花にまつわる幾つもの話

子供時代の花にまつわる思い出や、他さまざまな興味のあることについて書いていきたいと思ってます。

第三十章 福島の風景~白桃と木苺(きいちご)~

2011年04月27日 | 花エッセイ
 子供時代の花にまつわる様々なエピソードを誰かに読んでもらえたら、

とのきっかけでブログを始めたことは以前にも書いたが、

一年と経つうちに、すっかり花エッセイから遠ざかってしまった。

 後半のほぼ八割は天然石が占め、石に興味のない方には随分と

退屈な思いをさせてしまったことと反省している。

 一年と定めたブログも残すところわずかとなり、もう一度、転居してから出逢

った様々な花について書こうと思ったのだけれど、その前にどうしても忘れては

いけない風景について書き留めておこうと思いたった。


 それは母方の田舎――福島での思い出である。

 残念ながら原発による避難区域に入っているため、もしかするともう二度と

目にすることは叶わないかもしれない風景である。

 親戚が住む『字(あざ)』と呼ばれる村は、郡山からさらに奥まった山奥に

あり、人口も少なく、目の前を走る国道には、朝夕二度、通学のための定期便

バスが来るぐらいという、とても鄙びた場所だった。

 幼少時に親戚宅を訪れた私は、はとこの少女と一緒に、自転車で思いきり

広々とした国道を走り回って遊んだものだ。

 また、家の眼前には田畑が広がり、隣家は遥かに遠く、けれど少し声を張れば

そんな遠くの隣人とでも会話ができるほど空気が澄みきっていた。

 夕食ともなれば、目の前の畑から収穫した野菜が調理され、食卓にのぼる。

 そういえば、家の裏手で飼われていた牛のせいか、その家では肉料理が並

ぶことはなく、特にはとこの少女は、牛肉だけは決して口にしようとはしなか

った。

 そんな中学の夏休み、数日間、泊りがけで遊びに行ったことがあったが、

一度だけ家の近くに植わっている桃の実を食べたいと

私がごねたことがあった。

 母の従兄弟の小父が、蜂をよけながら採ってくれたのだが、

翌日、別の親戚の家に移動しなくてはならなくなり、

小父が苦労して採ってくれた白桃は食べずに終わってしまった。

 あの時、食べておけば良かったと、後にどれほど後悔したかしれない。

 しかも後日知ったのだが、桃は福島の名産だったのだ。

 銀色のボールに入れられた少し小ぶりの瑞々しい桃は、

いまだに私の記憶に焼きついて離れない。

 次に訪れた母の従姉妹の小母の家は、竹林に囲まれた山の斜面に建ち、

裏手には川が流れていた。

 勝手口を開けるとすぐ目の前に

清冽な水飛沫をあげる川があるというのは、

都会育ちの私にはとても不思議な光景だった。

 夜寝ていても、水が流れる轟々という音が聞こえてくる。

 山の斜面をさらに登ったところには段々畑が連なり、

小母は毎朝早くに、飼っている牛に餌をやるため草刈りに出かけた。

 私もついていって、

そばに群生していた真っ赤な木苺を山ほど摘んで帰ったものである。

 赤く熟れた小さな粒のかたまりは、

手ずから摘んだという喜びもあいまって、

子供心にとても印象に残っている。

 それでもしょせんは都会っ子の哀しさで、

一週間と滞在するうち、

テレビもろくにない生活にすっかり飽きてしまい

(新聞でさえ一日遅れはざら)、

母に泣きついて家路に着いてしまったのだが。

 ほとんど娯楽と呼べるようなもののない田舎では、

夜の楽しみはもっぱら村人の噂話、

親戚が集まっては、自家製の漬け物をつまみに茶や酒を啜り、

上(かみ)村の誰それがどこに嫁に行っただの、

下(しも)村の誰それが嫁をもらっただの、

と実にたわいもない話題で盛りあがっていた。

 そんな大雑把な情報でも彼らの間では十分通用するらしく、

私にはむしろそちらの方が驚きだった。
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第二十九章 エンジェルトランペット~ダチュラ~

2010年07月01日 | 花エッセイ
 この植物と初めて出逢ったのは、当時、お気に入りでよく通っていた、

夫婦がひっそりと営む手作りパン屋へと向かう道の途中だった。

高台にアパートがあったせいで、家の周囲はとかく坂が多く、

その日も夏の真っ盛り、汗をかきながら歩いていたコンクリートの道端に、

巨大な白い朝顔がにょっきりと顔をのぞかせていた。

 その花が、朝鮮朝顔、別名ダチュラ(ダツラ)と呼ばれるものだと知ったのは、

数年後、年上の友人が貸してくれた一冊のミステリー小説を介してだった。

 なんでも葉や種に強いアルカロイド物質を含み、昔は麻酔薬として使われていたという。

 友人が貸してくれたミステリーには、まさにその効用が

物語の重要なファクターとして描かれていた。

 このダチュラだが、朝顔に似た形といい、純白の色合いといい、

実に私好みの花なのだが、名前だけがどうしても残念に思えてならなかった。

その後再び、新しく引っ越したマンション近くの花屋で、

同じような真っ白い花が吊り下がって咲いている鉢植えに遭遇することになった。

しかも店の人が教えてくれた名前は、エンジェルトランペット。

ダチュラはダチュラでも木立朝鮮朝顔という種類らしい。

 白く吊り下がった巨大な朝顔の花は、なるほど天使が吹くラッパを彷彿とさせた。

 名前が可愛らしいばかりでなく、花の香りも南国を思わせるがごとく甘い。

憧れを込めて購入した鉢は、日当たりの悪いバルコニー事情に、

ひと夏限りで枯れてしまった。

今でも家の軒先にこの花を見かけると少しだけ胸が痛む。

 私には将来、もし一戸建てに住むようなことがあったら、

絶対に植えようと心秘かに誓った植物が幾つかある。

 春のミモザ、匂い菫(すみれ)、鈴蘭(すずらん)、

夏には、目にも鮮やかなピンクの百日紅(さるすべり)、凌霄蔓(のうぜんかずら)、夜香木、

秋の金木犀(きんもくせい)と銀木星(ぎんもくせい)、

さらには彼岸花(ひがんばな)の紅と白、

冬には、白梅が凍てつく星空の下にたたずむ。

 そして叶うことなら、天上の青と呼ばれる真夏の快晴の空のような朝顔と、

オレンジ色の実をつける杏の樹、それに庭の片隅にそっと

オオイヌフグリの群生が咲きそろえば、もはやいうことはない。

 その夏の庭にぜひとも、天使の翼に似た純白のエンジェルトランペットも

加えたいと願っている。

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第二十八章 夏椿(なつつばき)

2010年06月17日 | 花エッセイ
 椿といえば私の中ではずっと冬の花の代名詞だった。

実際、子供の頃住んでいたアパートの庭には、

ピンクや紅白絞り柄の椿があちらこちらに咲いていて、とても馴染み深い花だったのである。

私にこの花の名前を教えてくれたのは、以前勤めていた法律事務所の同僚だった。

 生け花の師範免状を持っていた彼女からは、

様々な花について、あるいは珍しい花の生け方について教えてもらった。

 その中の一つがこの夏椿だった。

沙羅樹(さらのき)との別名もあるらしく、

沙羅樹といえば、平家物語の有名な冒頭が想起されるが、

生憎と釈迦入滅を哀しむように枯れたという沙羅双樹(=沙羅樹)は、

実際にはインド原産の植物で、この夏椿とは別物だという。

 同僚の女性は毎年、夏椿の季節になると、友人と連れ立って神代植物公園まで足を運んでいた。

 その話を聞いて以来、私はすっかり夏椿に夢中になった。

 本物の夏椿を見たいと切望したけれど、なかなか植物公園に行く機会はなく、

その後、法律事務所をやめたこともあり、いつしか忘れ去っていた。

 それから数年経ったある初夏の日、あれほど熱望していた夏椿と巡り逢うこととなった。

 新しく勤めた職場近くの並木道が、偶然にも夏椿だったのである。

 すらりと細く伸びた新緑の枝先に、埋もれるがごとくポツポツと咲く可憐な白い花。

 どこか藪椿をも髣髴とさせる形で、五弁の花びらとくっきりとした黄色い花芯は、

なるほど清楚な茶花を好んだ彼女が愛するにふさわしい品の良さを漂わせていた。

 また、実際の藪椿とは異なり、花びらの縁部分にフリルがあるのも可愛らしい。

 こんな風に花との縁は不思議なもので、こちらがその存在を忘れてしまった頃、

まるで懐かしい友人の訪れのように、不意に姿を現わすことがある。



※ 茶花とは茶席に生ける花の総称。質素で清楚な季節感のある花を尊ぶ。
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第二十七章 ニオイバンマツリ

2010年05月27日 | 花エッセイ
 小高い丘の頂上にあったアパートから、都会の谷間のような新居に越してきてから、

すっかり植物との縁が薄くなってしまった。

この花にまつわるエッセイを書こうと思い立ったきっかけも、

かつての花の記憶を少しでも留めておきたい、そんな想いにかられたからだ。

そんな中で、この新居に越して初めて出遭った印象深い花が、ニオイバンマツリである。

最初にこの花の存在に気づいたのは、ジャスミンみたいな華やかな香りに誘われたせいだった。

その匂いはどこか懐かしさをよびさまし、後日、調べてみたところ、

なんとあの夜香木と同じナス科の植物。

偶然とはいえ、心魅かれてしまうのも道理だったわけだ。

そして香り以上に、ニオイバンマツリにはちょっとした不思議がある。

時間が経つにつれて花の色が変化する植物がこの世にあるということを、

酔芙蓉という植物で初めて知ったのだが、

酔芙蓉は朝には真っ白い花が咲き、午後になるとその花がピンク色に染まり、

やがて真っ赤になってしぼむらしいが、

それがまるで花が酒に酔ったように見えるので酔芙蓉と名づけられたという。

実はこのニオイバンマツリも同様に、最初は藤色の綺麗な花をつけるのだが、

数日経つと、薄紫色へと変化して、最後は真っ白い花で終わる。

いわば酔芙蓉とは真逆の花ということだ。

ちなみに余談だが、前述の酔芙蓉、実はミステリー小説のアリバイ崩しに利用されたことがある。

なるほど時間の経過と共に花の色が変化する酔芙蓉は、

まさにトリックを見破る絶好の小道具となりえるのだろう。
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第二十六章 咲くやこの花館~青い芥子~(旅行記)

2010年05月26日 | 花エッセイ
 数年前、友人を訪ね夏の盛りに大阪を訪れたことがある。

その年の夏はひどい猛暑で、どこへ遊びに行くのも一苦労。

私が彼女に頼んだ案内先は、かつての花博の跡地、鶴見緑地の「咲くやこの花館」だった。

 勿論、私の目当ては青い芥子。

大阪で花博が開かれた頃、まだ学生だった私は、

憧れの青い芥子や世界三大珍花の一つであるラフレシアなどに胸を踊らせたものだった。

けれどそこはしがない学生の身、

たかが花ごときにわざわざ高い旅費や宿泊費をかけて行くことはかなわず、

結局、足を運ぶことなく終わってしまった。

 さて、鶴見緑地は大阪市内でも少々不便な場所にあり、

大阪の友人もまだ行ったことがないという話だった。

 ガラスで覆われた巨大な温室、平日の昼間だったせいか人気も少なく、

フラワーホールと呼ばれる一階中央広場には、噴水が涼やかに水飛沫を吹き上げ、

外界とはまるで別世界だった。

 早速、友人を伴い念願の青い芥子が咲いている高山植物室へ。

ひんやりとした空気に包まれた小さな温室で、

明るい陽射しを一身に浴び、青い芥子はひそやかに咲いていた。

数にすると数十本程度だろうか。

昔、テレビで見たあのスカイブルーの鮮やかな青がそこには確かに存在していた。

 この青い芥子、学名をメコノプシス属という。

花の形によって多少学名が異なり、

メコノプシス・ベトニキフォリアやメコノプシス・グランディスが

特に青い芥子としては有名である。

他にもスカイブルーというよりやや群青がかったメコノプシス・ホリデュラなんかもある。

 私の周囲には三脚を立てたアマチュア写真家らしい人が数人、

その美しい花をカメラに納めようと熱心にレンズをのぞきこんでいた。

陽に透ける青く透明な花弁を写し撮るため、私も負けじとカメラのシャッターを押す。

 こうして私は長年の憧れだった花との対面を叶えたわけである。

 続いて訪れたのは熱帯花木室。

こちらには珍しい南国の植物が植えられていて、

ことに私の目を惹いたのは温室の屋根まで届きそうなほど巨大な

タビビトノキと呼ばれるバナナにも似た葉を持つ扇状の植物だった。

名前の由来は、鬱蒼としたジャングルで一際背が高いから旅行く人の目印になるからだとか、

あるいは葉鞘部に水が溜まり旅人がこれを利用したからだとか諸説言われている。

 ちなみにこのタビビトノキ、数年経てから、

現在住んでいる地元の花屋で鉢植えとなったものに遭遇した。

私は思わず手に入れたい衝動にかられたが、

散々大きくなりすぎて困っている我が家の植物事情に泣く泣く断念したのである。

それからほどなくして、同じ花屋をのぞいてみたら、

タビビトノキは既に誰かに買われた後だった。
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