獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

藤圭子へのインタビュー その10

2024-02-03 01:29:55 | 藤圭子

というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。

(目次)
□一杯目の火酒
□二杯目の火酒
■三杯目の火酒
□四杯目の火酒
□五杯目の火酒
□六杯目の火酒
□七杯目の火酒
□最後の火酒
□後記


三杯目の火酒

   3

__あなたは、確か、RCAというレコード会社からデビューしたんだよね。そこから出ることになったのは、どういういきさつだったの?

「沢ノ井さんのとこから受けに行って、まず東芝に落ちたでしょ。次にコロムビアを受けたわけ。でも、コロムビアに受かっちゃったの。だから、本当は、コロムビアからデビューするはずだったんだ、あたし。ところが、夏のはじめの頃、沢ノ井さんとRCAの若いディレクターと会ったわけ。クラブみたいな、ちょっと暗いとこで。それがそのディレクターとの初対面だったんだ、あたしは。沢ノ井さんの方は何回か会ってたらしいけど。もちろん、RCAでやりたいとか、そんなんじゃなかったんだ。話しているうちに、夜中の12時が過ぎたんだよね。7月4日から7月5日になったわけ。7月5日はあたしの誕生日なの。だからみんなに、冗談で、あたし、今日、誕生日なんだ、なんかプレゼントくれない、って言ったの。そうしたら襄(じょう)さん……そのRCAの ディレクターは榎本襄っていうんだけど、襄さんが、今日は何日って訊くわけ。12時が過ぎたから、7月5日だよ、って答えたんだ。そうしたら、襄さんが、ああ、ぼくも誕生日だ、って言い出して、はじめは冗談と思ってたんだ。ところが、本当に、10歳ちがいの7月5日生まれだったの。同じ誕生日の二人が、その誕生日の日に会ってたわけ。びっくりしたなあ、それは」

__なるほど、それで、その榎本さんは、あなたに入れ込むことになったんだね。

「不思議なんだよね、そういうのって」

__そのときまでは、RCAでデビューするなんて決まってなかったのか……。

「うん。だから、9月25日のデビューまで、バタバタだよね。コロムビアを断わって、 レコーディングして……無理やり出したっていう感じだった」

__どうして、そんなに急いだの?

「新人としては、その年度に間に合わなくなるからって、急いだんじゃないのかな」

__あなたも早くデビューしたかった?

「何も考えてなかった。歌えと言われれば歌い、行けと言われれば行った……」

__いつ歌をもらったの、〈新宿の女〉は。

「さあ、いつだったかな」

__そんな大事なことも忘れているんですか、あなたは。

「うん。譜面をいつもらったかは忘れたけど、そういう歌ができたって言われたときのことは覚えてるんだ。夜中に電話が掛かってきたの。すばらしい曲ができたよ、純ちゃん、すばらしいのができた、って。沢ノ井さんが名古屋に行っているときじゃなかったかな。あの人……沢ノ井さんて、夜中に電話するのが大好きな人でね、大事な話があるからっていうんで、急いで駆けつけると、肩が凝ったからもんでくれないかとか、ほんとに変な人なんだ」

__そのとき、沢ノ井さんが電話を掛けてきて、教えてくれたのが〈新宿の女〉だったの?

「そうなの。これから歌うから、聞いて、すばらしいから、って」

__詞だけじゃなく? ああそうか。〈新宿の女〉は沢ノ井さんが作曲もしてるんだ。 沢ノ井さんと言おうか、石坂まさを、と言おうか……。

「歌詞はね、本当は他の人が作ったの。そういう歌詞を作っている人たちの同人誌みたいのがあって、名古屋へ行ってすばらしい詞を見つけたからって言って、その場でメロディーをつけて、電話で歌ってくれたわけ」

__そうか、この歌詞カードにも、みずの稔・石坂まさを共作詞、とあるね。

「はじめ、同人誌の人の歌詞は、いまみたいのじゃなかったんだ」

__なるほど。つまり、沢ノ井さんが補作したわけだ。〈新宿の女〉の一番の詞は……と。

  私が男になれたなら
  私は女を捨てないわ
  ネオンぐらしの蝶々には
  やさしい言葉がしみたのよ
  バカだな バカだな だまされちゃって
  夜が冷たい 新宿の女

この詞が、もともとは、少し違っていたわけだ。

「電話を掛けてきたときは、最初の2行がこうなってたの。

  灯りをともして吹き消した
  あなたは気まぐれ夜の風

それを、沢ノ井さんが、あとで変えたんだよね」

__もともとの詞でも、悪くはないね。でも、比べてみると、沢ノ井さんの詞の方が力が感じられるね。荒っぽいけれど。

「それにしても、あたしが男になれたなら、あたしは女を捨てないわ、なんて、普通の人の発想じゃないよね。直接的すぎるし、言葉の言いまわしも変だしね」

__でも、妙に力強いんだよね。もらったとき、いいと思った?

「いいとも悪いとも思わなかった……と思うな」

__〈新宿の女〉をレコーディングした、RCAのスタジオって、どこにあったの?

「どこだったかなあ……」

__だって、初レコーディングでしょ、あなたの。

「そうだよ」

__そんなことも覚えていないんですか。ほんとに欠陥商品ですね、あなたの記憶装置は。……しかし、考えてみると、すごいね、逆に。

「そうだよ、そこがあたしのいいとこなんだよ」

__そうかもしれないね。

「そんなことくらいで、緊張して、何から何まで覚えているようだったら、もう歌手としてはそこで終ってたよ。そうじゃなかったから、よかったんだよ」

__あるいは、ね。演歌の星を背負った宿命の少女、なんていうキャッチフレーズは誰が考えたの。やっぱり、沢ノ井さん?

「そうだろうね、きっと」

__白いギターを持ったりしたのも?

「それは、みんなで。はじめはね、ギターを当り前に持ってもつまんないからって、金色にするつもりだったんだ。金粉まぶしたり、いろいろやってみたけれど、ベタベタするばかりでうまくいかなかったから、それじゃ白く塗ってみようということになって……白いペンキを塗っただけなの、安物のギターに。衣装が黒いパンタロン・スーツだったのも、沢ノ井さんたちに言われたとおりにしただけなの。別にどうでもよかったから、異議なし、って感じ。ただひとつ、デビューのときにいやだったのは、年齢をごまかしたことなの。ひとつ、低くしたんだ。それには抵抗したなあ、ほかのことはどうでもよかったけど。初期の頃のパンフレットには、17歳でデビューしていることになっているんだよ。昭和26年なのに、27年生まれになってるの。パンフレットができあがってから知らされて、絶対に嘘つくのなんかいやだって頑張ったんだけど、それは通らなかったの。やっぱり、18歳より17歳の方が語呂がいいからって、襄さんがやっちゃったらしいんだ。いやだいやだといったけど、駄目だった。そのことは、ちょっとつらかったなあ」

__しかし、仮に、ぼくが榎本さんの立場だったとしても、あるいは17歳ということにしたかもしれないな。7月生まれの9月デビューなんだから、嘘をつくのもほんの2ヵ月分だしね。やはり、17歳という響きの方が、人に訴える力を持っていたような気がするな。

「それはわかるけど、嘘をついてまでやることはないと思うんだ」

__これも、かなり意外なんだけど……会うまではわかんなかったんだけど、あなたは、すごく潔癖性なんですね。

「そういうとこはあるね。性格じゃなくても、生理的っていうのかな、そういうとこも変に潔癖でね。小さいときから、どんな山奥に興行で連れて行かれても、便所に入ったら、手を洗うまで、水の流れているところを探さないと気がすまなかったり、人の箸では絶対にものが食べられなかったり、そんなだった」

__年齢の件は、いつ正常に戻されたの?

「前川さんと結婚するとき」

__そうか、婚約が46年の6月だから……あなたが19歳のとき。嘘ついたままなら18歳! 若すぎるもんね。

「うん。でもね、その前にも、ラジオに出たりしてるときは、27年生まれということになっておりますが、ほんとは26年なんですなんて、よくしゃべってたから……」

__でも、〈新宿の女〉は、すぐには売れなかったよね。

「うん」

__新宿音楽祭、とかいう新人歌手のコンテストにも、落ちたとか……。

「そうなんだ。テープ審査の段階で、もう落とされたらしい。古めかしいとか、なんとかいう理由で」

__口惜しかった?

「ぜんぜん。沢ノ井さんが頭にきて、よおしそれなら、こっちはこっちでやろう、というんで新宿25時間キャンペーンを考え出したの。あたしなんか、別に口惜しくもなかった。当り前じゃないか、と思ってた。最初からそんなにうまくいくはずないよ、と思ってた」

__いやな子ですねえ、そんな冷やかに……

「だってそうじゃない。うまくいかないのが普通じゃない」

__それはそうだけど……その、25時間キャンペーンというので、どんなことをしたの?

「25時間ぶっつづけに新宿をスタッフのみんなと練り歩いたの。いろんな店に入っていって、〈新宿の女〉を歌わせてもらいながら、ね」

__何回くらい歌った?

「100回は歌わなかったかな……でも、50回以上は歌ったな」

__すごいね。

「それでも、御飯を食べる時間はあったし、そう大変でもなかったよ」

__結局、その年は、なんとか新人賞とかいうのには、引っ掛からなかったんだっけ、ひとつも。

「そう」

__〈新宿の女〉が売れ出したのは、翌年?

「次の年の2月に〈女のブルース〉を出したんだよね。出したら、それはすぐ売れて、それに引きずられて、また〈新宿の女〉が売れたっていう感じかな」

__ぼくは、正直いうと、〈新宿の女〉があまり好きじゃなかった。好きじゃない、というより、嫌いだったな、はっきりと。アクの強い、ザラッとするような……そのアクの強さに、アレルギーを起こしたのかもしれないね。

「あの歌はね、本人が余計なことを何も考えず、ただの歌と思って歌っていたところに、いいとこがあったと思うの。あたしが男になれたなら、あたしは女を捨てないわ、なんて、考えはじめたら歌えるような歌詞じゃないよ、実際」

__しかし、〈女のブルース〉っていうのは、いい歌だと思った。歌詞が変っててね。

「そうなの。メロディーに乗せて聞くと自然に耳に入ってきちゃうけど、それを眼で見ると、やっぱり驚くよね。

  女ですもの 恋をする
  女ですもの 夢に酔う
  女ですもの ただ一人
  女ですもの 生きて行く

初めてこの歌詞を見たときは……震えたね。すごい、と思った。衝撃的だったよ」

__どこで見せられたの?

「見せられたんじゃないんだ。沢ノ井さんの家の、茶の間みたいなところに、テーブルがあるんだよ。いつも、ゴチャゴチャ、いろんなものがのっかっていたりして、汚ないテーブル。その上を何気なく見ていたの。週刊誌とか、漫画とか乱雑にのっかっているから。そのとき、走り書きのしてあるザラ紙が、ポンとそこにのってたんだ。それを見て、ワァーすばらしい歌詞だな、誰が歌うんだろう、って思ったわけ」

__そうしたら、あなたの歌だったのか。

「そう、純ちゃんのだ、って。そのときは〈女のブルース〉じゃなくて、〈花のブルース〉っていうタイトルだった」

__三番の歌詞がいいんだよね。

  ここは東京 ネオン町
  ここは東京 なみだ町
  ここは東京 なにもかも
  ここは東京 嘘の町

実に単純な言葉を繰り返し使っているだけなのに、少しずつ情感が盛り上がっていく。演歌の歌詞って、不思議な力があるね。

「ここは東京、なんて当り前の歌詞が、みんな味が違うんだよね、歌にすると。四つが四つ違うんだ。あたし、これを歌うとき、聞いている人に、四つの東京を見せることができる、と思ったもん。思わない? なんで、ここは東京、という言葉が4回出てくるだけで、こんなドラマになるんだろう、って。沢木さん、思わない?」

__思う。

「すばらしいですよ、ほんとうに」

__冴えておりましたね、石坂まさを氏、は。

「そうなんです。 冴えていたんです。

  何処で生きても 風が吹く
  何処で生きても 雨が降る
  何処で生きても ひとり花
  何処で生きても いつか散る

ほんとに……何処で生きたって、いつか散るんだよね……」


解説
ただひとつ、デビューのときにいやだったのは、年齢をごまかしたことなの。ひとつ、低くしたんだ。それには抵抗したなあ、ほかのことはどうでもよかったけど。初期の頃のパンフレットには、17歳でデビューしていることになっているんだよ。昭和26年なのに、27年生まれになってるの。パンフレットができあがってから知らされて、絶対に嘘つくのなんかいやだって頑張ったんだけど、それは通らなかったの。

インタビュアーの沢木耕太郎さんも言っていますが、藤圭子さんはとても潔癖な人でした。

獅子風蓮



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