獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅢ:いよいよ再開です(4)

2022-05-23 01:56:03 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■ご意見拝借お願いいたします。      投稿日: 2016年11月26日

今回このブログを再開するにあたって、皆さんにあらためてお断りしなければなりません。皆さんのお言葉に甘えて、これからは以前よりもゆっくりとマイペースでやっていきたいと思います。基本的に言いたいことはこれまで繰り返してきましたので、これまで以上に皆さん同士の対話の場にしていただければと思います。コメントをいただいた皆さんへのお返事は、お一人お一人にできないのはこれまでどおりですが、今後はこれまで以上にお返事できる機会が減ると思います。「思い切って初めてコメントしたのに何にも返事がない」とがっかりしないでくださいね。それよりもこれまで以上に皆さん同士の対話場になっていけば嬉しいです。もちろん私もできるだけ対話に加わるつもりでいますが、しょっちゅうブログを覗いているわけではありませんので、そこは勘弁してください。
で、再開後のテーマですが、とりあえず創価で話題になっている「創価学会仏」と「池田大作先生」というお笑いネタで軽くスタートしました。まあ、皆さんの対話のきっかけになればテーマは何だってよかったのでこれにしたわけです。でもいつまでもこんなおチャラケテーマでは話したいことも話せなくなるかもと思い、これからのテーマ設定や方向性について、この間から考えていましたが、なかなかいい案が浮かびませありません。そこで、皆さんにお知恵を拝借したいのです。もう5年もやってきたので、テーマ的には出つくした感があるし、かといって「なんでもいいから話をどうぞ」なんて管理人として無責任だなとも思うし、このテーマの内容によってたどり着く方も少なくないと思うのです。
創価の何が問題なのかははっきりしてます。そのはっきりしたことをどうやったらはっきりしない人にも理解してもらえるのか。あるいは、問題ははっきりしているけれども、この先どうしたらいいかわからない。という方もたくさんおられます。本当に難しい問題なので、これ!といった解決策を明示できないのですが、それでも問題意識を共有するということだけでも、気持ちを整理して前向きに物事を考えることができると思います。私は5年前に創価が詐欺だったということに気がついても、このブログを書かなかったら気持ちの整理がついていたかどうかわかりません。鬱の症状からねけだせないままだったかもしれません。とりあえず今の自分に何が起こっているのか、これを文字にして整理してみる。また、そうした自分の気持ちを理解してくれる人と対話ができる。これほど当時の自分を救ってくれましたのはありません。だから自分のためにも、また創価問題で悩んでおられる方のためにもこのブログは続けたほうがいいなと思いました。ただ、数ヶ月前のような展開になると如何にこうにもならなくなるということも勉強させていただきました。テーマの闇の深さを思えば、それはある意味仕方のないことなのかもしれません。何もかもうまくいくわけがないし、むしろそんなことを乗り越えながら続けていくことの方が、よりリアルな対話が展開されるのではないかとも思います。それなりに辛いですけどね(笑)
いうことで、ブログの方向性はもちろん管理人の私が決めますが、毎回のテーマに関しては、これまで以上に皆さんのアイデアをお聞きしたいと思います。そんなことも含めて、今回のテーマは第3シーズンの「対話を求めて」に関するご意見を皆さんにお伺いしたいです。
よろしくお願いします。


●m (2016年11月27日 10:21 )
初めてコメントいたします。
mと申します。
私は二世です。
両親が狂信的に信心をしています。
最近になってネット情報をむさぼるように見ています。
というのも、情報を見ているうちに私がアダルトチルドレンだとわかったからです。
物心ついた頃から家庭内は創価一色でした。
今思えば私の家族は機能不全家族だったんですね。
朝は勤行から始まり夜は勤行で終わる。
家族の会話も創価の指導的な言葉。
なにかあれば「題目をあげなさい」「功徳があるから」「ご本尊様に守られるから」。
親らしい人間的な言葉なんてありませんでした。
あるブログで見たのですが、私と100%といっていいほどまったく同じ環境体験がありました。
以下がそうですが
(管理人さんすいません。私の境遇を知って頂きたくコピーいたしたいと思います。)
______________
まるで骨董品のような古臭い価値観を持った両親に、ひたすら「自分」というものを押さえつけられ、無理やり従わされ、反抗すらさせてもらえなかった。
ただでさえこのような親を持つと、子供は委縮し、自分を出せなくなり、相手の顔色ばかりをうかがうようになる。そして、自分に対して無価値感、罪悪感などが常につきまとうようになる。
そして、そこに創価学会が入ってくると、その複雑さは10倍、100倍にもなる。
「親の背中を見て育つ」とはよく言ったものだ。
創価学会員の親の背中を見て育てば、自分も自然と創価学会色に染まっていく。
世間一般の常識からたとえ外れていても、自分を取り巻く環境の中では、それが常識なのだ。
私は、小学校に入学する前から、勤行(昔は朝五座・夜三座の長いものだった)ができた。経本を見なくてもできた。そして、そのことについて、大人たちは褒めてくれた。
自分の意思で、やりたくてやっていたわけじゃない。
いつでも、やらされていた。
理由もわからず、とにかくいいからやりなさい、という理由でやらされていた。
そして、見渡す限り学会員の環境の中では、それがあたりまえだった。
毎月部員会に出るのはあたりまえ、月一回の座談会では何か発表をさせられ、よくわからないけど、池田大作氏がすごい人なのだった。
とにかく、理由はわからないけど、池田氏はすごい人で、人生の師匠で、創価学会は正しくて、大人たちは何をしているのかわからないけど、とにかく何か良いことをしているのだった。
「理由はわからないけど」、私たちも同じようにしなければいけなかった。
勤行・唱題をしなければいけなかった。
会合に出席し、創価学会バンザイをして、軍歌のような学会歌を歌い、池田氏の話や幹部の話をありがたそうに聞かなければいけなかった。
「やりたくない」とは言ってはいけなかった。
「どうして?」とは言ってはいけなかった。
・・・聞いたところで、まともな答え、明確な答えなど、返ってくるはずがなかったから。
なぜなら、「学会は正義、日蓮仏法は絶対」だから・・・。
明確な理由、誰もが納得のいく理由なんて、本当は活動家の誰も知らない。
なぜなら、上からそう言われ続けてきたから、彼らもそう思いこまされているに過ぎないからだ。
子供目線の純粋な疑問、質問は、とかく我が家のような妄信的な学会一家の中では、絶対にできないような雰囲気なのだった(父親があのような激しく上から目線でものを言うタイプなら、なおさら恐ろしくて反論できない・・・)。
そうして、結局はなじみのない難しい仏法用語でごちゃごちゃとかき混ぜられて、いつのまにか疑問はかき消されてしまうのが常だった。
両親が私に与えてくれたものは一体、なんだったのか・・・。
両親が、「普通の親としての立場」から、私にいったい何を与えてくれたのだろうか。
今思えば、私はほぼ「創価学会としての立場から」しか、両親から精神的なのものは与えられていないのではないか、とすら思うのだ。
極端な話にも感じるかもしれないが、どう思い返してみても、私が人生の岐路に立たされたとき、逆境に立ち向かわなければならないとき、そういった大事な場面で両親が私に言ったことなどを今考えてみても、どうしても創価学会の指導にしか感じられないのだ。
悲しいけれど、血の通った親がかけてくれる愛情の言葉は、ほとんど与えてもらえなかったように思うのだ。
だから私はいつも悲しいのだろう。
だから私はいつも寂しいのだろう。
本当は、幼い日から、ずっとずっと、親の愛情に飢えているのだろう。
もちろん、親は私を愛してくれてはいるだろうが、「創価学会的なものごとのとらえ方」で話をするのではなく、「両親のありのままの姿」で、言葉で、私にぶつかってきてほしかった。
なぜか、親子の間に創価学会が入り込んでくると、すべてが創価学会のフィルターを通してしか表現できなくなり、自らの思想はもちろん、愛情表現も、言葉も、すべてがそこで「創価学会からの借り物」に置き換わってしまう。
なぜか、心の距離がどんどん離れてしまう。
「ありのままの私」を、両親は認める、認めないにかかわらず、受け入れてくれたことはなかった。
だから孤独だった。
その孤独を振り払いたくて、愛されたくて、一生懸命だった。
本当の悲しみも寂しさも、心の奥底に押し込めて、ただひたすらいい子でいようと思った。
ひたすら相手の顔色ばかりうかがっているうちに、「私自身」の中身はからっぽのまま、大人になってしまった。
子供のころから親を通じて創価の思想をたたきこまれ、「私自身」というものは否定され続けてきた結果、こうして覚醒した今となっては、本当にからっぽになってしまったのだ。
私が自分の言葉だと思って話してきたことは、すべて創価からの借り物にすぎなかった。
自分の頭で考えて、自分の意見として物事を話すことをしてこなかったのだ。
親、そして創価学会にとって都合のいいことしか口から出てこないように、私の思考がプログラミングされてしまっていたのだ。
幼い日から、ずっと原因不明の苦しさ、悲しさを胸に秘め、人間関係が苦しくて、年齢が上がるほど苦しくて、どんどん追い詰められて、そしてその原因が、両親の古臭い時代錯誤な価値観と、創価学会の思想によってもたらされたものだと、ようやくわかったのだ。
35年間かけて、やっとたどりついたのだ。
現在、カウンセリングに通いながら、自分を再構築する作業を続けている。
______________
以上ですが、
これを見た時は身体が震え、涙がいっぱいに溢れました。
私は今でも創価の事や公明党の事を聞くと、胸が息苦しくなります。
それは、嫌な事を「嫌だ」と言葉で言えなかったからなんですね。
私は小学生の頃からずっと宗教ってなんだろう、、、と考えていました。
小学生でこういうことを考えるって異常ですよね。
小学生は遊ぶことで一生懸命のはずなのに。
私の家族や親戚も創価です。
この先どうするか模索しています。
管理人様、長文失礼いたしました。
いてもたってもいられなく書いてしまいました。

●カガテツ (2016年11月27日 11:43 )
いきなりの寒波襲来で、パソコン机には最低時限座って、もっぱら蒲団にもぐり込んで読書していたため、「対話」も数日振りに覗いてみました。
(冷暖房やらストーブ等は、すぐ体調を壊すので(弥生時代人か?)困ったもんだ(-.-))
>どっちにしてもコメントを書く場所が一番下になるのでもとの形に戻しました。
やはり、文章は上から下へ読んで行くので“元の形”(今の状態)が、読み易いです。
第3シーズン再開ということで、何を書いたら良いのか皆さん(ご意見拝借のsignifieさんも?)間誤付かれて居られるようですね。
創価の実勢は聖教宣伝紙と違い、 “飛翔蛟龍”学生部の後輩 2013-02-11を読むと、
http://d.hatena.ne.jp/kumaoo/20130211/1360596960

 組織で学生部はおろか男子部さえ見なくなってきてしまった。…(*要点箇所のみ)
それだけに、公明議員がこれほど多く当選しているのが不思議ですね!
参考:
“裏 ジャーナル” ムサシの正体はGHQが作った選挙システムそのものだ2012-12-20
http://uramedia.blog119.fc2.com/blog-entry-72.html
“かっちの言い分” 2016/11/26に、
今、俄かに衆議院の解散に対しての準備が急がれている。自民と連立を組む公明の山口代表が今日、国会は「常在戦場」だと述べ、選挙準備を強化するように指示した。
(以下省略)
池田博正(大作の長男)支持の正木正明(創大グループ)理事長が、粛清されたという事は、それ以前の段階で“先生が廃人化してた証拠”でしょう?
そして愈々最後の“先生に応える法戦”なのでしょう。もう「お元気です」と騙すのも、さすがに限界でしょう!
(民主・共産・自由党などへは、これからは「仏敵」と公言してくるでしょう!。何せ創価学会(=公明)仏だもの。) ”(-“”-)”
>ルフランさん
資料が幾らかでも(脱会等の)役に立てたら有難いです。
俯瞰的にみて総合力でピカ一なのは、内藤国夫の「月報『創価学会』問題」(月刊諸君1982年1月号~1995年12月号。《14年間161部》)+αのようです。
池田の内面を知り尽くした、創価闇の帝王山友さんの池田の心理分析も一読の価値は有ります。(80年代を中心に色んな雑誌へ手記が載ってます)
そのうち縁があったら投稿したいのですが、なにぶんにも大部過ぎて時機を見ております。

●signifie (2016年11月27日 12:33 )
mさん、コメントありがとうございます。
また紹介してくださった文章も、よくわかります。私も小学校に入る前からソラで勤行ができて、親や周りの学会員から褒められていい気になっていた気持ちの悪い子どもでした(笑)。何かで叱られる時は、いつも仏壇の前に座らされて無理やり唱題させられました。その頃からこの世には、抗うことができない計り知れない強大な力に支配されているという恐怖心のようなものを植え込まれ続けていたのだと思います。騙された親も被害者なのですが、物心つく前から絶対的な恐怖心を植え込まれた子どもとしてはたまったものではありません。それから人生のほとんどを間違った選民思想のままに過ごしてしまったことはいくら後悔してもしきることはありません。いつしか自分の知らないところで傲慢になり、創価でない人を見下す態度は、ふとしたことで周りの人の気付くところとなっていたようです。学会員がそんな気はないのに他人に対して横柄な態度を取ってしまうのは、騙されてきたことが原因となる不可抗力なのかもしれませんが、そうやって社会から一線を引かれていることは悲劇としか言えません。自分の中に創価なしの人生を取り戻す。そんな時間が自分の残りの人生にあるのかどうか、今でもわかりませんが、とにかく今の自分を信じて生きていくしかないと考えています。
>いてもたってもいられなく書いてしまいました。
これってとても大事なことだと思います。そしてmさんの辛い思いはここを見ている方の多くの人に届いていると思います。一人で悶々としていたら、それこそおかしくなってしまいます。創価が恐ろしい副作用が襲ってくる詐欺だと気づいて、自分の人生を取り戻そうと頑張っている人が、こんなにもたくさんいるんだということを知るだけでも、どんなに救いになることか。私はみなさんから寄せられるコメントによってとても救われているし、みなさんからのコメントなしには今の自分はありえません。とても感謝しています。創価被害の実態を体験談として一つでも多く積み重ねていくこと。創価を静かに去る人が一人でも増えること。そうやって学会員の数が組織を維持するための限界に来た時、つまり創価の中枢部が会員を騙し続けることの旨味をなくした時に、創価は崩壊するのだと思っています。できれば自分が生きている間に見届けたいと願っています。これ以上、創価によって不幸な人が増えることのないように、創価被害者ははっきりと声を上げなければならないとも思います。もうすぐこのブログのコメント数は20000に到達します。創価が詐欺だという声がこのブログだけでも20000になります。誰がこれだけの声を「みんな嘘だ。これは正法流布を妨げようとする魔の働きだ」などといった洗脳された学会員の言葉に、どれだけの説得力があるでしょう。私がこのブログでみなさんからのコメントの数を常に報告し、アクセス数を報告し、定期的に目標アクセス数達成をみなさんとともにお祝いするのは、この数こそが創価崩壊へのカウントダウンだと思っているからです。
みなさん、これからもここにどんどん創価の毒を吐き出してください。まだ完全には気づけていない方のためにも、これまで見えなかった現実を目の当たりにしてもらい、その現実をしっかりと受け止めることでしか未来はないのだということを理解してもらいましょう。それには気付いた方の声が一つでも多く積み重なることが、遠回りのようで一番の近道だと私は思います。ただ創価崩壊への都合のいい近道はありません。一人一人の切実な声が、確実に創価を崩壊へと近づかせていく。私たち一人一人にできることは微力かもしれませんが、皆無ではない。こんな微力な私たちでも、これから5万、10万、100万の声を積み重ね、多くの人がこの声を聞くことができる状況が来た時に、現実の創価は崩壊するのだと思います。一人一人の声が創価から不幸な人を救っていくのです。どうか皆さん、自分が体験してきた恐ろしい創価の現実を声に出して訴えてください。その一言が、確実に人を救うことにつながります。創価で苦しむのは今の世代で終わりにしましょう。未来にこんなおぞましい負の遺産を受け継がないようにしたいじゃないですか。子どもたちに申し訳ないです。人を不幸にする新興宗教は創価学会だけではありませんが、少なくとも創価学会が詐欺だということは、実際に創価学会員として活動してきた私たちが誰よりも知っているのです。知っているものが声を上げるべきだと思うし、これほど説得力のある訴えはないでしょう。皆さんのここでのコメントは、決して無駄ではないはずです。mさんのように「いてもたってもいられない気持ち」を多くの人に伝えることが、今現在創価で苦しんでいる人を救うのだと思います。今後ともよろしくお願いします。

●二郎 (2016年11月27日 17:37 )
テーマに関するアイデアではなく、運営に関することになってしまうのですが、今回だけはご容赦ください。本来、部外者が運営に意見するのは好ましいことではないと認識しています(それなら自分でブログ立ち上げれば、というのは正論だと思いますので)。
過去2回、ブログが休止しました。2回目だけではなく、1回目の時の休止もなりすましに対しての対応からおかしくなったと思います。
当時は、アンチ側に2名ほど問題がある人物がいて、彼らがなりすましだと判断した人物に対しては創価新報並みに口汚くののしって勝手に追っ払っていました。私から見ると、どう考えてもなりすましではなかった人もいましたし、そのような口汚い罵りが酷いという意見が噴出し、ブログが荒れて問題の2名は去っていったのです。
ところが、そこからおかしくなった流れをひいて、間もなくブログが休止してしまいました。
このように、2回の休止いずれも、なりすましに関する判断・対応から発生していますので、なりすましに関する意見・判断は、運営者であるシニフィエさんのみの判断とし、他人は意見・コメントしないようにしたほうが良いと思いました。
シニフィエさん、勝手な意見を申し上げてすみません。
レモンさんが復帰されていないことも、とても気になります。
レモンさん、見てますかね?俺、レモンさんがコメントしているか、毎日チェックしているんです。忠犬ハチ公のように、いつまでも待っていますから。
レモンさん、大好きでした(突然の愛の告白!?)。

●signifie (2016年11月27日 20:20 )
二郎さん、ありがとうございます。
そうですね、一回目の休止に至った時は、私もなりすましとか荒らしの闇の深さを知りませんでしたので、何が何だかわからなくなって休止したように思います。最初は承認制にさえしていなかったので、悪意のある人のやりたい放題だったと思います。確かになりすましではない人を陥れるような混乱がありました。これがネットの闇なのかと驚きました。それからしばらく休止した後、承認制で再開しました。そしたら飽きもせずにウンコタレが手を替え品を替え荒らしに来ました。世の中には本当に暇人というか、気持ちの悪い人間がいるものだと感心しておりましたが、結局のところ、今回もそうしたくだらない人間の嫌がらせにまんまと乗せられてしまった形となって休止しました。二郎さんがおっしゃるように、荒らし、なりすまし、ウンコタレと呼ばれる病的な愉快犯に関しては、管理人の私だけが対応するということで、変なコメント(悪意はなくとも誤解されるようなコメントも含めて)は私の判断で完全にシャットアウトしていくつもりです。
モニカさんにもレモンさんにもとても悪いことをしてしまいました。私はある意味パニックになって、お二人にかける言葉を失ってしまいました。それに雪風さんの変貌ぶりにも全くついていけない状況でした。一体あれは何だったんだろうと、今考えてもよくわかりません。本当に一人の人物だったのだろうかとさえ疑うほどです。
こうなってしまっては正直言いましてモニカさんにもレモンさんにも私の方が会わせる顔がないといった状況です。もちろんお二人さえ大丈夫であれば戻ってきていただきたいのはやまやまですが、こんな私から言えるようなことではありません。
二郎さんがおっしゃってくれているように、これからはウンコタレの対応は私一人がするということでやっていきます。ブログの健全な運営のために「疑わしきは初めから削除」とさせていただきます。以前はおかしなコメントでもある程度泳がせていたのが間違いの元でした。おかしなコメントや創価脳の殴り込みは、場合によっては議論が盛り上がってアクセス数も格段に上がっていたということもあったので、コントロールできるうちはいいかなとの私の判断が間違っていたと思います。それによってモニカさんとレモンさんの喧嘩みたいなことになり、本題からどんどん外れていってもはや修復不可能となりました。いわばウンコタレの思う壺となったわけです。
ということで、これまでのブログ運営上での反省を踏まえた上で、気持ちも新たにやっていきたいと考えています。よろしくお願いします。
二郎さん、ありがとうございます。

●レモン (2016年11月28日 22:33 )
シニフィエさん、皆さんこんばんは。
ご無沙汰しています、元地区婦のレモンです。
シニフィエさん、ブログの再開本当にありがとうございます。
サイト休止の要因を作ってしまったこと、ずっとずっと申し訳なく思っていました。
シニフィエさんが築き上げてきた大切なサイトであり、創価問題で悩み苦しむ人達皆さんにとっても大切で大事な場所を休止させてしまった事に、とても責任を感じていました。
なので、今月に入り、再開しますのお知らせを見た時には心底ホッとしました。
本当に嬉しかったです。
でも、休止への経緯もあり再開コメントするのには躊躇があり、今後はロムとして応援していくつもりだったのですが、昨日のシニフィエさんのコメントを読んで、お言葉に甘えて戻ってきました。
二郎さん、風太郎さんのコメントにも背中を押して頂きました、ありがとうございます。
そして、私とモニカさんのナリスマシ騒動の見解の違いの際、それに巻き込む形になってしまったsatouさん、ぽっけさん、きっと心を痛めているのでは?本当にごめんなさい。
再開してから名前がないのでずっと気になっています。
コージさんもです。
そしてそして、モニカさん。
貴女の事は、きっと誰もが戻ってきてくれるはずと思っています。
待っていますよ。
サイト休止中にあった大きな出来事として、支部内の活動家に会った時に聞いたのですが下半期になり本部内で幾つかの地区が消滅したそうです。
表向きは支部の活性化による地区合併ということですが、1つの地区を維持できる最低統監世帯を割ってしまう地区がでてきたのでしょう。
きっと、数年以内には、確実に1つの支部が消えてしまうと思います。
創価崩壊への足音がハッキリと聞こえてくるような、私にとっては衝撃的な事でした。
気がつきはじめた人が、着実に創価から去っている。
それを実感できる出来事でした。

●signifie (2016年11月28日 23:02 )
レモンさん、こんばんは。
よかった。これで胸のつかえがとれました。ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。

●二郎 (2016年11月28日 23:14 )
レモンさんお帰りなさい。ずっと貴方を待ち続けていました。
ブログ休止はレモンさんの責任だなんて誰も思っていませんよ。
しかも、こうやって、復活しているわけですし、あのトラブルも我々の経験値としてこのブログの発展の糧になっているのではないかとさえ思います(このブログはシニフィエさんのであるので、私がこんなこと言う立場にないかもしれませんが)。
とても優しいレモンさん。また、これまでのようにコメントお願いします(レモンさんが名前を挙げた他の方も)。

●モニカ (2016年11月28日 23:45 )
レモンさん、コメントありがとうございます。
レモンさんが戻ってくれれば喜ばれる方が大勢いらっしゃるでしょう。
本当によかったです(^^)
ご存じの方も多いと思われますが、私は今、自分の創価アンチブログを書いています。
今まではここで多くの方と対話してきましたが、そういうことより一人で気ままに好きなことを語りたくなったんです。
もともと人様の相談に乗ったりすることは得意ではなく、励ましたり慰めたりみたいなことも柄じゃないし、立派なことも書かず、気を使わず、書きたいことを自由に書けて、酔っ払って書いても怒られないブログ(笑)
それが本来の性に合ってて楽しいんですよ。
ここは私の意思で、これを最後にもう書きませんが、どうかご理解ください。
この先も応援させて頂きます。


解説
レモンさんがブログ再開にお祝いのコメントを寄せています。
モニカさんも、自分でブログを立ち上げ、自由に楽しくやっていることを報告しています。
まずは、平穏を取り戻した対話ブログの再開です。

獅子風蓮