舞台への道
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「Lamia」(1905年)
郁子さんの記者会見が放送された日、私はやってきた長柄さんと二人でテレビを見ました。長柄さん珍しく酔って来ましたので、ときどき妻が出入りして二人の酒の世話をしてくれました。記者会見は昼過ぎでしたが、私たちは夕方の特集番組で仔細を知ることになりました。前の席に並んで座っていたのは、仙女さん、郁子さん、お父さん、喜多川さんの4人でした。司会進行の係りをしたのはテレビ局の女子アナでした。・・・では、これから記者会見を始めます。先ず初めに中村仙女さんと坂本郁子さん、喜多川信夫さんに一言ずつお話しいただきたいと思います。では、中村仙女さんからお願いします。ご質問はお話がすべて終わってから受け付けたいと思います。ご質問は簡潔にお願いします。それからご質問の内容によっては、お答えがいただけない内容もあるかと思いますので、その点予めお断りいたします。
そういう前置きがあって、仙女さんから話し始めました。急に事態が進展したことのついての事情説明と2代目への期待を簡潔にゆったりと話し、すぐに喜多川さんにバトンタッチしました。喜多川さんは2代目は一皮むけた新しい仙女像をご披露しますのでよろしくご支援ください、とこれまた簡潔に挨拶をし、郁子さんの方にそっと手を乗せてにこっと笑いました。緊張していたお父さんの表情がそのとき和らぎました。
・・・私は、今まで別の劇団で裏方一筋で努力してきました。しかし、心の中では母の芸を強く意識していました。母の舞台を何度か見ているうちに、もしかして私が舞台に立つ日が来るのでは、と思うようになりました。ですから母の芸の道については多少分かる・・・いや、こう言えるような私ではありません、すべてはこれからの厳しい修業にかかっています、そのことだけはよく分かっています。地方回りの役者から皆様のお蔭で中央の舞台に立たせていただくことができました。私は、その皆様のご恩は決して忘れません。私は、これからそのご恩に少しでも報いるために誠心誠意精進を重ねたい思いますので、どうかよろしくご支援をお願いいたします。
話が終わると質問が始まりました。・・・母娘だということを今まで公表しなかったのはどういう理由からですか。女性記者が最初にそういう質問をしました。即座に喜多川さんが引き取って答えました。・・・深い理由はございません。ただ、そういう機会がなかっただけです。女性記者は遠慮したのかそれ以上追及はしませんでした。続いて別の男の記者が質問しました。・・・中村仙女さんにお願いします。まだ、お若いと思いますが、どうして2代目ということを考えられたのですか。仙女さんはにこっとして答えました。・・・長い間舞台に立っていますと、不意に寂しくなることが何度かありました。皆様の篤いご期待に何時まで応えられるだろうかと、そんな思いにとらわれるのです。由緒ある中村という名前を絶やしては申し訳ない、そういう一心からでございます。
二人で遣り取りをずっと聴いていた私は、郁子さんがもう立派な舞台人としての風格を身につけていることに気づいて、どきっとしました。
長柄さん、大丈夫だね。うん、うん、大丈夫。母親より大きくなるよ、きっと。
そうかなあ、まだまだ、・・・これからが大変だよ。おい、お前は女に甘いなあ。
ちょっと、酒が過ぎてるんじゃないの。
酒の勢にするのか。
テレビ視てて、ぐっとくるものがないのか。
来てる来てる。ぐしょぐしょだよ。
なにが。
もう、嬉しくてね。
そうだろう。郁子という舞台人のデビューだよ。
郁子、郁子と気安く言うな。
お母さん、嬉しいだろうね。
ほら、お前は甘い。
何とでも言ってくれ。私はそう言いながら自分も随分酔っていることに気が付きました。
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ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「Lamia」(1905年)
郁子さんの記者会見が放送された日、私はやってきた長柄さんと二人でテレビを見ました。長柄さん珍しく酔って来ましたので、ときどき妻が出入りして二人の酒の世話をしてくれました。記者会見は昼過ぎでしたが、私たちは夕方の特集番組で仔細を知ることになりました。前の席に並んで座っていたのは、仙女さん、郁子さん、お父さん、喜多川さんの4人でした。司会進行の係りをしたのはテレビ局の女子アナでした。・・・では、これから記者会見を始めます。先ず初めに中村仙女さんと坂本郁子さん、喜多川信夫さんに一言ずつお話しいただきたいと思います。では、中村仙女さんからお願いします。ご質問はお話がすべて終わってから受け付けたいと思います。ご質問は簡潔にお願いします。それからご質問の内容によっては、お答えがいただけない内容もあるかと思いますので、その点予めお断りいたします。
そういう前置きがあって、仙女さんから話し始めました。急に事態が進展したことのついての事情説明と2代目への期待を簡潔にゆったりと話し、すぐに喜多川さんにバトンタッチしました。喜多川さんは2代目は一皮むけた新しい仙女像をご披露しますのでよろしくご支援ください、とこれまた簡潔に挨拶をし、郁子さんの方にそっと手を乗せてにこっと笑いました。緊張していたお父さんの表情がそのとき和らぎました。
・・・私は、今まで別の劇団で裏方一筋で努力してきました。しかし、心の中では母の芸を強く意識していました。母の舞台を何度か見ているうちに、もしかして私が舞台に立つ日が来るのでは、と思うようになりました。ですから母の芸の道については多少分かる・・・いや、こう言えるような私ではありません、すべてはこれからの厳しい修業にかかっています、そのことだけはよく分かっています。地方回りの役者から皆様のお蔭で中央の舞台に立たせていただくことができました。私は、その皆様のご恩は決して忘れません。私は、これからそのご恩に少しでも報いるために誠心誠意精進を重ねたい思いますので、どうかよろしくご支援をお願いいたします。
話が終わると質問が始まりました。・・・母娘だということを今まで公表しなかったのはどういう理由からですか。女性記者が最初にそういう質問をしました。即座に喜多川さんが引き取って答えました。・・・深い理由はございません。ただ、そういう機会がなかっただけです。女性記者は遠慮したのかそれ以上追及はしませんでした。続いて別の男の記者が質問しました。・・・中村仙女さんにお願いします。まだ、お若いと思いますが、どうして2代目ということを考えられたのですか。仙女さんはにこっとして答えました。・・・長い間舞台に立っていますと、不意に寂しくなることが何度かありました。皆様の篤いご期待に何時まで応えられるだろうかと、そんな思いにとらわれるのです。由緒ある中村という名前を絶やしては申し訳ない、そういう一心からでございます。
二人で遣り取りをずっと聴いていた私は、郁子さんがもう立派な舞台人としての風格を身につけていることに気づいて、どきっとしました。
長柄さん、大丈夫だね。うん、うん、大丈夫。母親より大きくなるよ、きっと。
そうかなあ、まだまだ、・・・これからが大変だよ。おい、お前は女に甘いなあ。
ちょっと、酒が過ぎてるんじゃないの。
酒の勢にするのか。
テレビ視てて、ぐっとくるものがないのか。
来てる来てる。ぐしょぐしょだよ。
なにが。
もう、嬉しくてね。
そうだろう。郁子という舞台人のデビューだよ。
郁子、郁子と気安く言うな。
お母さん、嬉しいだろうね。
ほら、お前は甘い。
何とでも言ってくれ。私はそう言いながら自分も随分酔っていることに気が付きました。
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