クラシックな音楽的生活

日々、家の中にヴァイオリンとピアノの音が流れています。

付属高校に入学後の下の娘について その2

2013-09-03 | 下の娘ごと

ピアノは3才、ヴァイオリンは5才から始めるのが普通な世界で、

10才からピアノを始めるというのは相当遅い。

もちろん、楽しくお稽古して、細く長く続けて行きたいというのなら、

何才から始めようが全く問題ないですけれど。

私もそのつもりだったのです、そもそもは。

ヴァイオリンのレッスンとその練習が大変なのに、

ピアノのレッスンまで厳しくて、辛く感じるようになってしまったら、

意味がないと。

ピアノはあくまで、ゆるく楽しめるものであってほしかった。

当時、下の娘に何度か確認したものです。

「ヴァイオリンとピアノとどっちを頑張りたい?」

「ヴァイオリン! ヴァイオリンは小さい頃からすごく頑張って来たから、

 やめたくない。」

だから、ピアノの先生にも、楽しめる程度にとお願いしていました。

もともと、ヴァイオリンの先生の関係で知り合いになった方なので、

その辺のことは承知してレッスンしてくださいました。

余談ですが、この方は現在、超有名ピアニストさんのアシスタントとして、

日本で活躍してらっしゃいます。

今振り返ってみて、それなりに思うところはあります。

先にヴァイオリンを始めたからヴァイオリンを頑張ってきたけど、

違う!この子はピアノだ!という直感に従って、

ヴァイオリンの方を緩めて、ピアノの方に力を入れていたとしたら・・・

でもやっぱり違うな。

あの時は本人の意思もそうだったし、

環境もそうだったし、周りのみんながヴァイオリンに目が行っていた。

あの頃はしっかりヴァイオリンを頑張って正解だったんだと思う。

上海に来て、ヴァイオリンをロシア人の先生に習うようになると、

状況は少し変わってきました。

ロシア人の教育は厳しいことで有名ですが、

ご他聞にもれず、この先生も大変厳しかった。

まず、先生のお眼鏡に適わなければ、見てくださらない。

最初に試験があって、上の娘はすぐにOK。

下の娘の方は、「弟子が見る。」と最初言われました。

でも思うところがあったようで、

すぐに「やっぱり自分が見る。」と言い直されました。

音程にそれはそれは厳しいロシア人の先生でしたが、

上の娘は食らい付いて、めきめき上達。

下の娘は、プロに求める正確すぎる音程に反応しきれず、

進みが明らかに遅くなっていきました。

一方で、ピアノの方は、上海でも良い先生に巡り会うことができ、

相変わらず順調でした。

失礼ながら、新しい先生にも、

ヴァイオリンに重きを置いているので、ピアノは楽しめる程度で、

とお願いしました。

でも、続けていくうちに、

「もったいないです。」と言われました。

音大付属高校を受験することを薦められました。

ピアノを始めたのも相当遅かったし、

レッスンも練習も抑え気味にゆるりゆるりとやってきただけなので、

技術は全くないような状況。

それでも、奏でる音が違う、音楽性が違う、とおっしゃるのです。

5歳の頃から、娘のすべてのレッスンに付き添って来た私ですから、

もうその頃には十分すぎるほどわかっていました。

この子はピアノなんだということは。

だけど簡単には決断できませんでした。

5才から現在に至るまでヴァイオリンを続け、

アマチュアながら、長くオーケストラのコンマスも務め、

弦楽四重奏にも携わり、ヴァイオリンへのこだわりがもはやプロ並みな夫。

娘2人にはこのまま長く続けてほしいと思っているのは、

火を見るより明らかです。

そして、頑張っても思うように弾けず、辛いのに、

ヴァイオリンをやめると言えない娘。

彼女にも小さい頃から頑張ってきたという自負があるのでした。

でも、もうぎりぎりのところまで来ていました。

進路を考えなければならない時期に入ったのです。

下の娘も中学3年生になっていました。


あ~、今日もやっぱり長くなってしまった~

この後、受験に至るまでの葛藤、受験直前の猛練習、受験本番については、

「上海Chinoiserie」にしつこいほど書いているので、

もしも興味がおありでしたらそちらをご覧くださいね。

ここでは割愛。

明日は、音大付属高校に入学後、最初のピアノレッスンで起こったことについて、

書きたいと思います。


今日午後3時ごろの空。





ランキングに参加しています。
ぽちっとしてくださると嬉しいです!