しのの気まぐれ日記

(たぶん携帯から)つれづれなるままに書込みします。
ツッコミOK!!(カマン)
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TOKEI

2006年02月10日 12時30分50秒 | 資料話?付
以前あるチャットで、琵琶湖疎水の話題になり、東京を[東京]を[TOKEI]と書くのは文化人の間では[トウケイ]の読みをされていた。
と言う話が出たのですが、もしかしたら庶民の間でも[トウケイ]読みのほうが一般的だったのかもしれないと思いました。
まあ庶民と言っても東京に住んでいる人達なので、地方より識字率も高いし文化的と言えなくもないと言うこともあると思いますが・・・。
そう思ったのは明治前半の新聞広告の住所にローマ字が付いているものの多くが[TOKEI]と書かれているからなんですけどね。
一般的に良く使われていなければ、そんな風には書かないんじゃないかと思ってみたり。
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訂正

2006年02月10日 01時04分11秒 | 資料話?付
以前、沼間さんのお孫さんが『大きくなったらお祖父様のようになりたい』と言ったと紹介したんですが、実のお孫さんではありませんでした。
沼間さんは実子がいなかったそうで、甥っ子の敏朗君を養子にもらったのだそうです。
お孫さんの話は、その敏朗君の子供さんでした。
実子がいなかったと言っても、結婚はしてらしたので奥さんはいらしたようです。
もともと沼間さんの写真とかはなかったそうなんですが、震災で守一さんの未亡人の方が住んでいらした牛込の家が焼けてしまって沼間さんに関する資料もほとんど焼けてしまったようなんですよね。残念。でも奥さんは無事だったようなので良かった。

そういえば、沼間さん家の墓は上野寛永寺にあるのですが、一度場所を移転しているのです。
で、移転の際墓を開いたそうなのですが、立派な刀が一振り出てきたそうです。
…一緒に戦った刀なのかなぁとちょっと思いました。


●おまけ(ちょっと褒められすぎな演説評)
『沼間の弁舌は流暢ならざりしも、一種の風格ありて、聴者を感動せしむるの力ありき、常に粗衣を着し装飾に意を用ひざりしかば、一見田舎漢の如き風ありしも、眼光爛々として人を圧するの勢あり、演説する時は、一種の気取り方をなすを以て、人評して団州(団十郎)張りの演説と云へり、機警の語口を衝て出て、江戸っ子の風貌躍々として現はれ、聴く者皆溜飲の下がるを覚えたり。』
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