子供時代の花にまつわる様々なエピソードを誰かに読んでもらえたら、
とのきっかけでブログを始めたことは以前にも書いたが、
一年と経つうちに、すっかり花エッセイから遠ざかってしまった。
後半のほぼ八割は天然石が占め、石に興味のない方には随分と
退屈な思いをさせてしまったことと反省している。
一年と定めたブログも残すところわずかとなり、もう一度、転居してから出逢
った様々な花について書こうと思ったのだけれど、その前にどうしても忘れては
いけない風景について書き留めておこうと思いたった。
それは母方の田舎――福島での思い出である。
残念ながら原発による避難区域に入っているため、もしかするともう二度と
目にすることは叶わないかもしれない風景である。
親戚が住む『字(あざ)』と呼ばれる村は、郡山からさらに奥まった山奥に
あり、人口も少なく、目の前を走る国道には、朝夕二度、通学のための定期便
バスが来るぐらいという、とても鄙びた場所だった。
幼少時に親戚宅を訪れた私は、はとこの少女と一緒に、自転車で思いきり
広々とした国道を走り回って遊んだものだ。
また、家の眼前には田畑が広がり、隣家は遥かに遠く、けれど少し声を張れば
そんな遠くの隣人とでも会話ができるほど空気が澄みきっていた。
夕食ともなれば、目の前の畑から収穫した野菜が調理され、食卓にのぼる。
そういえば、家の裏手で飼われていた牛のせいか、その家では肉料理が並
ぶことはなく、特にはとこの少女は、牛肉だけは決して口にしようとはしなか
った。
そんな中学の夏休み、数日間、泊りがけで遊びに行ったことがあったが、
一度だけ家の近くに植わっている桃の実を食べたいと
私がごねたことがあった。
母の従兄弟の小父が、蜂をよけながら採ってくれたのだが、
翌日、別の親戚の家に移動しなくてはならなくなり、
小父が苦労して採ってくれた白桃は食べずに終わってしまった。
あの時、食べておけば良かったと、後にどれほど後悔したかしれない。
しかも後日知ったのだが、桃は福島の名産だったのだ。
銀色のボールに入れられた少し小ぶりの瑞々しい桃は、
いまだに私の記憶に焼きついて離れない。
次に訪れた母の従姉妹の小母の家は、竹林に囲まれた山の斜面に建ち、
裏手には川が流れていた。
勝手口を開けるとすぐ目の前に
清冽な水飛沫をあげる川があるというのは、
都会育ちの私にはとても不思議な光景だった。
夜寝ていても、水が流れる轟々という音が聞こえてくる。
山の斜面をさらに登ったところには段々畑が連なり、
小母は毎朝早くに、飼っている牛に餌をやるため草刈りに出かけた。
私もついていって、
そばに群生していた真っ赤な木苺を山ほど摘んで帰ったものである。
赤く熟れた小さな粒のかたまりは、
手ずから摘んだという喜びもあいまって、
子供心にとても印象に残っている。
それでもしょせんは都会っ子の哀しさで、
一週間と滞在するうち、
テレビもろくにない生活にすっかり飽きてしまい
(新聞でさえ一日遅れはざら)、
母に泣きついて家路に着いてしまったのだが。
ほとんど娯楽と呼べるようなもののない田舎では、
夜の楽しみはもっぱら村人の噂話、
親戚が集まっては、自家製の漬け物をつまみに茶や酒を啜り、
上(かみ)村の誰それがどこに嫁に行っただの、
下(しも)村の誰それが嫁をもらっただの、
と実にたわいもない話題で盛りあがっていた。
そんな大雑把な情報でも彼らの間では十分通用するらしく、
私にはむしろそちらの方が驚きだった。
とのきっかけでブログを始めたことは以前にも書いたが、
一年と経つうちに、すっかり花エッセイから遠ざかってしまった。
後半のほぼ八割は天然石が占め、石に興味のない方には随分と
退屈な思いをさせてしまったことと反省している。
一年と定めたブログも残すところわずかとなり、もう一度、転居してから出逢
った様々な花について書こうと思ったのだけれど、その前にどうしても忘れては
いけない風景について書き留めておこうと思いたった。
それは母方の田舎――福島での思い出である。
残念ながら原発による避難区域に入っているため、もしかするともう二度と
目にすることは叶わないかもしれない風景である。
親戚が住む『字(あざ)』と呼ばれる村は、郡山からさらに奥まった山奥に
あり、人口も少なく、目の前を走る国道には、朝夕二度、通学のための定期便
バスが来るぐらいという、とても鄙びた場所だった。
幼少時に親戚宅を訪れた私は、はとこの少女と一緒に、自転車で思いきり
広々とした国道を走り回って遊んだものだ。
また、家の眼前には田畑が広がり、隣家は遥かに遠く、けれど少し声を張れば
そんな遠くの隣人とでも会話ができるほど空気が澄みきっていた。
夕食ともなれば、目の前の畑から収穫した野菜が調理され、食卓にのぼる。
そういえば、家の裏手で飼われていた牛のせいか、その家では肉料理が並
ぶことはなく、特にはとこの少女は、牛肉だけは決して口にしようとはしなか
った。
そんな中学の夏休み、数日間、泊りがけで遊びに行ったことがあったが、
一度だけ家の近くに植わっている桃の実を食べたいと
私がごねたことがあった。
母の従兄弟の小父が、蜂をよけながら採ってくれたのだが、
翌日、別の親戚の家に移動しなくてはならなくなり、
小父が苦労して採ってくれた白桃は食べずに終わってしまった。
あの時、食べておけば良かったと、後にどれほど後悔したかしれない。
しかも後日知ったのだが、桃は福島の名産だったのだ。
銀色のボールに入れられた少し小ぶりの瑞々しい桃は、
いまだに私の記憶に焼きついて離れない。
次に訪れた母の従姉妹の小母の家は、竹林に囲まれた山の斜面に建ち、
裏手には川が流れていた。
勝手口を開けるとすぐ目の前に
清冽な水飛沫をあげる川があるというのは、
都会育ちの私にはとても不思議な光景だった。
夜寝ていても、水が流れる轟々という音が聞こえてくる。
山の斜面をさらに登ったところには段々畑が連なり、
小母は毎朝早くに、飼っている牛に餌をやるため草刈りに出かけた。
私もついていって、
そばに群生していた真っ赤な木苺を山ほど摘んで帰ったものである。
赤く熟れた小さな粒のかたまりは、
手ずから摘んだという喜びもあいまって、
子供心にとても印象に残っている。
それでもしょせんは都会っ子の哀しさで、
一週間と滞在するうち、
テレビもろくにない生活にすっかり飽きてしまい
(新聞でさえ一日遅れはざら)、
母に泣きついて家路に着いてしまったのだが。
ほとんど娯楽と呼べるようなもののない田舎では、
夜の楽しみはもっぱら村人の噂話、
親戚が集まっては、自家製の漬け物をつまみに茶や酒を啜り、
上(かみ)村の誰それがどこに嫁に行っただの、
下(しも)村の誰それが嫁をもらっただの、
と実にたわいもない話題で盛りあがっていた。
そんな大雑把な情報でも彼らの間では十分通用するらしく、
私にはむしろそちらの方が驚きだった。