花にまつわる幾つもの話

子供時代の花にまつわる思い出や、他さまざまな興味のあることについて書いていきたいと思ってます。

お知らせ

2010年05月31日 | 日記
ブログをスタートして二ヶ月が過ぎました。
まだまだつたなく、不慣れな内容にもかかわらず
思いがけずも沢山の方々に目をとめていただき
とても嬉しく思っております。
心より感謝申し上げます。


この二ヶ月間は過去に書き溜めた話を
ひたすら掲載してきましたが
6月からは新作をアップしていこうと思っております。
つきましては、今後は毎日ではなく
週一ペースでのブログ更新になるかと思います。
これまで毎日、足をお運びいただき
楽しみにしていただいた方には大変申し訳ありませんが
その旨ご了承いただければ幸いです。
(ちなみに忙しい週によっては週一ペースでも難しいかもしれません)
また、文章のみならず、今後は植物や私物の天然石画像なども
掲載できるよう努力するつもりでおります。


これからは少しのんびりとした更新となりますが
またぜひとも遊びに来ていただければ嬉しい限りです。
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第一章 川底の青いガラスと紫水晶(アメシスト)

2010年05月31日 | 天然石標本
 長い間、花にまつわる話を書き綴ってきたが、

今回は少々脱線して、天然石についても語ってみたいと思う。

 生まれて始めて私が手にした石は、小学校低学年の林間学校でのことだった。

 澄んだ川底で拾った青い石、そのクリームがかった青は、

バーニーブルーとでもいうのだろうか、私は素晴らしい宝物を見つけた興奮そのままに、

先生にその石を見せたところ、先生もとても珍しいものだと褒めてくれたのを覚えている。

 その後の数年間、青い石は机の引き出しの特等席で、宝物の位置を占め続けた。

 けれどあるとき、長年大事にしてきた青い石が、

実は石ではなくただのガラスの欠片であることが判明してしまった。

恐らく川の底で角が削れて、石に見えるようになったのだろう。

 宝物だと信じていたものが、突然その価値を失う。

大人になるということは、ひどくつまらないことなのかもしれない。

 それと同時に、もしかすると先生は最初からわかっていて、

無邪気で幼い子供の夢を壊さないように、

そっと珍しい石と教えてくれたのではなかろうか、と気づいた。

 いま青い石、ならぬ青いガラスは、まだ私の手元にある。

もはやなんの価値もないただのガラスの欠片だが、

その青いガラスを見るたびに先生の優しさを思い出す。

 それからほどなくして、私は本物の天然石――紫水晶と出逢った。

それは家族で福島まで墓参りに出かけた折、

観光と称して、はとこのおじさん一家が連れて行ってくれた

あぶくま鍾乳洞の土産物屋での事だった。

当時、まだパワーストーンブームには遠く、

まして水晶は日本でも決して珍しいものではない。

幾つかある水晶の山から、私が選んだのは掌サイズにこんもり一塊になった、

淡い紫色をしたアメシストと呼ばれる天然石だった。

値段も子供の小遣いで買える程度だったが、氷の結晶のような不思議な塊に魅了され、

早速、家に帰ってガラスの小箱に綿を敷いて大切に保管した。

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第二十七章 ニオイバンマツリ

2010年05月27日 | 花エッセイ
 小高い丘の頂上にあったアパートから、都会の谷間のような新居に越してきてから、

すっかり植物との縁が薄くなってしまった。

この花にまつわるエッセイを書こうと思い立ったきっかけも、

かつての花の記憶を少しでも留めておきたい、そんな想いにかられたからだ。

そんな中で、この新居に越して初めて出遭った印象深い花が、ニオイバンマツリである。

最初にこの花の存在に気づいたのは、ジャスミンみたいな華やかな香りに誘われたせいだった。

その匂いはどこか懐かしさをよびさまし、後日、調べてみたところ、

なんとあの夜香木と同じナス科の植物。

偶然とはいえ、心魅かれてしまうのも道理だったわけだ。

そして香り以上に、ニオイバンマツリにはちょっとした不思議がある。

時間が経つにつれて花の色が変化する植物がこの世にあるということを、

酔芙蓉という植物で初めて知ったのだが、

酔芙蓉は朝には真っ白い花が咲き、午後になるとその花がピンク色に染まり、

やがて真っ赤になってしぼむらしいが、

それがまるで花が酒に酔ったように見えるので酔芙蓉と名づけられたという。

実はこのニオイバンマツリも同様に、最初は藤色の綺麗な花をつけるのだが、

数日経つと、薄紫色へと変化して、最後は真っ白い花で終わる。

いわば酔芙蓉とは真逆の花ということだ。

ちなみに余談だが、前述の酔芙蓉、実はミステリー小説のアリバイ崩しに利用されたことがある。

なるほど時間の経過と共に花の色が変化する酔芙蓉は、

まさにトリックを見破る絶好の小道具となりえるのだろう。
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第二十六章 咲くやこの花館~青い芥子~(旅行記)

2010年05月26日 | 花エッセイ
 数年前、友人を訪ね夏の盛りに大阪を訪れたことがある。

その年の夏はひどい猛暑で、どこへ遊びに行くのも一苦労。

私が彼女に頼んだ案内先は、かつての花博の跡地、鶴見緑地の「咲くやこの花館」だった。

 勿論、私の目当ては青い芥子。

大阪で花博が開かれた頃、まだ学生だった私は、

憧れの青い芥子や世界三大珍花の一つであるラフレシアなどに胸を踊らせたものだった。

けれどそこはしがない学生の身、

たかが花ごときにわざわざ高い旅費や宿泊費をかけて行くことはかなわず、

結局、足を運ぶことなく終わってしまった。

 さて、鶴見緑地は大阪市内でも少々不便な場所にあり、

大阪の友人もまだ行ったことがないという話だった。

 ガラスで覆われた巨大な温室、平日の昼間だったせいか人気も少なく、

フラワーホールと呼ばれる一階中央広場には、噴水が涼やかに水飛沫を吹き上げ、

外界とはまるで別世界だった。

 早速、友人を伴い念願の青い芥子が咲いている高山植物室へ。

ひんやりとした空気に包まれた小さな温室で、

明るい陽射しを一身に浴び、青い芥子はひそやかに咲いていた。

数にすると数十本程度だろうか。

昔、テレビで見たあのスカイブルーの鮮やかな青がそこには確かに存在していた。

 この青い芥子、学名をメコノプシス属という。

花の形によって多少学名が異なり、

メコノプシス・ベトニキフォリアやメコノプシス・グランディスが

特に青い芥子としては有名である。

他にもスカイブルーというよりやや群青がかったメコノプシス・ホリデュラなんかもある。

 私の周囲には三脚を立てたアマチュア写真家らしい人が数人、

その美しい花をカメラに納めようと熱心にレンズをのぞきこんでいた。

陽に透ける青く透明な花弁を写し撮るため、私も負けじとカメラのシャッターを押す。

 こうして私は長年の憧れだった花との対面を叶えたわけである。

 続いて訪れたのは熱帯花木室。

こちらには珍しい南国の植物が植えられていて、

ことに私の目を惹いたのは温室の屋根まで届きそうなほど巨大な

タビビトノキと呼ばれるバナナにも似た葉を持つ扇状の植物だった。

名前の由来は、鬱蒼としたジャングルで一際背が高いから旅行く人の目印になるからだとか、

あるいは葉鞘部に水が溜まり旅人がこれを利用したからだとか諸説言われている。

 ちなみにこのタビビトノキ、数年経てから、

現在住んでいる地元の花屋で鉢植えとなったものに遭遇した。

私は思わず手に入れたい衝動にかられたが、

散々大きくなりすぎて困っている我が家の植物事情に泣く泣く断念したのである。

それからほどなくして、同じ花屋をのぞいてみたら、

タビビトノキは既に誰かに買われた後だった。
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第二十五章 染井吉野

2010年05月25日 | 花エッセイ
 染井吉野が満開になる頃、私はよく仕事の帰りに花見がてら一駅歩く。

堀沿いに咲く薄紅色の桜並木は、それは見事な景観で大勢の花見客が私同様桜に誘われ、

そぞろ歩いたり、宴会を繰り広げている。

中には外国の方もいて、見惚れるように足をとめている様には少しだけ誇らしくなってしまう。

 日本列島がピンク色に染まる季節。

普段は全く意識したこともないくせに、何故かこんな時ばかり、

日本人に生まれてきて良かったとしみじみと思ってしまうのだ。

 桜は日本の国花。きっとそれぞれの国でお国自慢の花があるのだろうが、

私はやはり桜のなんとも心浮き立つような雰囲気が好きだ。

 桜の園を歩いていると不思議と嫌なことが忘れられる。

きっと桜の精気が人を癒してくれるからなのかもしれない。

 桜の花が持つ高揚感は、開花するまで人々を散々やきもきさせつつも、

散り際は鮮やかなせいかもしれない。

永遠ではないからこその愛おしさ。
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