というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。
本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。
(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
□親子関係編
■恋愛、友人関係編
□進学、就職、転職編
□信仰活動編
□信仰活動離脱後編
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
恋愛、友人関係編
Q:宗教を理由に学校でイジメを受けていて、とても苦しいです。
A:ぼくは、6年間受けつづけたイジメを、「ブランディング」で切り抜けました。
あれは、小学3年生のときのこと。
「お父さんの仕事を作文でまとめて発表しましょう」という宿題が学校で出ました。
ぼくは、戦々恐々です。
あらためて確認しますが、ぼくの父は創価学会の理事長も務めた大幹部。新卒で創価学会本部職員になり、日本や世界各国を飛びまわったツワモノです。その父のことを、教室で周知するというのです。
当時、ぼくがかよっていたのは公立の小学校で、クラスメイトのほぼ全員が創価学会員ではありません。
状況は、危険です。しかもこの危機は深刻さを増していきます。
ぼくが家で作文を書きあげると、それを見ていた母が添削を開始。消しては書き、消しては書き……気がつけば原形をとどめないほど書き換えられていました。
で、発表の日。
みんなが、父親の仕事についての作文を読みはじめます。
「わたしのお父さんは公務員で~」
「消防士で~」
「建設会社で働いていて~」
ほほえましい発表がつづきます。
そして、ぼくの番。
「ぼくのお父さんは世界平和のために、日本中、世界中を飛びまわっています」
瞬間、教室が「え?」という雰囲気になります。ぼくはつづけました。
「お父さんは、偉大な師匠である池田大作先生のもとでたくさん学び、大勢の人を励ましています」
ざわつく教室。ふるえる、ぼく。
うしろの席の子どもが、こういってきました。
「お前の父ちゃんって、ヒーローなの?」
これ以降、ぼくは好奇の目にさらされることになります。
しかもぼくは、当時イジメを受けていて、この作文を機に、イジメが過熱してしまいます。
ぼくは、小さいころはとてもおとなしく、なにごとにも消極的な子どもでした。そんなぼくをイジメっ子が見逃すはずがなく、ぼくは幼稚園時代から小学4年生までの6年間、イジメに遭っていました。
イジメは地獄でした。
子どもにとって、幼稚園や小学校のクラスは生きる世界のすべてといっていいほど大きなものです。そこで攻撃を受けると、逃げ場はありません。
ぼくは、何度も何度も泣かされてきました。
「キャラ変」してイジメられっ子から卒業
しかし――。そこに転機が訪れます。
小学5年生になる直前に、近隣に新しく小学校ができ、ぼくはそちらに移る機会にめぐまれたのです。ぼくにとっては、過去を振り切るチャンス!
大学や高校に入学するときに外見や服装を変え、キャラクターも変えて心機一転をはかる人がよくいます。
ぼくはそれの、小学5年生バージョンを決行。キャラは明るく、人にはやさしく、授業でも積極的に手をあげて意見をいうキャラにチェンジしました。
たとえば、理科の実験がある場合は、多くの児童が「だるい」と思っているときに、「めちゃ楽しそう!」と叫んで、率先して実験を進めていく。テレビでお笑いを勉強して、他人を笑わせるテクニックも自分なりに習得。
こうした立ちふるまいは、まず教師に気に入られました。
ただし、これには懸念もありました。「あいつ、先生に取り入ってるよ」と、ほかの児童から嫉妬を買う可能性があったのです。
長年イジメを受けてきたぼくは、警戒心、全開! 実際、クラスのガキ大将から目をつけられてしまいました。新しい小学校には、前の学校でぼくをイジメていた人も数人、移ってきていました。それも看過できません。
そこでぼくが行ったのが、「ブランディング」です(当時はそんな言葉、知らなかったですけど)。
ぼくには得意なことがありました。絵を描くことです。
漫画っぽい絵から、図解もの、写実的な絵画まで、さまざまなタイプの絵を描きわけることができました。
その能力をまずは強化します。絵を描きまくってうまくなっていくわけです。そのうえで行ったのが、ブランディングです。
ぼくは、あらゆる場面で絵を描きました。図画工作の時間だけではありません。算数や理科のときには図やイラストを。社会の時間には教科書の偉人の顔に落書きなどを。休み時間にも四コマ漫画を。辞書のような分厚い本の端っこにはパラパラ漫画を。 そして、帰宅してからは家で漫画を――。
すると、クラス内に「絵といえば正木」というイメージができあがります。くわえて、暗い顔をしている子がいれば励ますために絵を描いて贈ったり、どうしても理科の授業を受ける気分になれない子がいれば「理科室へ、一緒にGO!」みたいなイラストを見せて笑わせたりというふうに、絵を披露する機会も増やしました。
こうしていくと、なにかにつけてクラスメイトがぼくに「絵、描いて!」と依頼してくるようになります。「絵を描くのがうまい正木」を、みんながひんぱんに思い出してくれるようになるのです。
ブランドを考えるときに、「セイリエンス」という指標を使うことがあります。セイリエンスとは、そのブランドが思いだされる機会の多さと、思いだされたときの度合いの強さをかけ合わせたものです。ぼくは知らない間に、このセイリエンスを強化していったのですね。
その結果、ぼくはクラスで居場所を獲得することができました。ガキ大将は、ぼくの漫画の愛読者に変わりました。
つらい環境でも、自分の「強み」を発見してみよう
このエピソードには興味深い点があります。最初は「演じて」明るくしていたぼくが、ほんとうに明るい人間へと変わっていったのです。ブランディングも、慣れてしまえば無意識の作業になります。人って、ほんとうに不思議ですよね。これにより、ぼくはイジメから脱することができました。
ただ、こうしたぼくのエピソードを読んでも、「わたしに得意なことなんて、なにもない」と思った人もいるかもしれません。
宗教2世のなかには、たくさん傷つき、涙を流してきたがゆえに自信を失っている人がいます。そういった人は、「わたしに強みなんてあるの?」と疑問をもつかもしれません。
大丈夫です。安心してください。
この世に、強みのない人は一人もいません。
なぜなら、あなたとまったくおなじ個性をもっている人間は、この世に一人もいないからです。
あなたには、ほかのだれもがもっていない「個性」がある。
その個性は、見かたを変えれば強みになります。
いまは、それがただ見えていないだけ。大丈夫です。
たとえば、行動力のある人がいるとします。それが長所だと本人は思っている。ですが、裏を返せばそれは思慮深さが足りないという短所になるかもしれません。反対に、行動力がないという短所は、思慮深いという長所にもなり得ます。
長所・短所といっても、それは相対的な価値であって、見かたを変えれば長所にも短所にもなるわけです。
この性質は、あなたがもっている個性の要素――それこそ無限に分解して、わけてとらえることのできる「あなたらしさ」の要素すべてにいえます。
あなたには、あなたにしかない強みがかならずある。大丈夫。
苦悩のなかにいるとき、人はどうしても視野を狭くしてしまいがちです。そして、自己否定に至ってしまう。
でも、苦悩の渦中だからこそ、「これは自分の強みを見つける機会につながっているかも」と思い直してみてください。
実際ぼくは、子ども時代はイジメのなかで、そして大人になってからはうつ病のなかで、「新たな自分」を発見し、それを強化してきました。
苦しかったからこそ、真剣になって強みを見いだすことができた。
苦悩はときに、「新たな自分」を発見するエンジンになるのです。
(中略)
Q:教団の文化に、違和感を覚えるようになって苦しいです。
A:同調圧力に屈しないために、違和感の根っこを分析しよう。
子どものころの輝かしい時間は、長くはつづきませんでした。小学校を卒業し、創価中学に入学したあと、ぼくは想像もしなかった事態に直面します。
当時は、創価学会の指導者・池田大作氏がひんぱんに創価学園に来て、式典でスピーチをしていました。
そのときに“池田先生”がなにかをよびかけると、学園の生徒たちが「ハイ!」と返事をし、みんなが一斉にピッとひじを伸ばして手をあげるのです。
ぼくは、これに仰天しました。
「このなかで親孝行をしている人!」(池田氏)
「ハイ!」(学園の生徒一同)
ぼくは、気持ちが悪くなります。
まるで「ハイル・ヒトラー(ナチス式敬礼)」じゃないか……。
そのころのぼくは、反抗期に入ったばかり。こういったことに対する忌避感が急速に高まっていました。
学園祭などの前にも、準備活動として、創価学園を創立した“池田先生”について学ぶことがありました(これは学校としての公的な取り組みではなく、生徒同士による活動・研鑽)。
ぼくは、池田氏について学びたいとは思えなかったのですが、周囲はみんな研鑽をしている。だから、ぼくも勉強会に参加せざるを得ません。
そこに、ある種の同調圧力がまったくないかといえば、嘘になるでしょう。たとえば創価学園の生徒は、行事などで池田氏への尊敬を表現する団体演技――みんなで振りつきの歌を合唱し、池田氏にむかって決意を宣誓する――を行います。
その取り組みが全員参加型であることもしばしばで、この演技をボイコットす
ることは容易ではありません。
くのです。
基本的に生徒はみんな、池田氏への尊敬の念を表現していました。
このころにぼくが強烈に意識したのが、「同調圧力」です。
これは生涯にわたってぼくのなかで生きている習慣ですが、ぼくはなにかしらの違和感を抱いた際に、それを放置しないようにしています。
「あれ?」と思ったことは、「そういうものだから」とスルーしない。
ぼくはこれを、「違和感のマーキング」とよんでいます。
で、マーキングをしたら、じっくり時間をかけて違和感の根っこを吟味していくのです。
同調圧力を心にとどめたのは、その端緒といえるでしょう。
自分の本音に耳を澄まして、自分に正直に生きる
創価学園の式典に参加したある日のこと。
ぼくが池田氏のよびかけに無反応でいると、となりにいた同級生から「なんで手をあげないんだよ。お前も先生の弟子だろ」といわれたことがありました。ぼくはムッとします。とはいえ、友だちに反抗するのも面倒なので黙りました。このような経験を積みかさねていくうちに、ぼくはみずからの生きかたについて、ある結論に至ることになります。それは、「自分の本音に耳を澄まして、自分の頭で考え、自分に正直に生きよう」ということです。
しかし、「言うは易く、行うは難し」とはまさにこのこと。ぼくがこの行動原理をほんとうの意味で実践できるようになったのは、30代後半になってからでした。ただ、自分に正直に生きようと決意した原点は、創価学園時代にあります。
ぼくは、創価学園で抱いた違和感を大切にしました。
そして、それをじっくりと分析。これはいわば違和感の根っこ分析ですね。
その折にもっとも参考になったのは、哲学者ハンナ・アーレントの議論です。
アーレントは、ユダヤ人の大量虐殺を行ったナチスの蛮行が「なぜ生じたのか」「なぜだれも止められなかったのか」について探究しました。
そういった体制を生む危険な運動を「全体主義」とよびます。全体主義の社会とは、国家や社会を構成する大多数の人々が一つの思想を強く信奉し、おなじ生活や行動パターンになっているか、少なくともそういう状態を目指した体制づくりが進んでいる社会のことです。そこでは社会全体が均質化し、統制がとれた状況になっています。
しかも、そんなナチス・ドイツの全体主義への流れの加速は、当時としてはわりと平時に、つまり戦争のど真ん中といった異常時ではない時期に生じました。これが、世界を驚かせました。なぜ、そんなときに全体主義が?
ぼくはアーレントの知見を学ぶにつれて、創価学会が全体主義に陥らないともかぎらないという意識をもつようになりました。
全体主義の足音は、「なんで手をあげないんだよ。お前も先生の弟子だろ」といった、ささいで、ほんとうに小さな同調のもとめから響きはじめます。
ぼくには、ひたひた、とその足音が聞こえる気がしたのです。
この直感は、大人になって学会活動をするほど確信に変わっていきました。もちろん、創価学会がそのままナチスのようになるわけではありません。ですが、全体主義的な要素をふくらませていくようにはなると思いました。同時に、アーレントの議論をもとに、学会員の友だちと接するときに配慮すべきポイントを何点かあげ、それを意識してコミュニケーションをとるようになっていきました。
なぜなら、創価学園のなかでお互いが同調圧力を発揮し合うようになれば、全体主義的なものが、一人ひとりがもっている個性や、みんながもっている多様性を圧殺してしまうことがあるかもしれないと思ったからです。
自分の個性をありのままに輝かせたい。あの友にも個性を輝かせてほしい。
その願いがより叶う状況をつくるには、少なからず創価学園に吹く同調圧力の風にさからう必要がありました。
Q:教団仲間の同調圧力に、負けてしまいそうで苦しいです。
A:「ネガティブ・ケイパビリティ」を友だち付き合いのなかで実践しよう。
前節で、個性を圧殺しかねない同調圧力についての話をしました。宗教教団のなかでは友だち付き合いでも強い同調圧力が働くことがあります。たとえば、献金が激しい宗教団体があるとします。その激しさゆえに、その教団の多くの家庭は貧乏です。みんな、貧しい格好をしている。
そんな環境のなかで、オシャレをするとなるとどうなるか。
周囲から「なんであなたは(もっているお金をすべて献金に使って)清貧に生きない の?」といった干渉を受けるかもしれません。
ここではオシャレを例に出しましたが、こういった同調圧力によって、自分らしく、自分の好きなように生きることが困難になることがあります。そのような宗教2世が自分らしく生きるには、生存戦略が必要です。
では、ぼくの生存戦略はどんなものか。
それをかたちづくるうえで重要な話なので、ここでは、まどろっこしいようですが、全体主義が生じた原因をアーレントの洞察から拾いあげてみます。のちの話に結びつく内容ですので、しばらくお付き合いください。
ここでは、国や社会などの構造、また歴史の流れが生んだ全体主義の原因ではなく、個々人のふるまいが生んだ原因をデフォルメして列挙します。
① みんなの同質性を重視し、異分子は同化させるか排除する
② 異なる意見をもつ人が対話し、意見交換し合う領域を減らす
③ 組織が志す理想の実現について深く考えず、思考を停止する
④ 強力なリーダーシップをもった人物をもとめる
(中略)
ぼくは、①~④が起こらないように配慮し、まずはぼく自身が思索し、みずからが思考停止をしていないかを自己点検していきました。
そして、学会員の友だちと語らう際は、多彩な考えの可能性に配慮できるよう、話題を盛り込むようにしました。
友人たちからすれば、厄介な態度だったかもしれません。
たとえば学会の組織で、みんなが広宣流布をあたりまえのこととするなかで、「なぜ広宣流布(世界平和)を目指す必要があるの? そもそも広宣流布ってどんな状態を指すの?」などと聞いたことも多々ありました。
こういった、立ち止まって考えるという微々たる抵抗は、少なからずぼくの周囲の人たちに知的感化を与えたと思います。
……一応断っておきますが、つねにこんな問いをぶちこんでいたわけではないですよ。みんなで楽しく、ワイワイやるのは、ぼくも大好きです。基本は、楽し仲良くをベースにはしていました。
集団の暴走を止めるネガティブ・ケイパビリティ
ぼくのこうした対応は、近年話題になることが増えた「ネガティブ・ケイパビリティ」に近い態度かもしれません。
ネガティブ・ケイパビリティとは、物事の判断を宙づりにして、謎を謎のまま抱え、安易に納得したり即断せず、自身のなかで考えを深める力のことです。全体主義にまつわるアーレントの議論に沿っていえば、みんながおなじ方向にどんどん進んでしまっているときに、それとはべつの道を考え、疑問や問いを立て、探索的に思考することです。
もちろん、みんながみんなネガティブ・ケイパビリティを発揮しまくってしまえば、物事は遅々として進まなくなるかもしれません。
ですが、こういった思考の余白が失われる社会は、軋みを生みます。
なにかを決断した瞬間、人はともすると「ほかにあり得た可能性」が見えなくなってしまう傾向にあります。そうして、ほかに可能だったかもしれない選択肢への想像力が失われていくと、社会はやせ細ってしまう。あるいは、多様性を失ってしまう。
その極致が、全体主義です。
そのため、ネガティブ・ケイパビリティはいま、見直されてきています。
ちなみに、このようなアーレントの議論を引き合いに出すと、学会員のなかには「ナチス・ドイツは特殊な事例であって、創価学会ではこんなことはあり得ない」という人も出てくるでしょう。
ですが、そもそも「創価学会は大丈夫」と手放しで考えるその態度こそが、思考停止だといえます。
先哲が教えてくれるのは、「うちは大丈夫」と考えるのではなく、「うちにもそうなる可能性がつねにある」と思ってふるまったほうが組織は永らえ、発展するという卓見です。
(中略)
(つづく)
【解説】
ネガティブ・ケイパビリティって、皆さん知っていましたか?
私は友岡雅弥さんのSNSでの発言ではじめて知りました。それまで知りませんでした。
友岡雅弥さんの言葉:SNSより(20)(2023-08-01)
本書のこの箇所を読んで、もしかしたら正木伸城さんは友岡雅弥さんの影響を受けているのかもしれないと初めて思いました。
正木伸城さんも友岡雅弥さんも聖教新聞社に勤めていたことがありますから、十分接点はありますね。
獅子風蓮