今回の連載も40回を数え、遂に最終回を迎えました。最後は、門司港駅にも近い「九州鉄道博物館」をお届けしたいと思います。写真は、旧「九州鉄道」本社屋、現在の九州鉄道博物館本館です(写真)。
門司港駅南側にゲートがあり、そこと同じレベルに保存車輌が並びます。最初は59634(9600形)が、入館者を迎えます(写真)。
その後は、C53の後を継ぐべく開発されたヘビーパシフィック、C59 1です(写真)。デビューが昭和16年、戦中を経験し、戦後はC62製造であまり良いところがありませんでした。しかし、九州島内や呉線、東北でのC60改造機などの活躍は有名で、永く残りました。
続いてはEF10 35、直流電機、九州では戦中戦後に関門トンネルに使用された機関車です(写真)。
続いてはED72 1、九州交流電化用の試作電機です(写真)。やや量産車とは異なる、とのことです。ヘッドライト周りが古い感じがします。
続いてはキハ07 41、戦前形気動車です(写真)。主に単行用です。
客室の様子(写真)。木材を多用し、背ズリはやや低い気もします。
運転台(写真)。機械式気動車でした。
続いては、クハ481 603です(写真)。元はクロ481 5として製造されましたが、後に普通車に改造、この番号になります。
車内(写真)。普通車に改造された後です。
続いては、クハネ581 8です(写真)。後に近郊電車715系、クハ715 1に改造されたものの、可能な限り復元されています。
座席を、下段寝台として展開中の姿(写真)。座面と背クッションを引き出し寝台にしています。中段は屋根から外し、上段は網棚と引き出した部分と合わせ設定します。
側面方向幕(写真)。同系は当初昼行特急「みどり」と、夜行特急「月光」に使用され、昼8時間走り、4時間で切替、夜8時間走り、再び4時間で切り替える、昼夜兼用の車輌でした。
続いては筑豊で使用された石炭車、セラ1239です(写真)。製造、経緯とも不明とのことです。
当時は地平区間の保存車はこれだけでしたが、現在はスハネフ14が追加されたそうです。
館内には旧式木造客車、チブ37が保存されます(写真)。
館内には九州の鉄道ジオラマ、ヘッドマークやテールサイン、他多数が保存されますが、長くなるので、今回は扱いません。
門司港を出た、貨物線を転用したトロッコ「潮凪号」は、和布刈で終点。停車場前には、日本初の交直両用機関車、EF30 1と、オハフ33 488が保存されます(写真)。EF30は、交流区間では著しく力が落ちるので、下関駅から門司駅構内までの運用でした。銀色なのは、トンネルから漏れた海水がボディを腐食しないよう、ステンレスとされたためです。
まだ、やり残しは感じますが、40回の永きに渡り連載が出来、ホッとしています。また、気まぐれに、次の連載を考えていきたいと思います。
それでは、次回をお楽しみに。
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