獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅢ:再開目前

2022-05-19 01:39:20 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)


■11月18日(金)に再開します!     投稿日: 2016年11月7日

創価学会の会則がまた変更されていて、池田名誉会長を「池田大作先生」とするということを会則に定めたという話題が、創価関連のネット上でも騒がれているようですね。創価学会もいよいよガラガラと音を立てて崩れ落ちているような気がします。組織としてはなんとか会員への洗脳を強化しようというつもりなのでしょうが、それがかえって社会から乖離してカルト色をますます強めていっていること関しては目をふさいでいるのでしょう。外からどう思われようとも、会員をどうやって騙すかの方が大事なんでしょうね。外から見れば迷走でしかない会則の変更は、いわば執行部の焦り表れではないかと思います。また、ここに来て聖教新聞には「創価学会仏」という表現が出てきたようです。ネット上でも物笑いのタネになっているようですが、こんなことでさえ真面目な学会員は少しも違和感を持てなくなっているということですね。もはや日蓮仏法としてはもちろん、仏教としての教義も、いや宗教もへったくれもないありさまなので、あまりにバカバカしくていちいち解説する気にもなれないのですが、こんなことでも疑問を持たないどころか「私も真面目に信じていれば創価学会仏として成仏できるんだ」などとありがたがる思う壺の会員がたくさんいるんでしょう。まったく酷い話です。
池田名誉会長の呼び名だけを「池田大作先生」とするといったことを会則変更までして入れ込まないといけないような組織に何の疑問も感じない会員。まさに北朝鮮お「将軍様」とまったく同じ手法で会員を洗脳し続けている創価学会です。何をやっても北朝鮮から脱北者が絶えないように、創価から脱会者が絶えないのは当然の成り行きです。
何十年もの間、あるいは生まれた時から創価の価値観だけで育てられた人間に対して「創価学会はただの詐欺です」と言って、とても信じることはできないだろうし、このブログでも創価が正しいとしか思えない人を相手にはしていません。ほんの少しでも「もしかしたら創価学会って思ってるほど素晴らしくはないんじゃないか?」と心の片隅にでも思えた人なら、「創価学会宗教ではなく詐欺団体だ」という結論に行き着く可能性は間違いなくあると思います。このブログでは、そんな人のために、実際に創価学会員でありながら、様々な現実に疑問を持ち「創価学会詐欺だ」と確信できた方の赤裸々な体験を語っていただきました。4年半にわたって、そのコメントの数は19000以上になります。創価風に言えば、これはまぎれもない「実証」です。否定することのできない現実です。誰それがこう言ってるとか、自分はこう思うというのではなくて「現実はこうでした」という、まさに実録創価学会として、これだけ「創価学会は詐欺です」いう状況証拠が積み重なっています。あとは、この現実を直視するか、それとも否定しようのない現実を無理やり無視して、創価のいう幻想の世界に生きていくのかという個人の判断だということです。
ここまで読んでいただいた方はお気づきかと思いますが、このブログ「対話を求めて」を再開しようと思います。
ブログを休止して3ヶ月半が経ちました。たくさんの方から「再開を楽しみにしています」とのメッセージをいただきました。ただ、ブログ内でのゴタゴタに私自身がやる気を削がれていたこともあって、ゴタゴタの収集すらできないまま休止していました。この3ヶ月半の間に、自分の中でもいろんな変化がありました。このまま辞めてしまおうとも思いましたし、でも皆さんからの励ましのメッセージには、とても力をいただきました。ずいぶん悩みましたが、やはり「対話を求めて」は続けていこう、続けたい、そう思うことができるようになりましましましましました。
今でもうつ病も症状が出るので、ときどきどうしようもない脱力感に襲われたり、思考がまとまらないような時もありますが、それでも創価学会で苦しんできた皆さんの声を、未だに苦しんでいる多きます学会員に届けられるように「対話を求めて」を再開したいと思います。皆さん、よろしくお願いします。
3ヶ月半前に休止しなければ、今頃は500万アクセス達成のお祝いをしている頃なんですが(笑)、まあそれはそれとして、これからも地道に皆さんの声を積み重ねていければと思います。
ということで「対話を求めて」再開は、あてつけがましく11月18日(金)の創価学会創立記念日とさせていただきます(笑)。
11月18日(金)には、以前100万アクセス達成ごとに皆さんとお祝いしていたように、挨拶や自己紹介なしで、どなたでもコメントできるようにします。できるだけたくさんの方とブログ再開をお祝いしたいので、なんでもいいのでひと言お願いします。また、ご自分でブログを持っている方や、SNSなどで拡散できる方はじゃんじゃんやっていただければと思います。
それから、ブログ休止の原因となったゴタゴタに関しては、もとはといえば「なりすまし」の対処法に関する意見や感じ方の違いにあったと考えられます。これからはこうした事態が起こらないように、管理人シニフィエがなりすましの臭いのするコメントは初めから徹底的に削除していくということで対処させていただきます。なので、もしかしたらなりすましではないのに疑わしい表現のコメントも削除の対象になってしまう場合あるかもしれません。それは疑われるような表現をした自己責任ということで納得していただければと思います。このブログは一般のブログとは違って、カルト宗教を扱っているという特殊なものであるだけに、こうしたことは毅然とした態度で、これまで以上にきっちり対処していきたいと思います。
それでは皆さん、11月18日(金)にお会いしましょう!


■再開まであと10日です。        投稿日: 2016年11月9日

「創価学会仏」「三代会長を池田大作先生という敬称にするということを会則にする」
これに違和感を感じない時点でイかれてる証拠です。でも現実には百万人ぐらいの日本人がイかれてるってことですよね。イかれてないにしても、なんとか取り繕って、自分は間違っていないと大切な問題から目を背けている。そうした学会員さんはかなりいるのではないでしょうか。
要するに、会員にとって創価学会は仏教でもなんでもどうでもいいってことなんでしょう。創価学会は何よりも正しい宗教で、それを信じている自分は誰よりも偉大な人生を歩んでいると思いたいのでしょう。たとえ現実にはどんなに惨めな生活をしていようと、自分は正しいんだということを誰彼となく訴えていく人生。借金してでも財務をする。家族との対話よりも活動を優先する。政治のことなど少しもわからないが、自衛隊が外国の戦争に参加することを法律で決めた公明党の票をとればとるだけ幸せになれる。それが正しい宇宙の法則に乗っかることなんだと大の大人が言い切る。現実はどうあれ、自分は正しい。それが多くの末端創価学会員のメンタルです。イかれてますよね。でも本人にはそれがわからない。そんな学会員を嫌というほど見てきました。というより、自分自身がそんなイかれた創価学会員でしたので、痛いほどわかります。創価学会員にとって「創価学会が正しいかどうか」という思考は初めから存在しない。それは「創価学会は正しい」がすべてを優先できる前提となっているから。だからそんな人に何を言っても無駄です。
そう。今回ブログを再開するにあたり、このスタンスをはっきりしようと思います。創価学会が正しいと信じている人の相手はしません。これまでは「創価学会は正しい」と信じている人に対しても、対話をすればわかりあえることがあるという希望がありました。だから白いブランコさんをはじめ、何人かの方との対話を試みたりもしました。結果、それは徒労に終わりました。例えばその白いブランコさんはどうなったでしょう。あの方が立ち上げたブログ「創価ルネサンス~創価学会改善活動~」を見ればわかります。結局、自分が信じてきた創価学会が自分が信じてきたものとは違ったことがわかっても、自分ではどうしようもないということです。あれだけ真摯に対話を重ねてきた方が、創価の現実を目の当たりにした時に、どこにも行き場を失って、すべてを投げ捨ててしまいました。それはあの三人組にも言えることです。
私は今でも白いブランコさんはどうしているんだろうと気になっていますが、どんなに問いかけても何一つ返ってきません。私だけでなく、たくさんの人が白いブランコさんの動向が気になっていたはずです。しかし誰が何と言おうとほったらかし。それにしてもここまで無責任な方だとは思いませんでした。自分の人生を賭けてきたものが「イカサマ」だったとわかったとしたら、白いブランコさんの自暴自棄は無理もないことなのかもしれません。ただ、それにしてもネット上であれだけ創価学会を擁護し、自分の地区の学会員さんと対話をし、創価学会の悪い部分を改善していこうと一人奮起して行動していた方が、幹部からさらりとあしらわれたぐらいで自暴自棄に陥るとは。正直なところちょっと期待はずれでした。せめて自分に何が起きたのかの説明があっても良さそうなものではないかと、今でも思っています。白いブランコさんは、創価学会は改善できると今でも思っているのでしょうか。それ以前に、私に何度となく言っていたように「それでも創価学会は正しい宗教団体だ」と今でも本気で信じているのでしょうか。
私がここであえて白いブランコさんの話をしているのは、きっと全国に白いブランコさんのような人がたくさんいるのではないかと思ったからです。創価学会は正しい宗教団体だ。しかし今はちょっとしたことでおかしくなっていて、これも会員の一人ひとりが頑張って改善していけば、世界平和を実現できる素晴らしい宗教団体へと変貌できるはずだと信じている人も少なくないのではないかと思ったからです。でもそれは結局のところ、自分の過ちを認めたくないがためのこじつけでしかないということも、うっすらと感じているから、白いブランコさんのように自分の言葉を失くしてしまい、自分のブログもほったらかしにするしかないのではないかと思います。
自分の過ちを認めることができない人の気持ちはわかります。ましてや自分の人生そのものを「間違ってました」と認めることの勇気たるや、そこに行き着くまでに精神がもたなくなるのもよくわかります。しかし、「対話を求めて」にコメントしていただいた多くの方は、そのとてつもない試練を乗り越えて、自分の人生の過ちを認める勇気を振り絞ることのできた方なのだと思います。多くの方が創価の魔の手から勇気を持って脱出できたという証が、このブログには積み重なっています。だからこそ、どこの誰かも知らない同士が、ネット上であるとはいえ気持ちを共有できてきたのだと思います。
今回ブログを再開するにあたり、はっきりしておこうと思うのは「創価学会が正しいと信じている方の相手はしない」ということです。ぶっちゃけて言うと「殴り込みお断り」ってことです。これまでは殴り込みも、そこそこ相手にすることで創価の異常な部分をリアルにさらけ出せることもあって、相手にしてきたこともありました。同時に「なりすまし」に対しても、そこそこ相手にすることで、創価の異常な世界をあぶり出すことも出来ていたと思います。ただそのことで本来の対話ができなくなったり、なりすましに対する見解の違いが、修復できない軋轢を生むことにもなることを学びました。なので、とにかく殴り込みとなりすましは、管理人の私が最初から徹底して排除するということにさせていただきます。
こうすることで、創価が詐欺だと気付いた人の具体的な事実関係を明らかにして、その事例をできるだけたくさん積み上げていくというブログにしていければと思います。そうした中でスタイルとしては以前もやっていたように、替え歌があったり、辛辣な体験談があったり、具体的な相談があったり、脱会できました報告をみんなでお祝いしたりする場にしていければと思っています。
皆さん、11月18日(金)は「対話を求めて」を皆さんともにスタートしたいと思っています。この日から皆さんからのコメントを受け付けます。これまでお世話になった方はもちろん、初めてコメントされる方も大歓迎です。通常は挨拶や自己紹介が基本ルールとなりますが、この日から数日間は、自己紹介なしでも受け付けます。まあ、挨拶ぐらいはしてほしいですけど(笑)詳しい自己紹介なしでも、一人でも多くの方にひとことコメントをいただけると嬉しいです。
「対話を求めて」再開まであと10日。また皆さんとの対話ができる日を楽にみしています。
どうかよろしくお願いいたします  m( _ _ )m


■再開まであと8日です。         投稿日: 2016年11月10日

「創価学会仏」…何度聞いても、思わず吹き出してしまいます。冗談かと思ったら、そうでもなさそうだし、いったい宗教法人の名称に「仏」をつけて、どんな意味を持たせようとしているのか、さっぱりわかりません。宗教法人名に「仏」をつける。例えば、幸福の科学仏……やっぱり笑っちゃいます。生長の家仏。パーフェクトリバティ仏。統一教会はキリスト教系らしいので「仏」じゃなくて「神」でしょうから、「世界平和統一家庭連合神」といったところでしょうか(笑)なんか大魔神みたいな。まあ、よその新興宗教のことはともかく、「池田名誉会長の敬称を池田大作先生とする」と会則ができたそうですが、これも噴飯物というか、鼻から牛乳ものですよね。そのうち会則に池田大作仏ってことになりそうな感じです(笑)。その池田大作大先生…あ、ちがった、池田大作先生は元気にあちこちに出没していると聖教新聞には書いてあるようですし、しょっちゅうメッセージ文も掲載されていますけど、その池田大作先生の本物を見たという人が一人もいない。この5年間、誰一人「池田氏と話をしました」とかいう話は全くないです。あれほど「対話」の重要性を叫んでいた張本人が、5年間、誰一人対話をしたという記録がありません。なんでだろう?学会員さん、なんでか知ってますか?知りませんよね。学会員さんは人づてに「先生はお元気です」としか言ってもらえません。この5年間、動いたり話したりしている池田大作先生の姿を見たという学会員が誰一人いない。文字にしたメッセージは今でもしつこい程に聖教新聞に掲載されるのに、そのメッセージを本人が読み上げるようなことはただの一度もない。動画はもちろん、録音された声すらない。この5年間に新しく入会した会員がいくらかはいると思いますが、そんな人はただの一度も池田大作大仏…いや池田氏を見たことないんです。元気にあちこち出回ったり、たくさんの執筆をしているという大仏さん…いや大作さんはすごいんだ、えらいんだ、偉大なんだ、師匠なんだと言われても、見たこともない人をどうやって人生の師匠として尊敬できるのでしょうね。
最近、特に創価学会は仏教色や日蓮色が希薄になっているようです。外部向けの紹介ビデオでは「祈る」ということは出てきても、何に祈っているのかをはっきり示しません。きっと創価学会本部も自分たちは何に祈っているのかがわからなくなったんじゃないでしょうか(笑)。昔は日蓮正宗総本山大石寺の大御本尊が、世界で唯一無二の一閻浮提総与の本門の本尊だとしていたわけですが、創価学会はそこから破門されてしまったので、祈る対象を失ってしまいました。だから勝手に自分たちで御本尊をコピペして改ざんしたものを大量生産して「これからはこれが本物の御本尊ですよ~ってことにして、今までのは偽物でした~、こっちが本物ですから買ってくださいね~一枚3000でいいですう~」と、本来ぬのであるはずの表装まで一緒にカラーコピーした紙切れを会員に買わせてたんですね。「あなたには特別豪華バージョンをあげますね」と言って10万円出させたりもしました。
これ、普通に考えて、というか、どう見ても、あからさまな詐欺ですよね。破門されたお寺の曼荼羅を許可なく改ざん複製して売りまくる。このこと一つとってみても、詐欺じゃありませんか?私はこのブログで繰り返し「創価学会は宗教ではなく詐欺団体だ」と言い続けているのは、こんなあまりにもわかりやすい詐欺の手法にいつまで騙されてんですか?って言ってきました。そういう私も5年前まで気づかなかったんですがね(笑)創価の詐欺が一つでもわかったら、あれもこれもみ~んな詐欺で、会員たちはまんまと騙され続けてきたんだということが、いやでもわかるようになります。それをわかった人が、具体的にどんな風にして騙されてきたのかを語っていただいてきたのがこのブログです。今現在、このブログに積み重なった約19000のコメント。そして約450万アクセス。これだけの記録があるにもかかわらず、創価は正しいと信じている学会員にとっては「こんなのみんな嘘だ」としか思えないんです。不思議ですよね。嘘やハッタリでこれだけの数のコメントが集まるでしょうか?これだけの数の人が、こんなに具体的な作り話ができるでしょうか?できるわけないです。仮にできたとして、何のためにするんでしょう。やる理由がありません。
ということで「対話を求めて」再開まで、あと8日。11月18日は、創価学会創立記念の日。この日に、創価学会は詐欺だということを、一人でも多くの人が声をあげましょう。「創価学会」をググると、誰のパソコンにも創価学会公式HPと並んでこのブログが出るくらい、たくさんアクセスしてください。3ヶ月半前に休止していなければ、今頃は500万アクセスのお祝いを書ていた頃ですが、これからまた来年の500万アクセスを目指し、また一人でも多くの創価学会員が創価が詐欺であることに気づいてくれるように、みなさんと一緒に声を上げていきたいと思っています。11月18日はそんな記念すべき再スタートの日にしていきたいと思っています。皆様のご協力をよろしくお願いいたします。とりあえず11月18日に、どなたでもひと言でいいのでコメントください。この時はいつもの自己紹介は不要です。名前とメッセージで結構です。創価がこの世から消え失せるまで、真実の声を積み重ねていきましょう。


■再開まであと5日です。         投稿日: 2016年11月13日

おそらく11月18日の創価学会や聖教新聞の公式HPには、誰が書いたのかもわからない「池田大作先生」のメッセージが載るんでしょうね。創価学会を検索したら、最初に出るのがこの公式HPですが、そのすぐ下に「創価学会は詐欺です」とたくさんの元創価学会員が告白しているサイトがあるというのは重要なことだと思います。
5年前に私が創価学会が詐欺だとうすうす気付きかけたとき、背中を押してくださったのが、希望さんの「白バラ通信」とクロさんの「真実と幻想と創価学会」でした。あ、それからもう一つが「創価の森の小さな家」という完全創価脳サイトでした。私が創価学会に対する疑問を自分でどうしようもなくなったときに、最初に見たのがこのサイトです。そのとき私はまだ半信半疑で「53歳学会員」というHNで創価に関する質問をしました。その様子は今でもここで見ることができます。
http://sokanomori.exblog.jp/17098281/
読んでいただくとわかりますが、創価に疑問を持った私を、このサイトの管理者は何一つ答えようとはせずに、すぐさま「なりすまし工作員」と断定して、他の常連創価脳の方々とともにけちょんけちょんに攻撃しました。上記のページには私のコメントも載せてありますが、私が書いたコメントはこの何倍もの量になります。明らかに答えようのない創価の矛盾に関する部分は載せていません。生まれた時から学会員にさせられて、そこそこ真面目に信じて活動をしてきた私が、50歳を過てどうしようもなく湧いてきた疑問に対して、気持ちを汲むような学会員はそこにはいませんでした。おかげさまで私はこれで創価学会は完全におかしいと確信が持てたのです。今となっては感謝しています(笑)。それから今度はアンチブログを見るようになりました。そこで一番しっくりと自分の中で納得できたのが、先ほど紹介しました「白バラ通信」と「真実と幻想と創価学会」です。いったん創価は詐欺だとわかったら、アンチブログの方が言っていることがスルスルとわかってきます。逆に創価を信じているうちは何も入ってきません。理屈じゃないんですね。「創価は正しいと先生が言ってるから正しい」それだけです。それ以上は自分で考えない。創価から言われたことは絶対的に正しいのだから、どんなにおかしなことであっても疑問を持つ自分の方がおかしいんだと自分に言い聞かせて、それ以上考えることをやめてしまいます。先の「創価の森の小さな家」にも日蓮の言葉について色々と書いてありますが、日蓮が本仏で、御書は絶対だという前提なので、言ってることが根底からおかしいんですよね。例えば日蓮は釈迦が法華経を説いたということを前提にしていますが、そもそもそれ自体が間違いであることは誰でも知っていることです。そもそも釈迦は自分の教えを文字にしなかったわけで、文字として残されている仏典というのは何百年もあとの聞きづてだったり、勝手に想像して書かれたものであることが判明しているわけですから、これ一つについても基本的に日蓮の教義は根本から破綻しているということになります。日蓮は鎌倉時代の僧ですから、宇宙がどうなっているかも、地球が丸いことはおろか、アメリカやヨーロッパの存在すら知らなかったわけで、当然キリスト教やイスラム教のことも知らないで、宇宙の法則は南無妙法蓮華経だなどと勝手にふれ回ったのですから、何も知らない当時の人たちならともかく、800年後の私たちがこんなものを信じること自体がどうかしていると思います。まさに、どうかしていたんです。こんなデタラメでも生まれた時から言い聞かされていると、理屈など関係なく信じてしまうのが人間なんですね。
そんなわけで、5年前の私は53歳にしてアイデンティティが崩壊してしまいました。もっと若い頃だったら、まだ頑張ってやり直していこうと思えたのでしょうけど、なんせ人生の大半をこんなインチキ宗教団体のいうことを信じてきたのですから、これから何を頼りにどうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまいました。いてもたってもいられなくなって、このサイトを立ち上げたのです。いったい創価が詐欺だとわかった学会員たちはどうしているんだろう。どうやって生きているんだろう。そんな思いで、その時その時の自分の気持ちを整理するために、書かずにはおれませんでした。こうして言葉にしていくことで、なんとか自分を保てていると思っていました。しかし、すぐに鬱の症状が出ました。仕事にもプライベートにもいろんなことが上手くいかなくなりました。この時、もしまだ創価を信じていたなら、これが罰だと思い込んだのかもしれません。しかしもはや創価の教えは完全にインチキだという確信は揺らぎませんでした。それはあの創価脳サイト「創価の森の小さな家」の異様な世界を目の当たりにした経験が、私を創価に引きもどさなかったんだと今は思います。
この「対話を求めて」はそんな経緯を経て5年前の12月6日にスタートしました。いろんなことがありました。特に荒らしには苦労しました。でも後から考えると、荒らしをするような輩というのは、ネットの広大さを考えればほんの一握り、結局のところ数で言えばほんの数人だけが面白半分で攻撃してきたように思います。まあ、攻撃しなくても、よそのサイトや巨大掲示板などでボロクソ書いてあったりもしましたが、それは別にこのサイトに関してだけのものではなくて、もともと無法地帯のネット上でのことですので、いちいちそんなものを相手にするようなことではありません。考えるに、荒らしは取るに足りないものだという結論です。ただ、この荒らしをきっかけにしてサイト休止になったのも事実です。これは今後の荒らし対策のための良い経験として活かしていければと思います。それと創価脳の殴り込みが順にやってきました(笑)。私としては真摯に対応したつもりなのですが、一人残らず尻尾巻いて逃げて行きました(笑)。なので、これからは創価脳の殴り込みは相手にしないことにします。
「対話を求めて」再開まであと5日。皆さま、創価学会創立記念日でもある11月18日のコメントをどうかよろしくお願いします!創価が詐欺だと確信できた学会員や元学会員が、現実にこんなにたくさんいるんだということをはっきりとリアルに示す機会に出来ればと思っています。それがこのブログの最大の存在意義だと思います。どうかよろしくお願いします!


■明後日再開です。           投稿日: 2016年11月16日

今回、ブログを再開するにあたって、どんな風にやっていこうかといろいろと考えましたが、基本的に負担にならない形で、じわじわと続けていけるようにしたいと思っています。創価を信じて真面目に活動をやってきたあげくに、結局は大切な時間とお金をだまし取られ、友だちをなくし、社会的な信用もなくしてきたことがわかったら、本当に凹みます。凹むくらいならいいですが、失った人生や。家族や友人や仕事場の仲間に大変な迷惑をかけてきたことの取り返しのつかなさに立ち直れない人もたくさんいらっしゃると思います。逆にこのことを受け止められないばっかりに、変な理屈をこね回して「創価は変わってしまった」とか「自分が信じてきた創価を取り戻そう」などと、現実逃避に走ってしまう人も少なくないようです。例の3人組も、白いブランコさんも、その典型と言えるようです。どうにかして自分はまちがっていないことにしたい。ごめんなさいが言えない子供のようです。目の前の現実をきちんと受け止め、自分がやってきたことの過ちを素直に認める。それはたとえどんなに苦しかろうと、自分で乗り越えなければ先には進まないということだと思います。それは3人組のブログを見ればわかります。3人組はサイレントデモや集会を開催し、今度はほんまで出すそうです。ところで彼らのゴールはどこなのでしょう。彼らの行動で創価が心を入れ替えて正しい宗教団体に返信するとでも本気で思っているのでしょうか。それ以前に創価のどこが正しかったというのでしょう。創価は最初からただの詐欺団体だったということに気がつけば、すべての謎が解けます。つまり「自分は騙されていたんだ」ということに気がつくことです。自分が騙されてきたわけがない。そう思いたい気持ちは痛いほどわかります。でも現実を見なけれなならないのです。創価学会員は一人残らず騙されてきた。創価学会は最初から宗教でもなんでもない、ただの詐欺団体だった。そのことを受け入れて、なおかつ騙されてきた自分の現実も受け入れて、そしてこれからどうやって生きていけばいいのかを語り合える場にしていきたいと思っています。まずは11月18日に皆さんとの再会をお祝いしましょう。何かひと言でもいいですからコメントをお願いします。そして初めて来られる方も「なるほど創価ってそうだったんだ」とわかる場にしていければと思います。皆さん、どうかよろしくお願いします。


■明日再開です。           投稿日: 2016年11月17日

そういえば、今思い出したのですが、このブログ「対話を求めて」が休止したのは二度目です。一度目は、コメントの制限を全くしていなくて、それでもある程度はスムーズに進行していたんですが、やはり途中からおかしなのがワラワラ湧き出てきて、一旦休止した経緯がありました。それからしばらくして、コメントを承認制にした上で再開しました。その後は特に大きな問題もなく、アクセス数もどんどん増えてきて、1日8000を超えるほどになり、創価がじつは詐欺団体だったということに気づいた方も随分増えたようでした。相変わらずなりすましや嫌がらせや、時には創価脳の殴り込みなどもありましましたが、それらをコメントされる方がどう捉えるのかという考え方の違いで、意見の分かれるとこととなってしまい、なんだか違う方向に陥ったようでしたので、ここで一旦休止させていただきました。これ管理人の私もかなり疲弊してしまいましたが、皆さんからの励ましや要望のコメントをいただき、ゆっくりと考える時間をとれたおかげで、明日再開の運びとなりました。皆さん、明日はたくさんコメントくださいね~

 

 


解説
特に言うことはありません。

獅子風蓮