獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅢ:いよいよ再開です(2)

2022-05-21 01:50:14 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■創価学会仏って何?(笑)    投稿日: 2016年11月20日

今や全国のお笑いネタとなっている「創価学会仏」。第三ステージのスタートは、ツッコミどころ満載のこのテーマからいってみましょう。
いやはや、創価学会仏ってマジで何なの?創価学会員になって、何も疑わずに活動して、新聞代払って、財務をしたら、みんな「創価学会仏」っていう仏様になれるよってことですかね(笑)。こんなことを真面目な顔して会則に入れ込むって、マジ終了って感じですね。どなたかもおっしゃってましたが、私もこれを聞いたときには「創価学会おだぶつ」って見えました(笑)
う創価学会は日蓮なんてどうでもいいんでしょうね。ってか、もう日蓮の教義では会員が騙されにくくなってきたことの対策なんでしょう。日蓮が一切衆生を救済するために出現した末法のご本仏だの何だのと言ってると、日蓮正宗との違いが出せなくなるし、それまで日蓮と同じだとされる大石寺の大御本尊に手も足も出せなくなった創価学会としては、信仰対象を日蓮の教義から創価学会オリジナルへとシフトする必要性があったのかもしれませんね。創価としては「創価の信仰だけが幸せになれる」ということにしとかないとカモが逃げてしまいますから、そこで考えたのが「創価学会仏」という苦し紛れの会則変更だったのではないでしょうか。「創価学会仏」という表現は過去の指導にもあったようですが、ここに来て会則入れ込むというのは、執行部の方も相当な危機感を持ってのことなんだと思いましたよ。創価学会が日蓮正宗から破門されて、創価学会独自の教義を会員にゴリ押ししてきましました。今まで拝んでいたのは偽物で、創価学会が発行する改ざんカラーコピーが本物の御本尊ですよ~って言いだしました。それでも会員は疑わずに、新しいカラコピ御本尊にひたすらナムナムしてきましましました。それまで邪宗だといって、神社の鳥居をくぐるだけでも不幸になると指導していた創価学会は、他の宗教と共存するのがこれからの宗教の姿ですなどと、180度言うことをひっくり返すと同時に、これまで世界で唯一正しいと言い続けてきた日蓮正宗だけが間違った宗教であると、ボロクソに攻撃するようになりました。こんな風に、創価学会は会則どころか、根本的な信仰の対象教義そのものも、いとも簡単にひっくり返して涼しい顔をしてきました。そしてそのことにほとんどの会員は何の疑問も持たないまま、活動に財務にと、自分の人生を捧げ尽くしてきたのす。
「創価学会仏」……と聞いておかしいと感じないこと自体がイかれてる証拠です。
「はあ?創価学会仏ってどんなブツ?」って思うのが普通の感覚ですよ学会員さん。いや、きっと聞いた瞬間は思ったはずです。でも次の瞬間に、そんな疑問を持ってしまう自分の心をなかったことにしようと自分で自分をごまかしてしまうのが創価脳の特徴です。常識的にどんなおかしなことを打ち出されても「創価がだから正しい」「疑いを持つ自分が間違っている」と無理にでも自分に思い込ませる、あるいは考えないことにする。これが創価脳です。
創価脳は自分で価値基準を持つことができません。疑問を感じてもすぐに打ち消してします。あるいは考えないことにする。思考停止の人間となります。ナチスに先導されたドイツ国民と同じです。 「創価学会仏」といったスットコドッコイな言葉でも創価の中でまかり通るのは、会員が完全に思考停止の創価脳に仕上がっているからです。創価としてはそれでいいわけです。会員が騙されてお金を貢いでくれるのが目的なんですから、はたからどんなに思われようが関係ないんですね。だからこそこんなことも平気でできるんです。
ってことで、これまでと同じように、初めてコメントされる方は、人間として当然の挨拶と自己紹介をお願いします。どの程度の自己紹介が必要かは自分で考えてください。それもわからないような方は、コメントされなくて結構です(笑)。それから、なりすましや荒らしと疑われるような、わけわからないコメントは、管理者が黙って削除しますのでご了承ください。要は普通に一般常識の範囲で書いていただければ何の心配も問題もありません。また、楽しい替え歌や川柳も皆さんで楽しみましょう。
それでは「対話を求めて」第三ステージ、よろしくお願いいたします。
 

●メトロン星人 (2016年11月21日 10:09 )
元白ゆり長です。退会届は2月に学会本部に叩きつけたものの、夫である地区部長が幹部に唆され握り潰しました。そのかわり非活となることを認めさせました。
「創価学会仏」は、私が女子部のころ池田センセーが言われていた言葉です。仏には色々な名前の仏がいる。創価学会の我々は、創価学会仏であると。日蓮大聖人の教えを正しく実践しているのは創価学会だけであるから、後々我々は創価学会仏として称賛されるであろうと。
今は、日蓮が魂をすりながして書き顕した大御本尊をないがしろにし、勝手にカラーコピー御本尊を捏造しているのだから、ちっとも正しく実践していないです。仏として名乗るのは本当に増上漫です。

●ココア (2016年11月21日 16:24 )
ココアです。
学園出身、非活歴はかれこれ15年以上でしょうか。若い頃に日本を離れたので活動らしい活動はしてません。というか、危うく創価エリートコースに乗せられそうになり、信心はまあいいけど学会活動は嫌いだった私は、本心を伝える勇気もなくもう日本を離れるしかないなという結論に至ったのが実情です。
それ以来活動らしい活動はしてませんが信心からは離れちゃいけないという意識はずっとありました。いわゆる罰論ですね。その罰への恐怖心もこのブログのお陰でなくなり去年カラコピ本尊は巻いて仏壇もろとも地下室の奥深くへ。(捨てられないのはまだ完全に恐怖心が消えてないのかも?)だいぶすっきりしました。
さて、今回の「創価学会仏」初め見た時ほんとなんじゃそれ?って笑いました。
私は初めて聞きましたが、これまでも指導に使われてた言葉なんですか?驚きです。
私たちって御本物を守り弘めるために生まれてきた「地湧の菩薩」ではなかったんですかね?いつの間に仏に昇格したのやら(笑)
ちょっと想像してみたのですが、例えば神の子であるイエスの教えを忠実に実践していると主張する○○教団が、「我々は○○教団神である」と言い出したら普通は神への冒涜だと捉えられませんか?たぶん学会員でさえ、なに言ってんだか~って感覚になると思います。それがこと自分たちのこととなると、我々はすでに仏なんだ~ なんて素晴らしい~ 誇りだ~ってなっちゃうんですよね。
ペコさんがおっしゃる「自分教」すごく納得できます。

●signifie (2016年11月21日 17:59 )
たった4ヶ月しか休止してなかったというのに、皆さんのお名前がひどく懐かしく思えます。皆さんコメントいただきありがとうございます。
ココアさんのおっしゃる通り、創価はこれまで散々「学会員は地涌の菩薩だ~」と指導してきました。それが菩薩が仏に昇格?(笑)っていうか、会員は地涌の菩薩だなんて会則にあったんですかね?っていうか、会則に菩薩だの仏だのと定義すること自体がスットコドッコイなんじゃないでしょうか?(笑)いや、たんなる新興宗教団体の会則なんですから、会員以外にとってはどうだっていいんですけど、こんなスットコドッコイな会則のある会の会員さんは不憫ですよね。とんだ物笑いなんですが、これをヘンだと思ったら不幸になると信じ込まされていますから、たとえヘンだと思っても、決して口に出せないのが創価学会という組織ですね。疑えば地獄、信じても地獄の創価学会。とにかく言うこと聞かない会員はみんな地獄行きなんだそうですから、そんなところに入る方がどうかしてます。自分で考えることに恐怖心を植え込み、言われたこと以外のことをすると不幸になるとしか思えず、「幸せになりたい」一心でひたすらお金を差し出すのが創価学会の一般会員です。
私の記憶が正しければ「日蓮仏法で言うところの「仏」というのは最高の生命状態というか境涯のことだ~!末法の衆生を大聖人の仏法に縁させることを使命として生まれてきた菩薩なんだよキミたちは」と散々言ってきたんじゃないかと思います。
創価の教学としては「仏」も「菩薩」も間違っても特定の人物や団体を指すようなものではなかったと思うんですけどね。十界論とか一念三千とか、中学生のとき任用試験のために勉強させられました。戸田会長が獄中で悟ったとされる「仏界とは生命のことなんだ~」と小説人間革命に書いてあるじゃないですか。映画「人間革命」の中で丹波哲郎さんが叫んでたじゃないですか(笑)。
一人で聖教新聞を何部もとって、財務を出して本当に仏界の境涯をもらえるんなら、こんなに安上がりなものはないですよ。仏界って何者にも動じることのない悟りの境地なんでしょ。結局お金か~い?(笑)じゃあ、いったいいくら出したら「仏」になるんでしょうね。どこに創価学会仏という仏がいるんでしょう。それとも創価学会員はすでに全員「創価学会仏」てことなんですかい?「仏」も堕ちたもんですなあ。勇者ヨシヒコにも「ホトケ」が出てきますが、あれより生臭いですよ。お金出すんだからサンプル見せて欲しいものです。ときどき聖教新聞に載ってる虚ろな目をした池田大作先生は仏でしょうか?(笑)創価学会員が目指している仏の境涯は、あのときどき聖教新聞に載っているボケ老人の姿なんでしょうか。あれが池田大作仏…いっそ池田大仏って呼んだらどうでしょ(笑)さすがに仏ともなると5年もの間、声も姿も見せないで毎日のようにメッセージだの本の執筆だのして、新聞紙上では最高幹部とだけ懇談するらしいです。でも一般会員には一度たりとも声も姿も現さない。さすがホトケは違いますなあ(笑)

●signifie (2016年11月22日 00:41 )
創価学会仏→創価学会異物→創価学怪物→池田大仏
もうこんなジョークにしかならないようなことを会則にしなければならないほど、創価学会はいよいよ世の中から乖離したのか、あるいはガタガタになってるってことだと思ったんですが、よく考えたら、創価の教義とか会則はもちろん、昔からやることなすことデタラメだったことにこっち側が気づくということなんです。ただ、会員は洗脳されて気づかなかったということだったんですね。そのときそのときで会員をどうやったら騙してお金を騙しとるかということで、指導とか教義とか会則がコロッコロ変わってきたのが創価学会だったんです。気づかなかっただけの話。つまり自分で気づくしかないということだし、いったん気づけばすぐに詐欺だとわかるのが創価学会です。

 


解説
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「創価学会仏」、これを聞いた時は、私も耳を疑いましたね。
そして、あきれました。


獅子風蓮