金(69)
48 6二飛(82)
49 3四歩(35)
50 中断
まで49手で中断