80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

年の瀬、この頃、思うこと (1)  ルソー 第三の散歩

2016年12月02日 05時48分21秒 | 考える
ルソー「孤独な散歩者の夢想」
第三の散歩
死ななければならない時になって、本当は、どんな生き方を
するべきだったのか学んだところで、間に合うだろうか。



その力が無いと思っているのに、意に反して当てにされる苦痛。 
努力すればするほど、自分の無力さがはっきりしていく苦痛。
せめて自分だけは他人を頼らずに生きていきたいと思う。

逆に、当人はその資格があると思い、やる気満々なのに、
徹底して無視され続ける。

それが、希望と現実とのギャップ。 

つまるところ、物事は成るようにしか為らない。
他人が、そして自分ですら、どうのこうの言う問題ではない。
もしかすると、私は、自分の言葉を聴いてくれる相手が
欲しいだけなのかもしれない。
 

他人を見て、自分と比較するから妙な具合になる。
私がどう思おうと、どう動こうと、相手には何ら変化はない。
多分、私と彼との違いが、はっきりするだけのことだ。 
その事で、彼が、そして私が、どうにかなるというわけではない。

もっとも、それすら、こちらがそう思うからそう見えるだけの
ことなのかもしれない。
 

今さら、私が相手の影響力でどうにかなるというものでもない。
相手にとっても、私の影響力など一切無いというのが本当だろう。
 


「ノートより (8月)」 
いつかは必ず訪れる「死」に対して、こうあるべき、または
こうあらねばならないという思い込み、それもまたよかろう。
しかし、人は、何十年生きようとも、最後は死ぬべき存在なのだ。
そのうえ、自分の死後には、これっぼっちも関わりようがない。
(入院に際して思う。)