しのの気まぐれ日記

(たぶん携帯から)つれづれなるままに書込みします。
ツッコミOK!!(カマン)
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灯台の日

2010年10月24日 17時37分05秒 | Weblog
一個前の記事で、灯台の日記念講演会を書きましたが、明治村にある『品川灯台』も、その日に近い二週間の土日の年四日間だけ中に入れるのです。
なので、入ってきました。
狭って感じです。
人出も多かったです。
つーか、あの辺りにいっぱい人が居たの初めて見たかも。

昨日は、北里柴三郎記念ツアー→灯台の日特別講演会→品川灯台
だけで、終わっちゃいました。
でも、どれも楽しかった~O(≧∇≦)o
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灯台に見る日本の近代

2010年10月24日 17時22分46秒 | Weblog
特別講演会『灯台に見る日本の近代』は11月1日の灯台の日を記念して行われたようです。
募集用紙に『灯台には、ロマンだけではなく、国際情勢の反映や、地域の歴史、近代技術導入の仕方など、日本の近代も見える。』となってて。
気分的には『ストライク!!』って感じでした。
講演会会場は『三重県庁舎』の2階で、人と行くとよく舞踏会ゴッコとかやる部屋だった。
講師は、東京工業大学の藤岡洋保先生。
主催は、第四管区海上保安本部。
進行役も海上保安庁の人。

本日の講演会の目次は以下。
1.御雇い外国人による灯台建設
2.日本人技術者による灯台建設
3.灯台の立地及び建設
4.灯台の建設技術
5.まとめ

日本人技術者による~って項目があるから、工部大学校の語り部【絢彦】が出ることを期待したらビンゴ!!
思ったよりいっぱい出た!!

とりあえず一章から、箇条書で。
・日本で初めての灯台はフランス人作、しかしその後イギリスにとって代わられる。
・フランス人の名はヴェルニー。
・8基の灯台を日本に作る。
・最初は長州の戦争賠償金がわりに幕府は灯台建設を承知させられた。
・列強の定期航路開拓に必要不可欠っぽい。
・この前年にスエズ運河の開設が決まった事も関係してそう。
・明治になると、かの(一部で)有名なブラントンにとって代わられるます。
・ブラントンを雇って日本に送ったのはスティーヴンソン兄弟。
・最初、日本政府(商務省)はイングランドの『トリニティハウス』に依頼したら、色々理由を付けて断られた。
・で、スコットランドの『スティーヴンソン兄弟』に依頼したら二つ返事でOK。
・既に東南アジアで活動しているから、地震対策もOKだよ、って。
・灯台建築はイングランドとスコットランドで形式が違う、スティーヴンソン兄弟はスコットランド系なので、日本の灯台はスコットランドっぽい。
・スティーヴンソン兄弟は技術者を募集。
・選ばれたのは実はブラントンでなく【ハミルトン・ルイス・スミス】という人だったが、スミスさんはインド行を希望したので、次点のブラントンが日本に来ることに。
・スティーヴンソン一家は代々、灯台建築一家。
・ブラントンは日本に来る前に、このスティーヴンソン一家に灯台建築についてのノウハウを叩き込まれたらしい。
・スティーヴンソン兄弟の末弟は『宝島』とかを書いた作家。
・建築一家としては落ちこぼれだったらしい。
・まあ、スティーヴンソンさん家は、そのくらいで。
・最初、灯台の管轄は商務省だったが、M3から工部省灯台局へ。
・M3~11の間、工部省の予算の20~45%が灯台用。
・灯台は大きく分けて、木造・石造・煉瓦造・鉄造・コンクリート造・鉄筋コンクリート造に別れます。
・初期は煉瓦造が多かったようです、横須賀の製鐵所で煉瓦も作ってたから。
・灯台の隣には大抵灯台守の吏舎があるが、日本の吏舎はスコットランドのものより屋根を急勾配にすることにしたようだ。
・スコットランドは激しい雨が余り降らないので、スコットランドと同じ様に作った初期のものは雨漏りがするようだ。
・吏舎に住む灯台守は最初はイギリス人だったので、吏舎は日本におけるかなり初期の洋風建築。
・そういえば、角島灯台(石造)の材料の石は秋穂(あいお)産だって言ってた、どこかで聞いたことがあるなと思ったら、山尾の出身地じゃん。
・秋穂へタクシーに乗って行った時、タクシーの運ちゃんは山尾を知らなかった。
・まあ、予想の範囲内だ。
・犬吠埼の灯台は鉄造で、八幡製鐵所製だったらしい。
・錆を日本製鉄で成分分析して判明したらしい。
・何故、八幡製鐵所製の鉄か分かるかといえば、成分が中国の鉄鋼石だったためらしい。
・八幡製鐵所は近くに石炭が出て、中国から鉄鋼石を輸入するのに便利なので、アノ場所にされた。
・鉄造の灯台は北海道に多いらしい。
・金は掛かるけど、工期が短くできるから。
・灯台建築は金が掛かるので、北海道は後回しにされそうになっていたので、北海道は自分所の予算で作る。
・全予算の25%を超してたらしい。
・そういえば、北海道は石橋絢彦の灯台も多いと聞いたので、いつか見に行ってみたい。
・あ、絢彦は写真付で出て来ましたよ。
・工部大学校繋がりで、金吾も出てきた。
・日本はスコットランド系灯台だったのに、絢彦が学んだのはイングランドのトリニティハウスだったらしい。
・あ~後、日本人技術者に藤倉見達さんという方がいらっしゃるのですが、この人とは仲が悪かったらしい。
・そんな感じでWW2の頃まで話を聞けた。
・今の樺太にある所の灯台が綺麗だった。
・その灯台を作った技手【三浦忍】が最後に作るのに関わってた灯台が、沖之鳥島の『南方測候所』
・多分、海軍が関係してそう。
・今でも、その基礎が沖之鳥島の周りにあるそうだ。
・でも、もし完成していたら、あそこはアメリカ領にされてただろうな。

そんな感じの講演会でした。
凄く楽しかったですよ。
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北里柴三郎記念展、他

2010年10月24日 00時06分32秒 | Weblog
先週の記念講演会に行けなかった(忘れてた)ので、今日あった30分のガイドツアーを見て来ました。
・・・スッゴク楽しかった。
いや、北里先生も皆から愛されてるね(^_-)≡☆
第一回ノーベル賞の最終候補に北里先生が残っていたとか(50年経つと公開自由になるから、そういう事も分かるんです)、結局選ばれたのは北里先生と共著で書いた論文でドイツ人の相手だけが取ったとか、この器具を北里先生が考案するまで世界の誰も嫌気性の菌の培養に成功しなくて、この器具を使って皆新発見をしてノーベル賞を取ったんだとか。
まあ、ほとばしる暑い(暑苦しい)愛。
そういえば、以前は展示があった譲吉の写真が無くなってた。
北里先生の弟子だらけになってたからかな?
後、ビデオ上映してた、超煩い場所で。
熊本テレビの『肥後のカミナリ 北里柴三郎』って番組。
めちゃめちゃ楽しいよコレ。
しかも、何気に豪華。
北里先生は知らん人だけど。
奥さんは宮崎淑子
お母さんは水前寺清子
北里先生の後押しをしていた福沢諭吉は、なんと長門裕之さんだったのですよ!!
あと圭介と一緒で適塾出身の長与さんや、ガタの主治医をやってた石黒さんとかも出て来て、興味のタネがあちこちに(笑)。
そんな感じで北里研究所の建物でかなり時間をとられたんですが、出た所で今日、灯台についての特別講演会があると広告を配っていたので、昼食を屋台のカレーパンに変更。

講演会の内容は長くなるので、次で。
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