Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

The Sleepers#89

2016-04-12 | 鉄道写真


 それでは、連載第89夜は、平成21年晩夏の上野駅をお届けします。


 大井を発った私はその後、撮影禁止の新橋鉄道資料館、東武博物館と行き、その後、暑い中上野駅地平ホームへ。閉ざされた空間で、更に暑いです。


 カシの無い土曜日であったので、一発目はトセイ、則ち「北斗星」です(写真)。カニ24 505が、推進運転されます。職員が、弁装置を繋ぎ、機関士に合図を送ります。



 「北斗星」の牽引機は、EF81 81「田」でした(写真)。運用は青森信号場までです。



 続いて、オハネフ24 25が推進運転されます(写真)。こちらは貫通路を開け、ホースに弁装置を繋ぎ、職員が操作します。



 その列車は「あけぼの」でした(写真)。貫通路が閉じられました。



 同列車の牽引機は、EF64 1030「長岡」でした(写真)。双頭連結器に、物々しいジャンパ栓群、これは羽越方面の交流電車を牽引し、首都圏経由で郡山入場まで輸送するためのものです。



 続いて、スハネフ14 35が、推進運転されます(写真)。これも、特殊弁で遠隔操作です。



 その列車は、寝台特急「北陸」でした(写真)。貫通路を閉じ、出発を待ちます。



 牽引機は、EF64 1031「長岡」です(写真)。これもEF63並、いやそれ以上のジャンパ栓が輻輳します。


 これで、上野駅13番線の役者たちは、全て顔を揃えました。



 上野発夜行列車の殿は、夜行急行「能登」です(写真、クハ489 505)。489系12連で、かつては碓氷峠経由、EF63とも連結されましたが、同区間廃止で長岡周りになり、その当時の姿です。露出した自動連結器が、EF63との協調運転当時の名残です。16番線に据え付けられています。


 以前は高崎線の最終も兼ねていた「能登」、リーマンが安心して寝過ごし、気付いた時には北陸にいた、という、有名なギャグがありました。この時には既にもっと遅い普通列車が用意されるようになり、それも昔の話となりました。


 大井のイベントの翌日は、まず間違いなく松任のイベントの日で、「北陸」にも乗りたかったのですが、残念ながら「能登」でした。せめて、シャワーでも浴びれば良かったと反省しています。


 それでは、次回をお楽しみに。


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(お題に答えて)美味い駅弁といえば、

2016-04-11 | 鉄道写真

 美味い駅弁といえば、大館の「鶏めし」にトドメをさします。


 比内地鶏の照り焼きに、その煮汁で炊いた御飯、そして付け合わせの具の一つ一つが完成品で、全くスキが無い。しかも、それでいて千円しない!


 単に大館の名物駅弁なだけでは無く、秋田駅でも販売され、同駅売り上げナンバーワンらしい名作です。


 車でも大館駅はルートから外れる場所ですが、近くへ行けば寄り道し、必ず買う弁当です。行く度に恋しくなる名作です。


 北九州折尾の「かしわめし」も良いですが、多分これ以上はありません。「花善 鶏めし」でチェック!

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The Sleepers#88

2016-04-11 | 鉄道写真


 それでは、連載第88夜は、平成21年晩夏の「東京車両センター」(旧称「大井工場」)のイベントからお届けします。


 写真は、新性能直流F級電機のトップバッター、EF60 19「高運」、ヘッドマークは「あさかぜ」を装備します。昔はJR化された新塗装でしたが、やはり国鉄色が落ち着きます。ただ、ヘッドライトのブタ鼻が気になっていましたが、後に大目玉で復元され、現在はその姿です。


 EF60初期車のクイル駆動は期待されたものの、粘着性及び整備性の問題から、早期に吊り掛け式に戻されました。同機も吊り掛け式です。またブルトレ用500番代も製造されましたが、歯車比が原因か高速性能に問題があり、EF65 500番代登場で貨物用に転用されました。EF65はJR各社に多く引き継がれましたが、EF60はほとんど無く、多くは廃車されました。同機は、現存する現役の数少ないEF60なのでした。そういう目で見ると、この写真の貴重さが分かると思います。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#87

2016-04-10 | 鉄道写真


 それでは、連載第87夜は、平成21年夏休みの、東北本線を巡る列車をお届けします。


 早朝に東京入りし、上野へスルー、宇都宮線普通で宇都宮経由黒磯へ。黒磯の貴賓室跡と、交直の機関車の付け替えを見るためです。


 その間に、新ニイ(新潟車両センター)K1編成が入線(写真、クハ481 346)。既に「回送」となっていますが、この列車は快速「フェアーウェイ」です。新潟発の夜行快速「ムーンライトえちご」が新宿で運転を終えた後、間合い運用で黒磯行きとなり、ゴルファー向けの列車となっていました。



 反対側は、クロハ481 1028でした(写真)。



 そして、郡山では、583系に逢いました(写真、クハネ583 8)。会津若松行きの運用に入っており、この後経路変更を検討しました。



 その結果、翌日会津若松で構えていると、そのとおりやって来ました、583系でした(写真、クハネ583 17)。



 その反対側、クハネ583 8です(写真)。


 合間には、当時最後の活躍となった400系新幹線や、キハ120なども写っていました。583系も、現存はこの編成のみで、これが秋田に移転、現在も使用されます。永く活躍して欲しいですね。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#86

2016-04-09 | 鉄道写真


 それでは、連載第86夜は、平成21年初夏、先回と同日の東北本線からお届けします。


 熊谷から、「ヒガハス」、そう東大宮~蓮田間の、そのスジの人には超有名スポット、いわゆる「お立ち台」があり、そこへ車を向け、遅れながらその行列に入ります。


 暫く待つと、その列車はやって来ます、そうEF81 96「田」、いわゆる「星ガマ」の牽引する、寝台特急「北斗星」です(写真)。ご覧の通り、簡単にそこそこの写真が撮れました。しかし、もう少しノイズの処理が上手く出来ると良かったですが、それには最後まで泣かされました。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#85

2016-04-08 | 鉄道写真


 それでは、連載第85夜は、平成21年初夏の高崎線からお届けします。


 日の長い時期限定で、熊谷近辺で早朝の夜行が撮れるという場所がある、と聞き、行ったその場所。天候は晴れ、ロケーションが良いらしく既に約100人が三脚を構え、脚立に乗って覗き後から頭越しに写す、約3メートルの大三脚を立てる人までいました。私は遅く、かなり不利な場所からスタートになりました。


 一発目は583系、クハネ583-20他6連、秋アキ(秋田運転所)の編成でしょう(写真)。



 次はボンネット車、金サワ(金沢総合車両所)の編成、クハ489-501を先頭にした、夜行急行「能登」です(写真)。クラシカルな国鉄色が、素晴らしい!



 次は、EF64 1053「長岡」牽引寝台特急「北陸」です(写真)。こちらは、普通に1000番代です。



 続いては、485系、クロハ481-1029他6連、恐らく新ニイ(新潟運転所)の団臨です(写真)。これも、タナボタです。



 真打ち、寝台特急「あけぼの」です(写真)。EF81の負担を減らすため、長岡~上野間を長岡運転所のEF64に置き換え、そのため中央線用のEF64 0番代が2両、高崎運転所から長岡運転所に転属となりました。そのうちの1両、EF64 38「長岡」の牽引です。



 しかし、誰も動かない。そのまま皆と同じく待っていると、EF65 501「高運」牽引「レトロロマン」が、通過します(写真)。



 その後には、EF64 1001「高運」がついており、プッシュプルになっています(写真)。


 この後、少しずつギャラリーが減っていきました。


 初電でも間に合わない時間、そのためほとんどが車で、違法駐車も何台かあったようです。翌年のチャンスを期待していましたが、残念ながら廃止でその機会の無い列車が多く、二度と行くことがありませんでした。残念でしたが、このようなチャンスがあったことに感謝します。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#84

2016-04-07 | 鉄道写真


 それでは、連載第84夜は、平成21年GWの九州からお届けします。


 九州へ行く時のあの「わくわく」感が無くなってしまって、この年は自由のきく車で九州遠征、関門橋門司港IC近くの「門司港レトロ観光線」車庫から開始しました。


 そして、門司港駅へ移動、観光線の後で九州鉄道博物館を訪問します。その傍らに、悲しいものがありました(写真)。このサーモンピンクの機関車は、明らかにEF81、前面の特徴から411号機と推定されます。ナンバーを隠し、処分保留では無く解体予定の疎開で、もう二度と列車を牽引することはありません。



 横に移動すると、機関車は2両、後は410と思われます(写真)。今後旅客は、415系のみ関門トンネルを通るということです。残念でした。


 今後、九州特急を復活させるのであれば、客車はほぼ不可能で、交直両用電車か、JR貨物委託しか方法はありません。これも、時代でしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#83

2016-04-06 | 鉄道写真


 それでは、連載第83夜は、一枚物で行きたいと思います。


 平成21年早春、私は沼津市にいました。確か黄瀬川だと思います、東海道本線を走る列車の、水鏡に写る姿が撮れるという橋梁へ行きました。しかし先客も多く、最高の場所は陣取ることが出来ませんでした。


 そして、列車はやって来ます、「富士・はやぶさ」です(写真)。バックの白い富士山も、まあまあです。しかし、今思えば、手前側のノイズはズームアップでカット出来たはずで、それがまだ稚拙である理由です。


 そして、平成21年春ダイヤ改正となり、最後の九州特急「富士・はやぶさ」は、廃止となりました。残念でした。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#82

2016-04-05 | 鉄道写真


 それでは、連載第82夜は、平成21年新春の、北陸本線の夜行列車をお届けします。


 北陸本線では有名な、「疋田の大カーブ」というポイントがあります。有名な「お立ち台」で、例えばトワイライトエクスプレス車内の乗車記念撮影パネルの画像を撮った場所でもあり、超メジャーな場所です。電車で行くなら新疋田駅の構内が良いですが、ここは駅から少々歩く場所で、しかし廃校となった小学校跡地が駐車場として使えることから、三脚等重量機材を使用する人の好むスポットです。


 その場所に、EF81 102「敦」牽引「日本海」が接近(写真)。サーモンピンクの機関車が懐かしいです。



 昼近くに、EF81 113「敦」牽引「トワイライトエクスプレス」が接近します(写真)。やはり、長いですね。


 この頃は、まだ485系も国鉄色オリジナルが現役で、パノラマグリーン車も写っており、一方683系もあり、楽しい頃でした。こんな時代は、現実ではもう再現できません。鉄道模型ならば、今でもそういうことが出来ますが。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#81

2016-04-04 | 鉄道写真


 それでは、連載第81夜は、平成21年新春の「富士・はやぶさ」の、上りの写真をお届けします。


 一日中大分駅構内で撮影を行った私は、続いて上り「富士」を撮りました(写真、EF81 411「大」)。列車廃止後の、同機の運命を暗示するようです。



 緩急車は、切妻のスハネフ15でした(写真)。最後は、スハネフ14と混用され、一部はステンレスの帯を外し、白帯になりました。


 そして「富士」は発車します。


 私は、後追いの「ソニック」で追いかけます。車内販売のアテンダントが、私のカメラを見て、話し掛けます。「どこが、一番良いですか?」と。私は、JR九州の一番端、「下関かなあ?」と答えました。「優良企業だから」入るJR東やJR東海社員に比べ、JR九州社員は一般に愛社精神が強いですよ。勿論JR九州も、株式公開するほどの優良企業になりましたが。そんな話の最中に中津到着、「富士」を追い越します。



 先行したまま小倉に到着、普通で門司へ。間に合いました、ED76 90「大」牽引「はやぶさ」です(写真)。停止位置停止後、切り離し、運用から解放されます。



 間もなく、関門間の牽引機、EF81 410が接近します(写真)。連結間もなく門司港方面に入換転線します。



 間もなく、EF81 411牽引「富士」到着です(写真)。誰かが停止位置前に大光量フラッシュを焚き、結果そのまま手前で停止し、停止位置がずれたまま車掌がドア扱いをしました。運転中の運転士に向けフラッシュ(スピードライト)を焚くのは、往来妨害罪に当たる行為です。逮捕や列車の運転中止を望まないなら、絶対に止めて下さい。この日は、運転中止寸前でした。



 ずれた位置のままEF81 411も運用から解放され、側線に入ります。


 門司港方から、EF81 410が、「はやぶさ」を推進します(写真)。連結手が無線で機関士に指示、やわやわで連結されました。



 貫通幌が設定され、「富士・はやぶさ」は関門トンネルを越える準備が整いました(写真)。


 間もなく、列車は関門トンネルへと進入しました。


 なお、門司までの牽引機2両は、この後側線から明朝の待機位置まで移動し、この日の運用を終えます。


 運転中の列車にはフラッシュは焚かず、焚きたいなら停止を必ず確認して下さい。でなければ、あなたが鉄道の運転を妨害することになります。絶対に止めましょう。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#80

2016-04-03 | 鉄道写真


 それでは、連載第80回目は、平成21年早春の、「富士・はやぶさ」乗車記です。


 やはりその時は来てしまいました、最後の九州特急、ブルートレイン「富士・はやぶさ」の廃止が決定し、俄に騒がしくなってきました。そんな時に、この列車に乗って九州へ行こう、というより乗車そのものを目的として、乗車しました。


 東京からの牽引機は、EF66 51「関」でした(写真)。



 同機は、下関で運用から解放されます(写真)。大騒ぎの様子が分かると思います。



 その後は、「はやぶさ」のスハネフ14です(写真)。テールサインが見えています。



 そこに、関門の守り、EF81 410「大」がやって来ます(写真)。連結されれば、間もなく発車時刻です。



 関門トンネルを通り、門司では再度切り離し、「はやぶさ」牽引機ED76 90「大」が接近します(写真)。連結され、「はやぶさ」は発車します。



 続いて、残った「富士」が、富士山形のヘッドマークを装備したEF81 411「門」と連結されます(写真)。



 そして、「富士」は終点大分に到着しました(写真)。地平ホームが懐かしいですが、この時既に久大本線、豊肥本線は高架ホームに移転していました。



 そして、この日は一日中大分駅で撮影を楽しみました。485系及び783系「にちりん」、883系及び885系「ソニック」の合間に、写真のような編成が入線しました(写真)。ED76P形と呼ぶべきED76 1020「門」牽引の貨物列車でしたが、貨車は1両のみでした。南延岡発の同列車、北九州貨物ターミナル行き、液化塩素専用タンク車です。延岡に工場がある、旭化成関連の貨物列車と思われます。


 そして、夜を待ちますが、その先も長いので、ここで水入りとします。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#79

2016-04-01 | 鉄道写真


 それでは、連載第79夜は、平成20年初冬の名古屋駅からお届けします。


 いざ無くなると決まってから大騒ぎしないよう、この日も寝台特急「富士・はやぶさ」を撮りに行きます(写真)。EF66 46「関」が牽引しています。


 危機感を持っている人はほとんどおらず、この日も私だけでした。何故3本が1本になったのか、よく理由を考えるべきでした。



 そして、東京行きの「ムーンライトながら」です(写真)。静シスF14編成他9連、準特急形373系でした。有効な活用法は無いのでしょうか。


 まだ、撮影も楽しい夜がありました。今となっては考えられない光景ですが。残念です。


 それでは、次回をお楽しみに。


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