それでは、第11夜は道東、根室、釧路周辺の保存車両たちを見ていきたいと思います。
1枚目は、別海町西春別駅跡に残る、キハ22 239です(写真)。同駅を走った標津線(廃止)の、主力車両でした。
隣には、ラッセル車キ276(キ100形)が保存されます(写真)。
その前には、D51-27が保存されます(写真)。戦災の賠償として旧ソ連に輸出、樺太で使用されたD51です。後に里帰りして、現在同所に保存されます。
場所は異なりますが、日高地方富内線(廃止)振内には、同様な経歴の機関車、D51-23が保存されます(写真)。形式と製造番号の間の、ハイフンの有無で区別できます。
同じく別海町ながら、場所が離れた奥行臼には、別海村営軌道(廃止)の車両が保存されます。6t内燃動車と、ミルクゴンドラです(写真)。この横には、転車台の跡も残っています。
隣には、8t自走客車があります(写真)。正に殖民軌道、ゲージも762ミリの軽便鉄道です。
鶴居村には、同様に鶴居村営軌道(廃止)車両が残ります。前は、DA120とされる内燃機関車です(写真)。
後は、39号自走客車とされます(写真)。これも、軽便鉄道規格です。
釧路市(旧阿寒町)には、雄別鉄道(廃止)で使用された、元国鉄C11 65が、車掌車ヨ8057を従え保存されています(写真)。道の駅の、国道を挟んだ反対側の、キャンプ場の中にあります。
釧路市街地には、C58 106が保存されます(写真)。釧網本線を中心に使用されました。
最後は、「釧路製作所」構内に保存される、雄別鉄道(元国鉄)8722です(写真)。
雄別炭砿に続く雄別鉄道は国鉄(現JR)釧路駅に乗り入れ、地下道の階段は今でも残っています(写真)。正に釧路は石炭の町でしたが、今は太平洋炭鉱のみで、JRで輸送することもありません。
道東は未調査が多く、ブログになるか心配でしたが、取り敢えずこんな感じです。来年にでも追加取材できれば、と思っています。
それでは、次回をお楽しみに。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます