それでは、連載第417回目は、三岐鉄道ED45最終回、ED459をお届けします。
同機も元は東武、ED5069で、ED5070と同時に譲受したそうですが、同機のみ竣工、ED459となり現在に至ります。
同じく元東武のED458と重連で、停止する姿(写真)。撮ったのは、保々の雰囲気です。
保々のイベント時に、ED451と重連で並んでいる姿が見られました(写真)。
これだけの機関車を維持出来るのは、やはり貨物の需要があるから。今後は、どうなるのでしょうか。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第417回目は、三岐鉄道ED45最終回、ED459をお届けします。
同機も元は東武、ED5069で、ED5070と同時に譲受したそうですが、同機のみ竣工、ED459となり現在に至ります。
同じく元東武のED458と重連で、停止する姿(写真)。撮ったのは、保々の雰囲気です。
保々のイベント時に、ED451と重連で並んでいる姿が見られました(写真)。
これだけの機関車を維持出来るのは、やはり貨物の需要があるから。今後は、どうなるのでしょうか。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第416回目は、三岐鉄道ED458を中心にお届けします。
三岐鉄道ED458は、元東武ED5001で、入線後も暫くは元番のままでしたが、現在はED458に改番されています。
写真は関西本線富田で、東藤原からの貨物を牽いた後、四日市からの返しを待つ姿(写真)。ED453と重連で、かつて国鉄から乗客が乗り換えた三岐鉄道旧乗降ホームに据え付けられています。
続いては、同じくED453と重連で、伊勢治田上り貨物本線での待機の姿(写真)。
続いて、ED458が、僚機と重連で、東藤原で入換を行う姿(写真)。これは多分土曜でも見られます。
セメント貨物は、三岐鉄道のドル箱で、主要な営業になっています。土曜にも走っているのが、趣味人には有り難いです。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第415回目は、三岐鉄道ED456をお届けします。
ED454、ED455が富山地鉄からの移籍機であったのに対し、新造機となったED456。現在に至るまで、一度も移籍したことがありません。
多分東藤原でしょう、僚機と重連で停泊する、ED456(写真)。従来機とも微妙に異なるようですが、製造年次のみならず、それぞれに個性のある形式です。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第414回目は、三岐鉄道ED455をお届けします。
僚機と重連でセメント貨物を牽く、ED455(写真)。従前の形とほぼ同じですが、ED454、ED455は、元富山地鉄で、ダム工事終了後三岐鉄道に移籍しました。
しかし、ED454を見かけないのは、気のせいでしょうか。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第413回目は、三岐鉄道ED452を中心にお届けします。
最初は、僚機ED455と重連で、セメント貨物を牽く姿(写真)。これが三岐鉄道貨物の、通常の姿です。
富田からは、DD51が単機で四日市まで牽きますが、三岐線内は返空もあり重連です。
次は、東藤原で、構内入換の図(写真)。これも重連の筈ですが、後は写っていません。
何でも無い光景ですが、実はこれがドル箱だったのでした。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第412回目は、三岐鉄道ED45形、ED451をお届けします。
ED45形は、三岐鉄道の貨物の主力、東藤原~富田間のセメント関連貨物を牽引する機関車で、通常重連で使用されます。三岐オリジナル、富山地鉄や東武からの編入機もあり、オリジナルも製造年次で違いがあり、興味深いものです。写真は、ED451とED454の重連です(写真)。塗装は統一です。
ED45を撮りたければ、東藤原がお薦めです。休日でも重連で入換を行っており、見ているだけで飽きません。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第411回目は、三岐鉄道ED301をお届けします。
ED301は、通常は東藤原のセメント工場の構内入換に従事する電機で、東藤原駅でもなかなか見かけず、殆ど幻のような機関車です。駅構内の入換も、通常ED45重連等で行うため、まず見かけない1両です。
三岐鉄道の基地である保々のイベントでの1枚(写真)。石灰石の粉で汚れ、工場内のみで運用されているのが分かります。見ないわけです。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第410回目は、三岐鉄道ED22 2をお届けします。
ED22 2は、弘南鉄道ED22 1、松本電鉄ED301(ED22 3)と同じく信濃鉄道(現大糸線の一部)で導入された、ボールドウィン・ウエスチングハウス製の輸入電機で、国有化でED22 2と改番、後に三岐鉄道に移籍、後に引退しました。
引退後は大安駅近くで静態保存されていました(写真)。屋根付きですが、状況は見てのとおりでした。
別の機会に(写真)。ヘッドライトは落ち、窓は割れ、かなり悲惨です。
後に三岐鉄道が譲受し、整備修復の後東藤原にて静態保存されるようになりました(写真)。「いぶき502」の位置です。
一時は保存そのものが危ぶまれましたが、現在は美しい姿を取り戻しています。ただ、内部の機器は壊れているでしょうから、動態化は無理でしょう。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第409回目は、「いぶき502」をお届けします。
「いぶき501」と同じ経緯で誕生し、大井川鐵道に移籍した、「いぶき502」。後に、中部空港建設関連で輸送量が増えた三岐鉄道に譲渡され、一生を終えました。
引退後、西藤原で静態保存される、「いぶき502」(写真)。これが、出会いでした。
他日、反対側から(写真)。少々古さがありますが、現役でもおかしくない出で立ちです。
他日、同じ位置で(写真)。
現在この場所には他の機関車があり、現存しません。大井川鐵道の部品取り用か、それとも単純に解体か。今となっては、知る由もありません。
それでは、次回をお楽しみに。