80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

アリバイ・存在証明

2016年12月30日 07時48分37秒 | 考える
12/29(木) 晴れ

朝、食事中に使っていたスプーンを飲み込みかけて、目を白黒・・・。 
作り話のようだが、本当の話。


何かの加減で、喉の奥に押し込んでしまったようだ。
さすがにおっちょこちょいの私でも、本当にスプーンを飲み込んでしまう
ことはできずに、事なきを得た。


これはさすがに人生初の出来事ではないかと思ったが、よくよく考えてみると
そうだったのか・・・? などと、首をひねってしまうのが、また何とも情けない。

年末・・・、何か、ここに来て、目標が、見えなくなってしまった。
来年の自分が、ほとんど読めない・・・!!


とってつけたような能力アップは、もうあきらめ、このまんま、単純に、
へんてこりんな人間でいてみようか、
・・・などとというのは駄目だろうか? 

12/30(金) 晴れ

7:00 薬を飲む。
自己分析(?)・・・一応、病人なんだったと思う。

薬を間違えず、私に手渡してくれる人がいる。
薬を調合してくれる人がいる。
診断して薬を指定してくれる先生がいる。

人と人とのつながり。
おかげさまで、私は、今日も元気で、ぶらぶらと 「風来居士」 を演じていられ
るというわけだ。


人と人とのつながりに感謝 !! 
人との触れ合いに万歳 !!


そのくせ、他人との関わりを恐れる理由・・・。

人から何かしてもらう。
まぁ、それはそれで良しとしよう。

が、その返礼に何かせねばと思う。
何をするべきか?
それを、いつも考えてしまう。
 

そもそも、私は、他人の好意に値するものを持っているのだろうか?
・・・何も無い。
何も出てこない。

ずっと、それが積み重なり、しこり (強迫観念) になっている。

「ずう~っと、他人から恵んでもらって、平気で生きていくだけなのかね。」
このところ、頭の隅に住み続け、居座っている 「名も知らぬ老人」 が問う。

私のプライドはギョッとして、激しく首を 「横に」 振り続けるばかり。 

そんなイメージが付きまとって離れない。

居士・・・仏教用語
在家のまま、仏門に帰依した男性。
男性の戒名の下に付ける称号。
それを信条とする人。
<一言居士> ・・・ これかも!!
<慎重居士> ・・・ 私の場合、少なくとも、こちらではないな。

いつも風来故事と書きかけてしまう。
自分の名前が分からずに「辞書引き」・・・。
何とも情けない話だ!!

「故事来歴」からの連想。
故事・・・昔あった事柄。 古くから伝わっている事柄。
こちらはちょっと名前として使うには抵抗がある。

しかし、伝記などを読んで、生き方を真似てみる、真似しようと試みる。
他人の人生を再構成して生きてみる。
私の生き方とはちょっと違うが、そんなのも案外いいかもしれない。

もっとも、人真似をしようとしても、所詮、自分の人生を生きることから
離れることなど決して出来はしない。


この歳になって、無理やり、自分がやりたくもないことをやる必要などない
のではないかと思う。


とは言え、逆に何もせずにグズグズと歳を重ねていくのも、何かもったいない
ような気もする。


今頃・・・?
今さら・・・?

そう、だって仕方ないじゃないか !!  
やっと今、気が付いたんだから・・・。

で、来年は、何をしたらいいと思う・・・?