獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

聖書と歴史から読み解くユダヤ人とユダヤ教 その2)

2024-09-17 01:58:40 | キリスト教・ユダヤ教・イスラム教

中東の紛争を理解するには、その宗教と歴史から勉強する必要がありそうです。

d-マガジンでこんな記事を読みました。

引用します。


ニューズウィーク日本版 9月17日・24日号

聖書と歴史から読み解くユダヤ人とユダヤ教

ユダヤ人はなぜ世界に離散したのか? 
多くの優秀な人材を輩出したのはなぜか? 
ユダヤを知れば今の世界が見えてくる

嶋田英晴
(同志社大学一神教学際研究センター共同研究員)

(つづきです)

共同体を維持できた理由

神殿を失った離散のユダヤ社会では、200年頃、ダビデ王の子孫でユダヤ社会の指導者でもあったラビ・ユダ・ハナスィが生活原理の規範となる口伝律法であるミシュナを編纂した。これを基にラビたちの法解釈が連綿と積み重ねられ、やがて4世紀末および5世紀末にそれぞれ口伝律法のパレスチナ・タルムード、バビロニア・タルムードが結集された。こうして、ユダヤ社会はかつての神殿祭祀を脱し、ラビたちの指導による聖書(成文律法)やタルムード(口伝律法)の研究解釈を中心とするものへと変質していった。
このため、中世を経て近代に至るまでのユダヤ教はラビ・ユダヤ教と称される。ラビ・ユダヤ教の特徴は、2つのトーラー(律法)という信念である。すなわち神の意志は、成文トーラー(ヘブライ語聖書)と口伝トーラーによって二重にモーセに啓示されたとされ、成文トーラーに拘束されながらも、口伝トーラーによってそれを柔軟に解釈することで、環境の異なる新しい事態にも対処できるようにした。
ディアスポラのユダヤ人は、キリスト教国家やイスラム国家において、寄留民として独自の共同体を形成し、ユダヤの律法と宗教的伝統を守り抜くことにより、移住地の社会に溶け込まず、民族としてのアイデンティティーを保ち続けた。このことが、各地でユダヤ人が偏見と迫害にさらされる大きな要因の1つとなった。
そのユダヤのアイデンティティーを維持するため、ユダヤ社会に不可欠の制度が既に古代からラビたちによって明確に意識され定義されていた。タルムードによれば、それは賢者の子弟が住む社会に必要な10の条件とされている。それは、①ベート・ディーン(3人で構成される法延)、②慈善のための基金、③ベート・クネセト(シナゴーグ・ユダヤ人会堂)、 ④公衆浴場、⑤公衆便所、⑥医師、⑦外科医、⑧書記、⑨資格を有する家畜屠殺人、⑩子供の教師、である。
各地のこうした共同体から成り立つユダヤ社会のユダヤ人は、ササン朝ペルシアや旧ローマ帝国領内などで農業や商業を営んでいたが、7世紀以降両帝国の版図の大半がイスラム勢力によって征服された。そのため当時世界のユダヤ人口の90%以上がイスラム世界で居住することとなった。広大なイスラム世界では、非ムスリムはイスラム法の優越を認め、人頭税と土地税を支払えば、生命・財産・信仰の自由と共同体ごとの自治が保証された。
このためユダヤ人はイスラムによる支配を歓迎し、やがてその多くが離農して都市居住者となり、商業、手工業や金融業をはじめとするさまざまな職業に従事するようになった。イスラムは、宗教宗派や民族などの違いを超えてそれぞれの長所を積極的に活用したため、ユダヤ人も大いに活躍してイスラム世界の繁栄に貢献した。
ディアスポラのユダヤ社会がいかにして横のつながりを維持していたかについてはさまざまな要因が考えられるが、イスラム世界に関しては以下のとおりだ。イラクとパレスチナ(ティベリア)に存在したユダヤ教学の学塾(イェシヴァ)塾長(ガオン)の指導の下に、ラビたちが各地の共同体から寄せられる律法に関する問い合わせに対して、宗教規範に即した回答を与えていた。その結果、それまでイラクやパレスチナの学塾の周辺のみで通用していた ラビ・ユダヤ教のタルムードの伝統が遠隔地の共同体にまで次第に浸透していき、イラクやパレスチナを中心とした各地の共同体相互の交流や精神的絆が大いに促進された。このことが各地のユダヤ人がさまざまな活動を行う際の強力なネットワークとして機能した。
一方ヨーロッパでは、特に11世紀末から始まった十字軍派遣頃から、「新約聖書」でキリストを裏切ったユダへの憎悪になぞらえる形で、異教徒討伐の名の下にユダヤ人迫害が激化し、ライン川流域のユダヤ共同体などが襲撃された。またこの頃からユダヤ人は全ての組合から排除されるようになり、キリスト教徒に禁止されていた金融業に従事するようになった。ベストの流行や儀式殺人の疑いも迫害の原因となった。
1492年にイスラム勢力を掃討してキリスト教による国土統一を完成したスペインでは、ユダヤ人に対する追放令が発せられ、改宗か追放を迫られた。さらにイタリアでは、16世紀半ばにユダヤ人を集団隔離する居住区ゲットーが現れ、西欧各地に広まった。一方、主にドイツを中心とする西欧に居住していたユダヤ人は、迫害を逃れてポーランドなど東欧へ移住して繁栄したものの、17世紀半ばに幾度も迫害を受けた。
数々の差別・迫害を受けてきたユダヤ人であったが、ユダヤ人自身による解放を模索する動きもあった。しかし、実際にユダヤ人解放の契機となったのは、フランス革命とナポレオンによるゲットーの解体に伴うユダヤ人解放と、市民権の付与、そしてその潮流の西欧各国への伝播であった。こうして、西欧各地でユダヤ人の解放が進み、各界への進出が見られた。
しかし、これでユダヤ人差別が解消されたわけではなかった。ユダヤ人の各界への目覚ましい進出ぶりは、周囲の激しい妬みや反感を買い、19世紀後半になると西欧で民族主義が活発化し、反ユダヤ主義が台頭するようになった。またロシアでは、度重なるポグロム(ユダヤ人大虐殺)により多くのユダヤ人が犠牲になった。そんな中で、1894年にフランスで起きたドレフュス事件(ユダヤ人陸軍大尉がスパイ容疑で逮捕された冤罪事件)を契機に、ユダヤ人はその故地シオンの丘に帰還して自らの国家を再建すべきであるというシオニズム運動が盛んになった。
20世紀に入ると、ロシアで再びポグロムが発生し、多くのユダヤ人がアメリカに移住したが、この時パレスチナに移住したシオニストが後にイスラエル建国の基礎を築いた。第2次大戦では、ナチスによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)により600万人のユダヤ人の命が奪われるという大きな悲劇に見舞われた。度重なるポグロムやホロコーストに対抗する形でシオニズムが発展し、世界各地からパレスチナに多くのユダヤ人が移民した。
1948年にパレスチナのユダヤ人たちはイスラエル国家の独立を宣言した。ところが、これによりこの地域に居住していたアラブ人(パレスチナ人)が排除され、多くの社会的・政治的問題が生じた。これ以降、イスラエル/パレスチナ問題は、今日に至るまで中東地域ひいては世界で最も解決が困難な問題の1つとなっている。


ユダヤ人はなぜ「優秀」か

ユダヤ人はよく優秀な人物や大富豪を数多く輩出すると言われる。しかしその理由について説明することは極めて困難である。ユダヤ人はしばしば迫害や追放を受けたため、持ち運ぶのが可能なものは自分の頭にしまい込める知識や知恵であるとして、教育や学問を極めて尊ぶ精神や環境が大きく作用していることは間違いない。しかしここでは、ヘブライ語聖書に登場する1つのエピソードに的を絞って考えてみたい。
「創世記」に登場するヤコブは、祝福を求めることに対して誰よりも貪欲であった。ヤコブは兄エサウから長子権を奪っただけでなく、父イサクをだましてその祝福をも得た。さらに後に彼は神と格闘し、これに勝利するや否や、神による祝福を求めた。そして神から祝福を授かっただけでなく、もはやヤコブではなく「イスラエル」と改名するようにと告げられた。「イスラエル」とは、「神と人(複数形)と争い、これを「克服する者」を意味する。ユダヤ人は主に知的領域において常に神と格闘し、ユダヤの神はこれに対し「よく付き合って」くださる。ヤコブと神と人々との格闘に象徴される精神活動を通して、ユダヤ人の知的活動 は比類なき奥深さと独自性に至る。
ヤコブは兄のエサウと和解し祝福を返したが、この「格闘」は現在のユダヤ人に引き継がれている。問題は祝福としての「神の意志」の解釈である。ユダヤ人が祝福を自利のみと解釈すれば、世界に未来はないだろう。しかし彼らが祝福を自利・利他的なものと捉えるならば、まだそこに希望は残っている。

 


解説

20世紀に入ると、ロシアで再びポグロムが発生し、多くのユダヤ人がアメリカに移住したが、この時パレスチナに移住したシオニストが後にイスラエル建国の基礎を築いた。第2次大戦では、ナチスによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)により600万人のユダヤ人の命が奪われるという大きな悲劇に見舞われた。度重なるポグロムやホロコーストに対抗する形でシオニズムが発展し、世界各地からパレスチナに多くのユダヤ人が移民した。

図を見ると、アメリカに多くのユダヤ人がいることが分かります。イスラエルの人口に迫る数です。

アメリカの政策がイスラエルに偏りがちになるのもそのせいなのですね。

 

ヤコブは兄のエサウと和解し祝福を返したが、この「格闘」は現在のユダヤ人に引き継がれている。問題は祝福としての「神の意志」の解釈である。ユダヤ人が祝福を自利のみと解釈すれば、世界に未来はないだろう。しかし彼らが祝福を自利・利他的なものと捉えるならば、まだそこに希望は残っている。

やはり、宗教間の紛争を根本的に解決するには、それぞれの宗教が、「神の意志」を利他的に解釈する必要がありそうです。

仏教の利他の精神も、そこに協力できればいいのですが。

けっして、仏教への改宗を進めるという意味ではなく。

 

獅子風蓮



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