獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その31)

2024-12-13 01:12:00 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
〇第六章 性善説という病
●第七章 現代に生きる大川周明
 □「自国の善をもって自国の悪を討つ」
 □自己絶対化に陥らないためには……
 □各国・地域で形成される「国民の物語」
 ■日本に残されたシナリオは何か
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第七章 現代に生きる大川周明

日本に残されたシナリオは何か

日本を取り巻く国際環境はますます厳しくなっている。中国、韓国、北朝鮮、ロシアなど近隣諸国との外交は「八方塞がり」で、1940年代のABCD(アメリカ・イギリス・中国・オランダ)包囲網を想起させる。頼みの日米関係もBSE(牛海綿状脳症)問題のみならず、普天間基地移転、グアムへの海兵隊移転の費用負担に象徴的に現れた米軍再編問題という日米安保の根幹で不協和音が生じている。「小さな政府」、規制緩和という新自由主義的改革が、結果としてアメリカを利するものであるとの意識も強まってきた。このような状況で嫌米感情が国民の間で拡大している。筆者はイデオロギー的な親米も、感情的な反米も同じくらい危険と考える。ソ連型共産主義というイデオロギーに基づく脅威が存在したときには、イデオロギー的反共主義=親米主義は日本の国益に適った。しかし、ソ連が崩壊してもう15年になる。冷戦時代の親米主義が通用しなくなったことについて改めて議論する必要すらないと思う。65年前、われわれの祖先は、アメリカから追い込まれ、やむを得ぬ事情で戦争に突入し、敗れた。この教訓から学ばなくてはならない。決して負け戦をしてはならないということだ。その観点から、冷戦後の超大国であるアメリカと全面対峙する路線を選択するなどというのは論外だ。
9・11米国連続テロ事件後の世界を「冷戦後」と区別し「ポスト冷戦後」と呼ぶ論者がいる。「東アジア共同体」構想も「ポスト冷戦後」の日本の選択肢の一つと考えられているのであろうが、筆者はこのシナリオには乗らない。人為的に東アジアの共通意識を作ろうとした大東亜共栄圏の試みが失敗したことからわれわれは謙虚に学ばなくてはならないと思う。
60年前、東京裁判で大川周明が免訴にならず、法廷でアメリカ、イギリスの国際ルール無視、アジアに対する植民地主義が道義性をもたないことを実証的なデータに基づいて主張したならば、それは大いに説得力をもったであろう。それと同時に、国家にも民族にも運不運があるので、ある状況では、負ける蓋然性が排除されない戦争に突入せざるを得ない状況があることについて、大川自身の認識と覚悟を述べ、東京裁判は法廷ではなく戦場であることを明らかにすれば、大川の言説は歴史にしっかり刻み込まれたと思う。聡明なアメリカ人が大川の危険性に気づき、精神障害を理由にその機会を奪ったのが真実と筆者は認識している。それだから地下から大川周明の言説をもう一度地上に引き出してこなくてはならないのだ。
歴史は反復する。1930年代末から40年代初頭によく似た国際環境が現在日本の周囲に形成されつつある。しかし、まったく同じ反復を繰り返すことはない。過去の歴史に学び、崩壊へのシナリオを回避するのだ。それではどのようなシナリオが日本国家と日本人に残されているのか。
筆者は予見可能な未来、つまり今後、15年くらいの間に国民国家システムが完全な機能不全を起こすことはないと考えている。新自由主義やグローバリゼーションには歩止まりがある。日本の国家体制(国体)を強化することがわれわれに残された現実的シナリオだと思う。国体の強化は、大川周明が言うように、日本の伝統に立ち帰り、「自国の善をもって自国の悪を討つこと」によって可能になる。そして、自信をもって自国の国益を毅然と主張できる国になることだ。自らの主張に自信をもっている国家や民族は、他国や他民族の価値を認め、寛容になる。日本はアメリカの普遍主義(新自由主義や一極主義外交)に同化するのでもなければ、「東アジア」の共通意識を人為的に作るという不毛なゲームに熱中する必要もない。
大川周明が高く評価した北畠親房が『神皇正統記』で表した、外部世界(15世紀の基準ではインドと中国)の内在的論理を十分理解するが、そのいずれにも同化しない独特の場所を追求していくという手法から学ぶのだ。アメリカ、中国それぞれの内在的論理を理解するが、その両国とも同化せずに、両国と巧みに取り引きする中で、日本国家と日本人の生き残りを図るのである。
この観点から、いまここでもう一度、われわれが大川周明の『米英東亜侵略史』を読み解く必要がある。

 


解説
「東アジア共同体」構想も「ポスト冷戦後」の日本の選択肢の一つと考えられているのであろうが、筆者はこのシナリオには乗らない。人為的に東アジアの共通意識を作ろうとした大東亜共栄圏の試みが失敗したことからわれわれは謙虚に学ばなくてはならないと思う。
(中略)
アメリカ、中国それぞれの内在的論理を理解するが、その両国とも同化せずに、両国と巧みに取り引きする中で、日本国家と日本人の生き残りを図るのである。

著者のこの主張に賛同します。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その30)

2024-12-12 01:44:47 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
〇第六章 性善説という病
●第七章 現代に生きる大川周明
 □「自国の善をもって自国の悪を討つ」
 □自己絶対化に陥らないためには……
 ■各国・地域で形成される「国民の物語」
 □日本に残されたシナリオは何か
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第七章 現代に生きる大川周明

各国・地域で形成される「国民の物語」

これに対して、北畠親房に連なる復古的改革の思想を体現した政治家は今のところ姿を現していない。日本の伝統的思想は生活の中に潜り込んでしまうので、容易にその形を表さないが、この潮流の力を過少評価してはならない。少なくとも靖国神社参拝を公約に掲げ、それを実行している小泉首相には、顕在化している新自由主義思想と共に底流には復古的改革への思いがある。復古的改革は、政治路線としては新保守主義と結びつきやすい。新自由主義が市場原理主義であるのに対して、新保守主義は日本の過去の伝統をシンボルとして取り出し、現実の政治に生かすことを考える。小泉首相の靖国神社参拝へのこだわりは新保守主義的なシンボル操作と解釈することができる。しかし、場当たり的なシンボル操作だけでは「国民の物語」にはならない。新保守主義が政治の世界で力をもつためには過去のシンボル操作を含め、確固たる「国民の物語」をつくらなくてはならない。

アメリカの場合、ネオコン(新保守主義者)は、自由、民主主義、自助努力と、自己責任などアメリカ建国時のシンボル操作で新自由主義をアメリカの伝統に埋め込むという思想的アクロバットに成功した。ロシアのプーチン政権は、ユーラシア地政学を甦らせるというシンボル操作に成功しつつある。ロシア帝国という「国民の物語」もロシアに定着しつつある。ヨーロッパについては、国民国家を超えた「ヨーロッパ人の物語」が定着したので、EU(欧州連合)内の国境が意味をもたなくなり、共通通貨ユーロが抵抗なく受け入れられている。ロシア、ヨーロッパに共通して言えることは、アメリカ型の新自由主義=市場原理主義と正面から対決することは避け、国際関係では新自由主義的な「ゲームのルール」にかなりの程度まで従うが、自己の領域内では文化に根ざした独自の「ゲームのルール」が展開されるという考え方で、前に述べた自己完結的な内在的論理を尊重するライプニッツ主義に基づいているのである。

さて、わが日本はどのような「国民の物語」を形成していくのか。あるいは「国民の物語」の形成自体に意味を認めず、アメリカ型新自由主義や、中国を中心とする東アジア共同体に日本が溶解していくのであろうか。現時点で確定的なことは何も言えない。2006年1月23日にライブドア社長の堀江貴文が逮捕されたことで、新自由主義の流れに一定の歯止めがかかり始めたように見える。小泉首相自身は、恐らく無自覚的に新自由主義と復古主義という相異なるベクトルの路線に足を置き、改革に向けた国家路線を明確に提示することができなかった。日本国家の改革をどうするかは本年9月の自民党総裁選で決まる次期首相の手に委ねられることになる。次期首相が復古的改革を理性の言葉で表現することに成功すれば「平成の中興」を実現することができる。逆に新自由主義の流れに押され、改革が土俗性から遊離するとイタリア型ファシズムに類似した閉塞した政治体制が日本に生まれる危険性が高まると筆者は危惧している。
ファシズムは土俗性を嫌う。ファシズムの危険性について日本で警鐘を鳴らすのは左派、市民派の専売特許のような観があったが、最近では、国家主義陣営からも、日本がファシズムに向かう危険性を危惧する真摯な言説が提示されている。この関連で西尾幹二の言説が興味深いし、鋭いと思う。


世間はファシズムというとヒットラーやムッソリーニのことを思い出すがそうではない。それだけではない。伝統や歴史から切り離された抽象的理想、外国の理念、郷土を失った機械文明崇拝の未来主義、過度の能率主義と合理主義への信仰、それらを有機的に結びつけるのが伝統や歴史なのだが、そこが抜けていて、頭の中の人工的理念をモザイク風に張り合わせたきらびやかで異様な観念が突如として権力の鎧をつけ始めるのである。それがファシズムである。ファシズムは土俗から切り離された超近代思想である。(西尾幹二「ハイジャックされた漂流国家・日本」『正論』2005年11月号所収、産経新聞社)

西尾の「土俗から切り離された超近代思想」にファシズムの特徴を見るというのは慧眼だ。「大日本者神國也」というテーゼは土俗思想そのものである。堀江貴文や竹中平蔵のような新自由主義者には土俗という感覚自体がわからなくなっているのであろう。このような人々が「強者をより強くすることで、日本を強くする」との信念をもっていたとしても、根本の国体観が不在なので、強くする主体となる日本国家と日本人が「頭の中で人工的理念をモザイク風に張り合わせたきらびやかで異様な観念」の域を出ないのだ。新自由主義政策を推し進めると、国家や民族に意味はなくなる。しかし、それでは国家がなくなる。そこで観念によって、日本国家を束ねようとする。
この観念としてこれから人気を得る可能性(危険性)をもつのが大統領制である。2005年9月の総選挙における「憲法が『天皇は日本の象徴である』というところから始まるのには違和感がある。歴代の首相や内閣が(象徴天皇制を)何も変えようとしないのは多分、右翼の人たちが怖いから」(毎日新聞電子版2005年9月7日)、「大統領制にした方がいい。特にインターネットが普及した世の中の変化のスピードが速くなっている。リーダーが強力な権力を持っていないと対応していけない」(同上)という堀江の言説が一部政治エリートに受け入れられているという現実が、筆者には日本の国体が内側から崩れ始めている徴候に見える。ここで重要なのも堀江貴文という個人ではない。「ホリエモン的なるもの」すなわち日本に共和制を導入する可能性のある新自由主義的政治言説なのだ。従って、状況は堀江が逮捕され、影響力を失っても基本的に変化しない。新興の経済エリートから共和制を志向する「ホリエモン的なるもの」は今後も必ず現れる。主観的には改革により日本の再生を意図する人々が国家を内側から崩壊させるという悲劇を防ぐために、今こそわれわれは大川周明の復古的改革思想を学び直さなくてはならないのである。

 


解説
アメリカの場合、ネオコン(新保守主義者)は、自由、民主主義、自助努力と、自己責任などアメリカ建国時のシンボル操作で新自由主義をアメリカの伝統に埋め込むという思想的アクロバットに成功した。ロシアのプーチン政権は、ユーラシア地政学を甦らせるというシンボル操作に成功しつつある。ロシア帝国という「国民の物語」もロシアに定着しつつある。ヨーロッパについては、国民国家を超えた「ヨーロッパ人の物語」が定着したので、EU(欧州連合)内の国境が意味をもたなくなり、共通通貨ユーロが抵抗なく受け入れられている。

本書の発行は2006年4月とかなり昔なので、現在の国際政治状況とはズレが目立ちます。
アメリカの場合はネオコンのかかげる新自由主義からトランプ氏のアメリカ第一主義へと変質しており、「国民の物語」も大きく分断されています。
ロシアでは、プーチンがロシア帝国という「国民の物語」を肥大させすぎて戦争まで引き起こしました。
ヨーロッパでは、イギリスをはじめ自国第一主義がはびこり、EU(欧州連合)の亀裂が目立ちます。


主観的には改革により日本の再生を意図する人々が国家を内側から崩壊させるという悲劇を防ぐために、今こそわれわれは大川周明の復古的改革思想を学び直さなくてはならないのである。

大川周明の復古的改革思想が正しいのかどうかの評価は置いとくとして、大川周明に光を当ててその思想を学び直すことには賛成です。

 


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その29)

2024-12-11 01:27:28 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
〇第六章 性善説という病
●第七章 現代に生きる大川周明
 □「自国の善をもって自国の悪を討つ」
 ■自己絶対化に陥らないためには……
 □各国・地域で形成される「国民の物語」
 □日本に残されたシナリオは何か
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第七章 現代に生きる大川周明

自己絶対化に陥らないためには……

筆者の理解では、われわれの歴史において、日本の国体が危機に瀕したことが二回あった。第一回目は、まさに北畠親房が活躍した14世紀の南北朝の動乱で、第二回目は60年前に終わったあの戦争である。ここで皇統が途絶えるような事態が生じたならば、日本国家も日本人も解体してしまっだことであろう。南北朝の動乱の結果、足利義満が日本国王になり、中国皇帝の臣下となったならば、日本国家は中華帝国の内部に包摂されることになったと思う。第二次世界大戦の結果、皇統が廃止され、日本が共和制になったならば、社会主義革命が起き、「日本民主主義人民共和国」が成立し、人民民主主義の優等生となった日本人が「日本民主主義人民共和国」を「日本ソヴィエト社会主義共和国」に改組し、ソ連邦への加入を申請したことも十分考えられる。そこでは日本や日本人という名称が維持されても、伝統を断ち切られ、文化的に異質な「日本人」の残骸しか残らなかったことであろう。第二次世界大戦直後に、日本の政治・軍事エリートが「大日本者神國也」という国体の本質をアメリカ占領軍に理解させようと試み、これに対してアメリカがプラグマティズムの観点から皇統の維持という決断をしたからこそ、今日、われわれは日本人として生き残ることができたのである。
「大日本者神國也」という日本の国体は、多元論的で寛容な世界観に基づいている。北畠親房が『神皇正統記』で最も警戒したことも自己絶対化の誘惑である。この誘惑に陥らないようにするためには、相対主義、多元主義が必要とされる。 北畠親房は、宗教について、自己が所属する宗派の教説を知らない者が、他の宗派を批判することは重大な誤謬であると指摘し、天皇や大臣は寛容の精神で多元性を担保することが重要であると説く。


天皇としてはどの宗派についても大体のことを知っていて、いずれをもないがしろにしないことが国家の乱れを未然に防ぐみちである。菩薩・大士もそれぞれ異なる宗をつかさどっている。またわが国の神もそれぞれに守護する宗派がある。 一つの宗派に志ある人が、他の宗派を非難したり低く見たりすることはたいへんな間違いである。人間の機根(人の心性やその動き)もいろいろであるから、教法も多種多様にある。まして自分の信じている宗を深く学びもしないで、ぜんぜん知らない他の宗をそしるのは罪深いことである。自分はこの宗を信じるが人は別の宗を信じており、それでそれぞれに利益があるのである。これもみな現世だけできまったことではなく、前世以来の深い因縁によるのである。一国の君主や、これを補佐する人ともなれば、いずれの教え、どの宗派をも無視せず、あらゆる機会をつかんで利益のひろまるように心がけるべきである。また仏教にかぎらず、儒教・道教をはじめさまざまの道、いやしい芸までもさかんにし、とりあげてこそ聖代といえるのである。(『日本の名著9 慈円・北畠親房』中央公論社、1971年、395-396頁)

小泉改革という流行現象の「事柄の本質」も日本国家と日本人の生き残りだ。ここで小泉純一郎という個人は本質的な意味をもたない。国家には生存本能がある。それが「小泉純一郎的なるもの」として現れていることに意味がある。この「小泉純一郎的なるもの」は以前から存在していた。宇野弘蔵門下の国際的に著名なマルクス経済学者、伊藤誠はこう指摘する。


日本の経済政策の基調は1980年代初頭に新自由主義に転換した。それ以後、20年余が経過している。小泉構造改革もこの基調をひきつぎ、いくつかの面でさらにそれを強化しようとするものとみてよい。(伊藤誠『幻滅の資本主義』大月書店、2006年、35頁)

筆者もこの見解に基本的に同意する。しかし、1980年代初頭から経済官僚が導入しようと腐心した新自由主義政策は、日本国家エリートの中にある社会民主主義的傾向やケインズ主義的傾向と抗争しながら、徐々にその影響力を強化してきたので、国民の眼には新自由主義の本質が見えにくかった。小泉政権になって、新自由主義はとりあえず「国民の物語」として認知されたのである。「国民の物語」となる以前と後では、思想としての新自由主義がもつ力は本質的に異なるのである。その意味で、「小泉改革」という「国民の物語」の意義を過小評価することはできない。日本の改革は外国の成功例、具体的にはアメリカの新自由主義をそのまま日本に輸入することで可能になるとする慈円型の知性と、改革とは自国の善をもって自国の悪を討つことでなければならないと考える北畠親房型の基本哲学が対峙しているように筆者には見える。慈円が当時の日本の状況を憂えていたことに疑いの余地はない。慈円は中国の百王説が国際スタンダードのドクトリンだから、あと十六代しか続かない皇統にこだわるのではなく、日本は別の生き残りシナリオを考えなくてはならないと警鐘を鳴らしたのであろう。また、慈円は、壇ノ浦の合戦で、「三種の神器」の一つであり、軍事力を象徴する宝剣が海底に沈んだのは史実だから、武力は天皇から武士に移ったという新たな現実に基づいて国家理論を再構築する必要性を訴えたのであろう。新自由主義が国際スタンダードであり、「官から民への移行」が新しい現実なのだから郵政民営化を基本に日本の改革を考えるべきであるとする小泉首相を支持する改革派政治・経済エリートの思考の形は慈円に似ている。

 


解説

新自由主義が国際スタンダードであり、「官から民への移行」が新しい現実なのだから郵政民営化を基本に日本の改革を考えるべきであるとする小泉首相を支持する改革派政治・経済エリートの思考の形は慈円に似ている。

このような歴史理解は初耳です。

 


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その28)

2024-12-10 01:15:32 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
〇第六章 性善説という病
●第七章 現代に生きる大川周明
 ■「自国の善をもって自国の悪を討つ」
 □自己絶対化に陥らないためには……
 □各国・地域で形成される「国民の物語」
 □日本に残されたシナリオは何か
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第七章 現代に生きる大川周明

「自国の善をもって自国の悪を討つ」

それでは最後に大川周明から21世紀を生きる日本人が学ぶべきことについて、筆者の見解を率直に記したい。『米英東亜侵略史』の主題である外交については、これまでの章で論じてきた。ここでは国際政治、国内政治の枠を超え、「日本の改革」について大川が抱いていた信念を読み解きながら、その核心に迫りたい。
大川は、これまで何度も引用してきた『日本二千六百年史』の中で改革に対する基本姿勢を説明している。改革は歴史に学ぶことから始まる。非歴史的な、あるいは歴史を超越して、いつでもどこでも通用するような改革のドクトリンは、本質的なところでは役に立たないと断言する。


いかなる世、いかなる国といわず、改造又は革新の必要は、国民的生命の衰弱・退廃から生まれる。生命の衰弱・退廃は、善なるものの力弱り、悪なるものの横行跋扈することによる。故にこれを改造するためには、国民的生命の裏に潜む違大なるもの・高貴なるもの・堅実なるものを認識し、これを復興せしむることによって、現に横行しつつある邪悪を打倒しなければならぬ。簡潔に言えば、改造又は革新とは、自国の善をもって自国の悪を討つことでなければならぬ。そは他国の善なるがごとく見ゆるものを借りきたりて、自国の悪に代えることであってはならぬ。かくの如きは、せいぜい成功しても木を竹につぐに止まり、決して樹木本来の生命を更新するのではなく、これを別個の竹たらしむるに終わるであろう。それ故に、建設の原理は、断じてこれを他国に求むべきにあらず、実にわが衷(うち)に求めねばならぬ。しかしてわが衷に求むべき建設の原理は、ただ自国の歴史を学ぶことによってのみ、これを把握することができる。いま改造の必要に当面しつつある時代において、われらはいよいよ国史研究の重要を痛感する。(大川周明『日本二千六百年史』第一書房、1939年、13-14頁)

大川周明の基本認識を、現下日本の情勢分析に筆者なりに敷衍してみると次のようになる。
①改革は、日本人の活力が衰弱し、悪が跋扈するようになったから必要とされている。
②改革のためには日本人の本源的生命力に内在する高貴で堅実な要素を再認識し、復興させることが不可欠だ。
③改革とは、日本人の本源的生命力に内在する善の要素によって、日本人に現れている悪の諸現象を克服することである。
④外国の内在的な思想、例えばアメリカ型の新自由主義を善の要素と思って日本に移入しても、それは短期的な弥縫策で終わることが目に見えている。日本という木に竹を接ぎ木することにしかならず、木の生命を更新できない。
⑤日本の改革の内在的論理は、日本の歴史の研究によってのみ把握することができる。それによって日本国家と日本人の本源的生命力が何であるかを掴むのである。従って、改革と日本史研究は表裏一体の関係にある。

日本では、小泉政権(2001年4月~)の5年間の間に、社会的格差が広がり、圧倒的大多数の国民の生活は苦しくなり、地方は切り捨てられ、生徒・学生の学力は低下し、外交は「八方塞がり」の状態にあるにもかかわらず、政権の支持率は一貫して高い。別に小泉純一郎首相が詐術を用いているわけではない。国民は、改革を真摯に望んでいるから、改革を唱える小泉氏に惹きつけられるのである。外交面では日本国家と日本人の名誉と尊厳を守る毅然たる外交を多くの国民が望んでいる。国民の集合的無意識のどこかに小泉首相ならば、国内改革、外交の両面において日本国家と日本人の本源的生命力を掴み出すことができるのではないかという期待感があるのだろう。
日本の歴史に改革思想を求めるという方法論を構築するにあたり、大川周明は、今から700年前、南北朝時代の南朝イデオローグ北畠親房が著した『神皇正統記』から大きな影響を受けている。少し長くなるが大川が『神皇正統記』の意義について述べている部分を正確に引用する。


後醍醐天皇の建武中興は、たとえ回天の偉業中道にして挫折したとはいえ、まごうべくもなき日本精神の勃興なるが故に、この精神の最も見事なる結晶として、北畠親房の『神皇正統記』が生まれた。平安朝の末葉より鎌倉時代の初期にかけて、国史を等閑に附したることは、必然国体観念の混迷を招き、今よりしてこれを想えば、到底許し難き思想が行われていた。例えば慈鎮(慈円)和尚の『愚管抄』に現れたる思想である。慈鎮は関白藤原忠通の子であるが、その著書の中には天皇のことをみな『国王』と書き、はなはだしきは礼記の百王説をそのままに信受して『皇統百代限り』というがごとき妄誕至極の言をなし、実に『神の御代は知らずに人代となりて神武天皇以後百代とぞ聞こゆる。既に残り少なく八十四代にもなりける』とさえ述べている。八十四代と申すは順徳天皇のことにして、いま十六代にて日本の皇統は亡ぶという驚くべき思想である。かくのごとき時代の後をうけ、わが北畠親房が『大日本は神国なり』と高唱し、神胤長くこの世に君臨して、天壌とともに無窮なるべきことを明確に力説したのは、まさに一句鉄崑崙、虚空をして希有と叫ばしむるものである。まことに神皇正統記は、前に遠く建国創業を望み、後にはるかに明治維新を呼ぶところの国史の中軸にして、この書ひとたびいでて大義名分の存するところ、炳乎として千載に明らかになった(前掲書、19-20頁)

大川周明によれば、中国の「王は百代しか継続しない」という、当時のグローバルスタンダードであるドクトリンをそのまま鵜呑みにする慈円のような人物は、いくら知識をもっていても日本的なるものの「事柄の本質」がわかっていないことになる。これに対して北畠親房は「大日本者神國也」という他国にはない日本国家の存在根拠、伝統的なことばで言う国体の「事柄の本質」を把握しているので、中国の学説によって、日本の皇統が途絶えてしまうのではないかなどと惑わされることがないのである。

 


解説

改革は歴史に学ぶことから始まる。非歴史的な、あるいは歴史を超越して、いつでもどこでも通用するような改革のドクトリンは、本質的なところでは役に立たないと断言する。

賛同します。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その27)

2024-11-23 01:47:09 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
●第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 □「善意の人」が裏切られたと感じると……
 □国家主義思想家、蓑田胸喜
 □愛国者が国を危うくするという矛盾
 □大川は合理主義者か
 □大川周明と北一輝
 ■イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第六章 性善説という病

イギリスにみる「性悪説」の力

それではここで性悪説が歴史に具体化した事例について話を進めよう。人間や国家の本質を性悪説ととらえても、それを克服するという方向で思惟を進めるのならば大きな問題は生じない。問題は性悪説の上に開き直って、力をもつ国家や民族が行動する場合だ。それはイギリスの帝国主義政策に端的に表れている。第四章で解説したように、イギリスは当面の敵を一つに絞り、それ以外を味方にするか中立化して、まずその敵を打ちのめす。しかし、敵を徹底的に壊滅することをあえて避け、敵の余力を温存しつつ、名誉を保全する形で手打ちをする。そして、この旧来の敵をイギリスの味方にする。そして、将来現れるであろうイギリスに対抗する新たな敵を、今は味方となった旧来の敵を先兵に送り込んで叩きつぶすのである。他国、他民族をイギリスにとって利用できる対象としてしか考えず、人間であれ人間の集合体である部族や国家であれ、最終的には自己保身の原理で動き、力に屈するという徹底的な性悪説からイギリスのこのようにシニカルな帝国主義政策が展開されるのである。
大川周明は『米英東亜侵略史』でこのようなイギリスの狡猾な戦略としてアロー号戦争(第二次アヘン戦争、1857~60年)を取り上げる。この戦争でイギリスはインド人を中国侵攻の先兵にしたのだ。

この戦争においてイギリス陸軍の主力は、実に一万の印度兵でありました。印度人は英人のためにその国を奪われた上、同じ亜細亜の国々を征服する手先に使われて今日に及んでおります。(英国東亜侵略史 第五日 阿片戦争)

かつての敵を徹底的に潰すことはせずに、懐柔し、将来の戦争で自国の先兵として使うというのはイギリスのお家芸だったが、第二次世界大戦後はアメリカにも引き継がれた。日本のイラクへの自衛隊派兵も、突き放して見るならば、この構造だ。東西冷戦で東側に属し、アメリカと激しく対立したブルガリアとウクライナがイラクに派兵したのもこの図式だ。
ここで大川周明は、中国がイギリスの植民地にならなかったのは、日本の存在があったからと考える。大川は日本人と中国人は「われわれ」という一人称複数形を用いるべき兄弟と考える。もっとも兄弟という言葉を用いる場合、どちらが兄でどちらが弟かということはひじょうに重要な問題であるが、大川はこの点についてはあえて踏み込まない。日本人と中国人は、「物語」を共有している。

我らの先祖は日本の歴史を学ぶと同じ程度の親しみをもって支那の歴史を学び、日本の英雄豪傑を崇拝すると同じ程度の熱心をもって支那の英雄豪傑を崇拝したのであります。(英国東亜侵略史 第六日 我らはなぜ大東亜戦を戦うのか)

兄弟である中国人に対してイギリスはアヘンを吸わせて廃人にしようとしている。中国人がアヘンの流入を阻止しようとするのは当然のことだ。しかし、イギリス人は、「お前たちはアヘンを吸い続ければいいんだ。それが嫌ならば戦争を仕掛けてやる。お前たちは戦争で俺たちに勝てると思っているのか」という実に乱暴な態度で中国人に最後通牒を突きつけている。兄弟である日本人が義憤を感じ、武力によってイギリスの野望を阻止したのは当然のことなのだ。大川の怒りは、性悪説を克服しようとする努力を払わず、「力さえあれば何でもできる」という傲慢な考えでアジアに接しているイギリスのシニシズムに対して向けられている。


もし新興日本が支那保全をもってその不動の国是とし、かつこの国是を実行する力を具えていなかったならば、すでに阿弗利加大陸の分割を終え、満輻の帝国主義的野心を抱いて東亜に殺到し来れる欧米列強は、必ず支那分割を遂行し、イギリスは当然獅子の分け前を得たことと存じます。現に支那・印度・西蔵に活躍する名高きイギリス軍人ヤングハズバンドは、支那のように土地は広大、物産は豊富、しかもその全地域が人間の住むに適する温帯圏内に横たわる国土を、一個の民族が独占しているのは、神の御心に背く Against God's Will だと公言しているのであります。
日本の強大なる武力は、幸いにして支那を列強の俎板の上にのせなかったのでありますが、それでもイギリスの政治的・経済的進出を拒むに由なく、支那の最も大切なる動脈楊子江において、とりわけイギリスの勢力は嶄然(ざんぜん)他を凌いで強大となったのであります。(英国東亜侵略史 第五日 阿片戦争)

日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。しかし、真実が常に一つであるとは限らない。無数の事実の中からどれとどれをつなぎ合わせるかで、真実が異なることもある。中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。アメリカもイギリスも国際関係は性悪説で成り立っている、すなわち各国は自己の生き残りのためには何でもするというのが現状と考えていた。しかし、人類はそのような性悪説を矯正する必要があるという認識をもっていた。それが国際連盟や軍縮会議、不戦条約につながるのである。しかし、性悪説を克服するという建前を一般論として掲げ、他国には主権尊重や人権を強要しながらも、自国の国益を追求する場合には理想を放棄し、剥き出しの性悪説で対応した。日本には米英のこのような二重基準、シニシズムが道義的に許せなかったのである。しかし、このような二重基準、シニシズムは、現実の外交で大きな力をもつのである。
日本でも有能な外交官や政治家は性悪説で外交を展開する。日露戦争のときの小村寿太郎、戦後の吉田茂、岸信介などは、国家の本質が悪であることを冷徹に認識して外交を組み立てた。しかし、こうした政治家や実務家は自己の内在的論理を学術的表現で提示しなかったので、性悪説は思想にまで高められていないのである。紙幅の関係で詳しく論じることができないが、日本の国家主義思想家で例外的に徹底的な性悪説に基づいて言説を組み立てたのが第四章で言及した高畠素之である。
高畠は、ソ連の本質がアメリカ同様の帝国主義であることを見抜いていた。ソ連もアメリカもともに性悪説に立脚した帝国主義国であった。日本の国家主義思想家の系譜で、高畠は大川と並び、論理整合性や哲学的思考を重視する点に特徴がある。高畠は群馬県前橋市の出身で、キリスト教(プロテスタンティズム)に入信し、同志社大学神学校に入学するが、社会主義思想と出会って中退し、堺利彦や大杉栄などの社会主義者、無政府主義者とともに文筆分野で活躍する。高畠は語学に堪能で、マルクスの『資本論』の日本語完訳を初めて実現する。しかし、『資本論』を翻訳する過程で、マルクスは進化論を知らなかったために唯物史観のような作業仮説に頼ったという認識を抱くようになり、人類の生存競争は本質的に悪なので、人間の本性は暴力装置である国家によって規制されなくてはならないと考えるに至った。そして国家社会主義(state-socialism) を提唱する。高畠は民主主義はその性格上、必ず衆愚政治に陥ると考え、議会制民主主義を信用しなかった。政治改革は暴力装置である国家の根本を握る軍人にしかできないと考えた。そして陸軍大将の宇垣一成に接近するが、本格的運動を起こす前に癌で死去(1928年)した。

高畠の実践活動は、彼の在世中、国家社会主義運動としてはそれほど大きな社会的影響をもちえなかったが、彼の思想的影響下に育った多数の国家社会主義者は、日本の政治状勢の反動化、ファシズムの拡大・強化に大きな役割を果たした。彼の死後、1930年代にはいって急速に勢力を伸張した国家社会主義運動の理論的根底は、多く高畠の見解に基づくものであった。(大島清執筆「高畠素之」の項より。『現代マルクス=レーニン主義事典 下』所収、社会思想社、1981年、1243頁)

大島はマルクス主義の立場から記述しているので高畠素之をファシズムの一類型としてとらえるが、筆者はこの見解には与しない。筆者の理解では、高畠と大川の二人はその理論構成において傑出しているにもかかわらず、現在では忘却されてしまった日本の国家主義思想家なのである。
高畠がイスラームに関する知識をもち、大川が高畠のレベルでマルクス主義の内在的論理に通暁していたならば、日本の国家主義思想は、世界に類例を見ない知的説得力をもったことになると思う。二人の遺産を復活することは、「八方塞がり」に陥った現下日本の外交に的確な指針を与える上でも有益と思う。

 


解説
日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。しかし、真実が常に一つであるとは限らない。無数の事実の中からどれとどれをつなぎ合わせるかで、真実が異なることもある。中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。

なるほど、そういう歴史理解がありうるのですね。
勉強になりました。


獅子風蓮