宮本甲斐という男
思えば長い付き合いだ
大学2年の夏の白樺湖の合宿で話したのが初めてだったと思う
速いもの順でグループ分けされていたので大学時代に話すことはほぼなかった
ガサツでいじられ役、よく寝坊するという印象だけがあった
入社をして1年後、まさか入ってくるなど夢にも思わなかった
彼が入社をして1年目、3月の国士舘競技会
雨が降ってかなり冷え込んだのを覚えている
私は怪我で出場できなかったがチームは10000mで29分台を出すためにペースメーカーを付けて臨んでいた
ペーサーが3分ペースを刻めなくなり彼が前に出た、後ろには誰一人として着こうとする者はいなかった
そんな状況でレースが終わった
入社間もない彼は「なぜ29分台を出すと言っているのについてこないんだ」と既存部員を一喝
これは今でも語り草だが、「いいところ突くなぁ」と思ったのを覚えている
それ以降、彼はしばらく沈み苦戦していた
私が持っていた彼の印象を正直に言うと
持論が強く、目的地に対して明後日の方角に進んで行くという印象だった
競技に対しての理解度がイマイチで、
何か提案しても
「まあそうなんでしょうけど僕はやりません。できません。やろうとも思いません。それができr」みたいなスタンスだった
ただ秘めた力はあり、気づきがあれば一瞬で強くなれるだろうなと感じていた
才能というか秘めた力を持つ者はそうしたもんで、発揮せずにいなくなってしまうんだろうなと思っていた
しかし、28分台と13分台の両方をだした
ラストイヤーでは安定感も出てきた
理解すればどんなに持論とかけ離れた意見も素直に受け入れて
「そうか、そうだよな」と言える選手でもあったことがこうした結果に繋がったのだと思っている
昨年の金栗記念で一緒に走った10000m
かなりのハイペースで進みお互いに死力を尽くして走った
何度か先行されて負けが色濃く過ぎったのを覚えている
最終的には勝てたがいつもならガクッと落ちるところを粘り29分一桁でまとめた所から
今年は何か違うな と感じた
今年度でのベスト更新は叶わなかったが、本人も言うように強さを獲得したと思う
沢山の距離を彼と走り、沢山の試合をともにやり切ってきた
入社時とはまるで別人のようになった彼を最後のニューイヤーのゴール地点で迎えた時に感慨深くなり、彼を陣地に送った後思わず泣いてしまった
子を持つ親の気持ちは多分こんな感じなんだろうなと密かに思った
監督に噛み付いたり、よく分かんないところで悪態をつかれその日のうちに謝罪されたり
レースでタレ散らかしても反省しなかったり、動画でネタにされたり、頻繁にタメ語で話されるのに謎のタイミングで「今、タメ語でしたよね笑笑すいません笑笑」と言われたり、TPOわきまえず叫び出したり、SNSの投稿でやらかして監督と揉めたり、駅のホームでランパンを履き替えようとしたり、同室のホテルの浴槽で靴を洗ってたり
粗相を挙げたらキリがないくらいの超問題児
そんな彼がニューイヤーで一切の妥協をすることなく駆け抜けたあのシーンは感動という言葉では表せないものがあるのも当然だ
山ほどのくだらない話をして
小石程度の真面目な話をした
どんな時もリスペクトを持って接してくれていたし私自身も彼をリスペクトしていた
最高に楽しい時間を共有できて感謝している
今までの粗相を清算して余りある
4月から教壇に立つ
まだ実業団で続けようと思えば戦力だし今年も自己ベストを更新できるだろう
他者からみれば勿体ないと思うのかも知れないが自分の人生に責任を持てる人は自分の他に誰もいないのだ
だから納得して選んだ道であれば応援したい
特にしてやれることはないのだが、、、
上手くいったらそれに越したことはない
上手くいかなかったら愚痴を聴いてやろう
そして「お前が悪い」と言ってやる
きっと上手くいく
だからこれからも宮本甲斐という人生を送ってほしいと願っている
また明日と言いたいが
また今度