花にまつわる幾つもの話

子供時代の花にまつわる思い出や、他さまざまな興味のあることについて書いていきたいと思ってます。

第十五章 壷菫(つぼすみれ)、山吹(一重、八重)、雪柳(ゆきやなぎ)、木瓜(ぼけ)

2010年04月30日 | 花エッセイ
 家の裏手のすぐ側に急勾配の坂がある。

この坂はものすごく傾斜がきつく、自転車で一気に下りる時はかなりの勇気を必要とした。

特に雪の降った早朝などは、道が凍結して歩くというよりは滑るといった方がいいぐらいだ。

 その急勾配の坂の両側には何軒か家が建ち並んでいた。

向かって右側入口には前回書いた白い薔薇の垣根のあるマンションで、

その向かいは犬のいる一戸建て、そのまま数軒家が続く。

 今でこそ舗装されているが、私が子供の頃には自然石を積んだだけの、

いかにも山を切り崩した跡のような場所だった。

 濡れた石の合間から小さな白い菫が顔をのぞかせている。

この菫はつぼすみれと言う品種で、主に野山に咲く種類らしい。

 さらにこの坂を下っていくと石塀の上から雪柳が

真っ白な長い房状の枝を頭上にさしかけてくる。

雪柳の隣りには一面山吹の園。

一重、八重の山吹が黄金色の花を辺り一面に咲き競っている。

白い雪柳と黄金色(きんいろ)に輝く山吹との対比は思わず目を奪われてしまうほど美しい。

 向かい側には、やはり一戸建ての家が建っていて、

この家の庭木はれんぎょうと赤い木瓜だった。

 れんぎょうの黄色い蝶のような可憐な姿と真っ赤な木瓜の華やかさが、

きつい勾配を登る寸前の人の目を和ませてくれるのだ。

 夜、家路を急ぐ時にこの坂道に通りかかると、

自然石に含まれる石英が宝石のように街灯の明かりに輝く。

ふと目を閉じれば、まるで深山の中を歩くような心地になってくる。

 かつての野山の道なき道。武蔵野と呼ばれた山野を不意に想起させる。
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500色の色えんぴつブログパーツ

2010年04月27日 | 日記
ブログ作成にも少しずつ馴れてきたので
今回はブログパーツの貼り付けに挑戦してみました。

選んだブログパーツはフェリシモさんの500色の色えんぴつ
実はこれ全色持っています。
はるか昔に購入して、恐らくいまもクローゼットの奥の方に
眠っているかと。
毎月50色ぐらいがセットで届き
集め終わるのに一年ぐらいかかったでしょうか。
色についてのコメントが書かれた手帳もついてきて
毎月とても楽しみにしていた記憶があります。

ぜひ移りゆく様々な色と詩のように素敵な言葉を
のんびりと眺めていただければ嬉しいです。



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第十四章 椿(つばき)とからすうり

2010年04月27日 | 花エッセイ
 我が家の裏手から私道を抜けて真っ直ぐ進むと、

丁度T地にさしかかる手前、脇道に入る角付近に小さな家があった。

家の周囲をぐるりと塀が囲んでいて、そこで飼われているのだろうか、

いつも猫が一匹瞑想していた。

 その猫のあまりにも超然とした姿に、あれは普通の猫じゃない、哲学猫だと噂したものだった。

 さてくだんの家だが、塀と黒い鉄柵門のところに庭木が植わっていた。

 ことに門構えのところの椿はひときわ見事なもので、春先になると赤い花をつける。

椿は昔から武士の花ともたとえられるように、散る姿が潔い。

 そこの椿もご多分に漏れず、大輪の花が開いたままぽとりと落ちる。

ぽとり、ぽとりと落ちて、やがて入口の石段は赤い花で埋め尽くされる。

おかげでこの家の前を通りかかるたびについ足をとめてしまう。

 その椿と向かい合うようにしてけやきがあった。

けやきは江戸時代から日よけ風よけに武家屋敷などによく植えられていたようだが、

この大きなけやきの木にはからすうりの蔦が絡まっていた。

けやきのどこまでも天に伸びる勇壮な姿によりそうように、

からすうりは枝葉を這い巡らせ、秋になると真っ赤な実をつけた。

 その赤い実が空中にたった一本の蔓から釣り下がっているのである。

これはなんとも不思議な光景だった。

 最初、そんな所に赤い実があるとは思いもしなかった私は初めて目にした時、

少なからず感動を覚えた。

丁度、からすうりという植物を本で知ったばかりの時期だったので、

その符号が余計に私を感銘させたのだろう。

 ちなみにからすうりの花は真っ白いレースのような細い繊維が絡み合ったような感じで、

私は一度も花が咲いているのを見たことがない。

気がつくといつの間にか真っ赤な実が垂れ下がっているのである。
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第十三章 ジャーマンアイリス

2010年04月26日 | 花エッセイ
 同じアパートに住んでいた仲の良い女の子の兄という人はいわゆる花狂いだった。
 
毎日毎日、それこそ厭きることなく庭に出ては植物の手入れをしている。

 部屋の中は観葉植物で占拠され、当人はといえば、押し入れで寝る始末。

 まさに花が恋人と言っても過言ではないぐらい花に傾倒していた。

 その人物から株を譲ってもらったのがこのジャーマンアイリスだった。

 背丈は普通のあやめよりやや小振りで、すっと伸びた茎と鮮やかな紫の花がとても可愛らしい。

 その株を庭に植えてから新緑の季節になると、私は庭に下りていってこのアイリスを摘んだ。

市販の花に負けぬぐらい形の良い姿、虫がつきにくいので、

その意味からも部屋に飾るにはふさわしかった。

 そして私が花を摘んでいると必ず一階に住んでいるおばあさんが声をかけてくる。

 亡くなった夫の仏壇に飾りたいからと摘んだ花を所望するのだ。

 私は喜んで分けてあげた。何せこのアイリス、とても育ちが良くて、

庭半分を埋め尽くす勢いで成長していたので、毎年沢山の蕾をつけたからである。

 ところでわたしはつい最近になるまで、

このアイリスという言葉が虹を表すものだとは知らなかった。

 正しくはイリスというらしいのだが、虹は神の伝達を果たす女神の名前で、

この虹のかけらがこぼれてこのアイリスの花が誕生したのだという。

 だからアイリスにはこの世のありとあらゆる色彩が詰まっているのだそうだ。

 ちなみに虹の花があるように、虹の石というものも存在する。

 オパールがそれで、特にプレシャスオパールと呼ばれる七色に輝く透明な石は

虹の石として珍重されている。

 オパールは他の宝石類に比べ非常に硬度が低く、特に乾燥に弱い。

保存の際にはコップに水を入れたものを側に置いておかなければならないほどだ。

でないと割れてしまうとか。

 本来オパールは無色透明で、あの輝くような虹色は

石の内部の疵による光の遊色効果で生じるらしい。

まさに虹のように最も脆く儚い石は、その疵によって輝きを増すのである。

ただ残念なことにダイヤのように永遠に輝きつづけることはない。

やがてその輝きを失って宝石としての価値も消えてしまう運命にある。

 そのせいか、昔、オパールは結婚式など祝い事で身につけるのはよくないとされていた。

恐らく永遠性を持たないが故に、オパールはそれを身につける花嫁に移ろう心をもたらすと

信じられていたからなのだろう。



※ 現在、オパールは、10月の誕生石であり、パワーストーンにおいては、

 希望の石、変化を呼び込む石として人気があるそうです。

  また、石の遊色効果が感受性の豊かさを現わすとして、恋愛成就の意味もあります。



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第十二章 ミモザ、朝顔~ヘブンリーブルー天上の青~青い芥子(ブルーポピー)

2010年04月23日 | 花エッセイ
 毎年春になるとどうしても手に入れたくなる花がある。それがミモザだ。
 
あの卵の黄身をまぶしたような黄色いぼんぼり状の花を私はこよなく愛している。

 ニセアカシア科のこの花はヨーロッパの春を告げる花で、

ミモザサラダという料理があるぐらい有名な植物である。

もちろんミモザサラダとは卵を茹でて黄身を細かく砕いたものを、

サラダにかけるあの料理のことである。

 このミモザだが一枝部屋に飾るだけで強い芳香を放つ。

私は春になると必ず花屋を探し回ってこの花を手に入れようと躍起になる。

 花持ちが悪く、たいてい一日でしぼんでしまう上、

枯れた葉をまきちらしながら散るので、あまり評判は良くないらしい。

よほど物好きな花屋でもない限りこの花が置いてあるのはまれだったりもする。

 それでも中には珍しい花を好むような店があって、大概がそういった店で購入することになる。

だからミモザを手に入れるのはいつも半ば賭けのような気分なのである。

 小学生の夏休みの課題に朝顔の成長日記というものがあるが、

私が好むのはその朝顔の中でもヘブンリーブルー、天上の青と呼ばれるスカイブルーの花である。

 子供の頃、たった一度だけこの種を手に入れた。

種の袋にあった写真の真っ青な朝顔に私は心惹かれた。

 早速、種をまき、花が開くのを待ったのだが、ようやく咲いた花は何故か牡丹色をしていた。

あじさいもそうなのだが、どうやら土が関係しているらしく、

酸性の土だと赤やピンクにアルカリ性だと青系統の花が咲くのだと

後で聞かされてひどくがっかりした。

 結局スカイブルーの朝顔は夢で終わってしまった。

その後、あの素晴らしい夏の青空のような朝顔の花を見かけたことはない。

 天上の青とは人間の手の及ばない色のことなのだろうかとふと思う。

 青という色は昔から特別視されてきた。

西欧の童話の主人公が何故青い服を着ているのか。

不思議の国のアリスのドレスは青く、メアリーポピンズのスーツもまた青い。

青磁という陶器も珍重されている。そして青い薔薇は世界中の薔薇好事家の夢だという。

 青にまつわる不思議。

 その最大のものが恐らくヒマラヤだけに咲く青い芥子、ブルーポピーだろう。
 
 これも私はまだ一度も実物にお目にかかったことはない。
 
 やはりテレビのドキュメンタリーもので、この青い芥子の特集をしていた。
 
 この青い芥子、地元の人達からは空の色を映した花と言われているそうだ。
 
 確かに青と呼ばれる花は多いが、本物の空の青さを持った花は世界広しといえど、

この花ぐらいしかないであろう。

 ヒマラヤという過酷な自然の中にあって、幻のごとき青さを身につけたのは

一体どんな仔細があってのことだろうか。

 そしてこれもまた人知の及ばぬものだからなのだと改めて感じ入る。

 この花に出会うためには厳しい自然に打ち勝ち、

ヒマラヤを踏破した者だけに与えられる特権なのだろう。

 もし叶うなら一生にたった一度だけ、この花を見にヒマラヤまで行ってみようかと

真剣に考えている。
コメント (2)
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