獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ラストステージ:休止から現在まで その11

2022-05-14 01:50:56 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)


■ゼロさんと曽根さんのブログ休止について   投稿日: 2021年9月16日

とてもお世話になったゼロさんのブログ『創価崩壊の鐘』が突然クローズし、曽根俊矢さんのブログも休止されました。どういう経緯があったのかはわかりません。ゼロさんにはこのブログで起こったゴタゴタを解決するために大変なご尽力をいただきました。本当に感謝しています。また曽根俊矢さんも、ご自分では常に謙遜されてはいましたが、創価問題に対する鋭い視点と素晴らしい語彙力で創価の矛盾をズバリ突いておられましたので、今回の突然のブログ休止には驚きました。特にゼロさんのブログの内容の客観性や説得力の素晴らしさについて書こうとしていたところだけに、突然の閉鎖という事態に一体何があったのだろうと考えずにはおれません。また曽根さんもご自分の仕事についての一途な思いや、ほのぼのとした家族愛を秀逸な文章で綴られていたので、やはり突然の休止の理由が全くわからないままでいます。同じ時期にお二人の周辺に何があったのか、創価関連のブログから離れていた私にとっては知る由もありません。そこで思い当たる場所をいくつか訪れたところ、はっきりとはわかりませんが、どうもこのブログで起こったゴタゴタが別の場所でくすぶり炎上しているのではないかと思えるところがありました。詳しいことはわかりませんが、どうやらそういうことかもしれないと思った次第です。このブログを休止にした直接の原因となった文章パクリ事件は、ゼロさんのご尽力によって収まったと思っていたので、それ以上私から蒸し返すことはしないでいましたし、前スレでも書いたように、創価問題自体に関しても興味が薄れてしまったこともあり、自分の中では過去のことになっていました。ですから創価関連についてはときどきゼロさんと曽根さんのブログを読むくらいで、それ以外の場所には全く立ち寄ることがなくなっていただけに、お二人のブログの休止は思いもかけないことでした。それにしてもこのお二人の事ですから、よほどのことがあってのことなんだろうと心配しています。私のブログで起こったことが原因で、私の知らないところでお二人がブログを閉じなければならないほどのトラブルが続いていたとしたら、本当に申し訳なく思います。

いわゆる創価脳の思考回路というのは、はっきり言ってしまえば異常です。狂っています。特に創価批判に関しての思考回路はとてもまともだとは言えません。それはかつての自分もそうだったからこそ、そして創価脳から脱却できた今だからこそ、こうしてはっきりと「異常だ」と言えます。これは学会員さんを罵倒しているのではなく、学会員さんはそうなるまで精神を支配されてしまった被害者だということを述べています。しかし残念ながらいわゆる創価脳と私が呼んでいる学会員さんは、私のこうした指摘を単なる人格否定だとしか受け止めることができなくて、血相を変えて批判されます。「いやいや、そうじゃなくて」とどんなに説明しても、そんなことが理解できるようなメンタルではないのが創価脳さんです。だからこそあえて「異常だ」ときつい言い方をします。それでも、創価脳といえどもこのブログに来られた方には、できるだけ話が通じるように、微に入り細に入り、自分でも嫌になるくらい詳細に言葉を選びながら説明しているつもりなのですが、どうにもこうにも理解を得られることはありませんでした。そしてそれは想像を絶するほどのストレスが襲いかかることは、私もこのブログを運営してきた経験があるがゆえにわかる気がします。私もきっと同じような経験をしてきたのではないかと思います。私も何度かこのブログを休止しました。それは決まって絶望的なディスコミュニケーションに襲われたときです。「なんで普通に話してる簡単な日本語がわからないんだろう?」とか「なんで素朴な質問に答えてくれないんだろう?」という忸怩たる思いが積み重なったときに、ある時点で限界に到達するんです。

先に述べたお二人の突然のブログ休止も、もしかしたらこの絶望的なディスコミュニケーションによるものなのではないかと勝手に想像しています。

このように、創価脳との対話は成立しないというのが、この10年間実際に創価脳との対話を試みた私の結論です。いつも言ってきた「自分で気づかなければわからない」というのもそうした気づきの一つです。そもそも創価脳は対話のステージに立てないということです。つまり人の話を聞く気がないというのが一番の原因です。それはもともとその人の素養ではなく、創価を信じる過程で植えつけられる排他的思考が「創価以外の人の話を聞かなくなる」というものだからでしょう。そしてもう一つ気づいたのは、創価批判ブログに執拗に批判をしてくる創価脳の人たちは、熱心な学会員というわけではなく、学会員ではあってもそれほど真面目な活動家ではない場合がほとんどだということです。またすでに創価に疑問を感じて脱会した人であっても、極端な思い込みはそのままに見ず知らずの人を批判するような人がネットという場を手に入れて、あたりかまわず自己主張をする人もいるということがわかりました。私がブログを休止して今もコメント欄を閉じている理由の一つは、このようなわけのわからない人と関わりたくないという気持ちもあったからです。今はもう、こうした話の通じない、なおかつさほど創価を信じてもいない人と議論しても意味はないと思うようになりました。私がブログ上で繰り返してきた「創価は宗教ではなく詐欺だ」という言葉を目にした中途半端な学会員、あるいは脱会者が、自分のこれまでの人生を否定されたかのように思い込んだ結果の怒りなのだと思います。

 


解説
回りくどい言い方をしているので分かりにくいですが、シニフィエさんは、ゼロさんと曽根さんのブログ休止にかこつけて、自分がブログを休止して今もコメント欄を閉じている理由の一つは、私(獅子風蓮)のような「創価批判ブログに執拗に批判をしてくる創価脳の人たち」、話の通じない奴らのせいだと言いたいようです。
私は、「創価脳」と言われる覚えはありませんし、対話のチャンネルを閉ざしたことはこれまでありません。

ゼロさんと曽根さんのブログ休止についても、シニフィエさんには誤解があるようです。

アメブロの記事で、そのことについて書きました。

アンチの男どもはみんなだらしがないね! その1(2022-03-24)

よろしければ、一読してみてください。

獅子風蓮