本でも映画でも、気に入ると何度でも繰り返し読み、観ます。
愛読書のひとつがトルストイの『アンナ・カレーニナ』です。
トルストイの作品は人物の造形が実に素晴らしい。
主人公はもちろん、脇役に至るまで、
文章からそれぞれの人物の姿形が、視覚的に浮かび上がってきます。
恋だけでなく、宗教、倫理、政治、農業、身分制度、あらゆることが描かれた小説です。
アンナは夫と息子がありながら、ヴロンスキーを愛し、家を出ていきます。
アンナは息子に会いたい気持ちを抑えることができません。
とうとう息子の誕生日に、人目を忍んで会いに行きます。
『アンナはむさぼるようにわが子をながめていた。
自分のいないあいだに、わが子がすっかり大きくなって、変わってしまったのを見てとった。
アンナは毛布の下から出ている、いまやこんなにも大きくなっているあらわな足に、
見覚えがあるような、ないような気がした。
そのやせこけた頬や、前にはよく接吻してやった、
頭のうしろの短く刈った巻き毛には、見覚えがあった。
アンナはそれらを残らず手でさわってみながら、ひと言も口がきけなかった。
涙のためにのどがつまってしまうのであった』
『アンナはさようならといえなかった。しかし、母の顔色は、そのことを語っていたし、
セリョージャもそれを悟った。
「かわいい、かわいいクーチックちゃん!」
アンナは、小さいときに呼んでいた名をいった。
「ママのことを忘れないわね?坊や・・・」
アンナはもうそれからさきをいうことができなかった。
あとになってから、アンナはわが子にいえばよかった言葉を、
どんなにたくさん思いついたことだろう。
でも、今はなにひとつ思いつかなかったし、いうこともできなかった。
しかし、セリョージャは母が自分にいおうと思ったことを、なにもかもすっかり悟った。
母はふしあわせであり、自分を愛してくれていることを悟った』
(『アンナ・カレーニナ』 著:トルストイ 訳:木村 浩、新潮社)
最初に読んだのは18才。読後の感想は毎回少しづつ異なります。
このような本に出会えたのは、人生におけるひとつの幸せであると、この年になって思います。