獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

藤圭子へのインタビュー その27

2024-03-06 01:55:29 | 藤圭子

というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。

(目次)
□一杯目の火酒
□二杯目の火酒
□三杯目の火酒
□四杯目の火酒
□五杯目の火酒
□六杯目の火酒
□七杯目の火酒
■最後の火酒
□後記


最後の火酒

   4

__あなたの引退をテレビで知ったとき、星、流れるって、思ったんだ。

「星、流れる?」

__小説家でね、玉砕という言葉を使って〈玉、砕ける〉っていう題名の小説を書いた人がいるんだよ。

「玉砕って、負けちゃうこと?」

__そう、玉というのは中国の宝石で、その玉が粉ごなに砕け散ってしまうことなんだけど、ぼくはね、流星って言葉が思い浮かんだんだ。

「流星……流れ星?」

__流れ星。あなたを、流星ひとつ、と声に出して数えてみたいような気がしてね。

「流れ星か……あたし、まだ、見たことないな」

__えっ?

「一度も見たことない、流れ星を」

__ほんと?

「ほんとだよ。流れ星を見たら、願いをかけるとか、みんな言うじゃない。でも、あたし、見たことない」

__だって、あなたは旭川で育ったんでしょ。

「そうだよ」

__空は澄んでいたでしょ?

「さあ……どうだったかなあ」

__あなたは、子供時代、何を見ていたんですかねえ。

「何も見ていなかったのかもしれないね」

__これだからなあ。ほんとに参りますね、インタヴュアーとしては……。

「それがあたしの子供時代だったんだから、仕方がないよ」

__それはそうだけど。

「北海道は……もう雪だろうな……」

__帰りたい?

「帰りたくない」

__やっぱり、東京がいい?

「わからないけど、もう北海道には住みたくない」

__寒いから?

「うん……」

__雪は嫌い?

「嫌い。降ってるときはいいんだよ。でも、あの雪解けのときがいやなんだ。汚いんだよ」

__でも、北海道は故郷でしょ?

「あたし、北海道が故郷とは思えないんだ。故郷なんて、どこにもないんだよ、あたしには」

__そう……。

「もう冬だね。……小さい頃、よく手伝わされたなあ。北海道って、冬のくる前に、やることがいっぱいあるんだよね。薪なんか、よく拾いに行ったなあ」

__薪拾いか。

「あたしたちは、薪拾いだと思ってたんだよね、あれは工場に薪拾いに行ってるんだ、って。でも、いま考えてみると、その薪は工場の所有物じゃない、それなのに拾いに行ってこいと言われて……持ってきちゃったわけだよね、結局」

__ハハハッ、つまり、失敬してきていたわけだ。

「子供だから、薪拾いを手伝ってると思っているわけ」

__暖房用?

「うん、薪ストーブの頃だね」

__北海道は、あなたにとって、もう遠いのか……。

「うん……そうだ、でも、このあいだ、友達と会ったんだ、中学時代に仲のよかった友達2人と」

__そう。

「偶然なんだけど、2人とも札幌に出て来ていて、同じ会社に勤めている男性と結婚していたの」

__社内結婚?

「ううん、旦那さん同士が同じ会社だったの、偶然に」

__偶然に?

「二人とも知らなくて、会って驚いたんだって」

__へえ、面白いね。

「それで、このあいだ、札幌で仕事があったとき、3人で会って話したの。もう歌をやめようと思うって言ったんだ、その友達に」

__彼女たちは、何と言ってた?

「よかったね、純ちゃん、もう十分に働いたんだから、今度は純ちゃんの好きなことしなよ、って。ほんといいじゃない、北海道に帰っておいでよ、そうしたら、昔みたいに、みんなで近所に住んで、仲よく暮していこうよ、って。よかったね、いいじゃない、って言ってくれた」

__それは嬉しかったね。

「うん、嬉しかったなあ、ほんとに……」

__でも、帰らないんだろ? 帰らないで、どうするの? ハワイに行くとか聞いているけ ど……。

「そうなんだ、ハワイに行くつもりなんだ」

__ハワイでどうするの?

「勉強したいんだ」

__さっきも言ってたよね、勉強したいって。でも、どういった勉強?

「中学までしか行かれなかったから、もう一度取り戻したいとかって、そういうんじゃないんだよね」

__じゃあ、どういうの?

「あたし、中学はちゃんと卒業してるんだよね。でも、この齢になって、もっと本格的な勉強をしようというのは、やっぱり無理なんだよね。そうじゃなくて……英語を習いたいんだ」

__英語か……それでハワイに行きたいわけなのか、そうなのか。

「みんなには、少しのんびりしたいから、と言ってあるんだけど、ほんとは英語の勉強したいんだ。でも、そんなこと、人には言えないでしょ、恥ずかしくて」

__恥ずかしいことなんかないよ。

「でも、記者の人なんかに訊かれて、少しのんびりしたいんで……なんて言うと、いいですねそんなことができる人はうらやましい、なんて嫌みを言われて……」

__そんなのはほっとけばいいよ。でも、どうして英語なの?

「英語って、いいじゃない。外人の人たちがしゃべっていたりするのを聞いていると、とてもいいんだ。耳にとても気持がいいんだ。とにかくひとつのことに熱中して勉強してみたいから……英語が少しでもわかるようになれば嬉しいというくらいだけど、いい機会だからハワイに行って学校に入って、やってみたいんだ」

__そいつはいい、ぜひ頑張るといい。

「ありがとう」

__歌をやめるというあなたに、もう余計なことを言う必要もなさそうだな。あとは、健康で、頑張って、と言う以外にないんだけど……。

「だけど?」

__だけど、ひとつ、言うことがあるとすれば……というより、心配なことがひとつある、といった方がストレートかな。

「どんなこと?」

__いま、あなたは、とりあえず仕事を持っているでしょ? たとえそれに満足していなくとも、ぼくたちから見れば、歌っている瞬間に、あなたがキラキラするのを感じることができる。しかし、その仕事をやめたとき、あなたが、その、もしかしたら平凡かもしれない、その生活の中で、煌めく何かを持てるだろうかという……。

「そんなこと、少しも心配してないんだ、あたし」

__でも、普通の人たちは、その人なりに、その普通の生活の中に煌めくものを、何か持っているわけじゃないですか……。

「あたしは楽観している。平気だよ」

__それならいいんだけど。

「たとえば、あたしは歌手をやめるけど、やめても藤圭子をやめるわけじゃないんだ……」

__どういうこと?

「あたしね、阿部純子と藤圭子ということで言えば、デビューするとき、藤圭子っていう名前をもらったとき、生まれ変わったと思ったんだ」

__なるほど。

「違う名前を持つというのは、そんなに生やさしいことじゃないんだよね。生まれ変わるみたいに大変なことなんだと思う」

__そうだね。その二つの世界を往き来するなんて器用なこと、本当はできやしないんだよな。

「そうなんだ。だから、あたし、その二つのうち、どっちかといえば、藤圭子の方を大事に思いつづけてきたようなんだ。いつも思っていたのはね、あたしの本当の誕生日は7月5日だけど、デビューした9月25日の方が、あたしが実際に生まれた日のような気がする、っていうことだったの」

__あなたは、これから藤圭子であることをやめて、お母さんの姓の竹山純子に戻るってことに、一般的にはなるわけだけど、やはり依然として藤圭子でありつづけるという感じが、残っているわけだ。

「うん。もう、竹山純子には戻れないと思うよ」

__歌を歌う、歌わない、 にかかわらず?

「だって、いったん藤圭子に生まれ変わっちゃったんだから、戻るってことはできないんだよ。いろんな人に、これから阿部純子さんに戻るんですね……みんなは両親が離婚したんで母方の竹山姓になっているの知らないから阿部さんなんだけど……阿部さんに戻るんですね、って言われて説明してもわかってもらえそうにないから、ええと言っているけど、自分ではそうじゃないと思っているわけ。藤圭子をやめたいんじゃない、歌をやめたいだけなんだよ。藤圭子であるかぎり、何をしようと変らないはずだよ」

__面白い。ぼくはわかるような気がするけど、一般的には理解しにくい論理かもしれないね。

「フフフッ、あたしもそう思う」

__しかし、とにかく、この世界とは、さよならするわけだ。

「それはね、そうだよ」

__とすれば……やっぱり、緊張した、あの藤圭子の煌きは、失なわれてしまうかもしれないな。

「それは違うよ。歌をやめても、キッチリと生きていけば、それが顔に出ると思うから、平気だよ」

__そうか、それならオーケーだね。

「いま、かりに、あたしが煌いていたとしても、自分で駄目と思いながら、人に芸を見せているのはよくないと思うよ。やめるべきなんだよ」

__そうか、やめるべきなのか。

「でも……12月26日に、最後の舞台をやるんだよね」

__どこで?

「新宿のコマ劇場。ほんとはやりたくないんだ」

__最後のコンサートなのに?

「うん。希望に満ちてこれからやろうという人ならいいけど、これでやめるというのにわざわざやることはないと思うんだ」

__そんなことないよ。みんな聞きたがってると思うよ。ぼくだって聞きたいんだから。

「それに、苦しいんだよね、最近。ああ、もうすぐやめるんだ、もう歌わなくなるんだと思うと、どんな場所で歌っていても、最後の曲に近くなると、胸が熱くなって困るんだ。まだ、1ヵ月も2ヵ月も前だというのに。それが最後の舞台ということになれば、一曲目からどうなるかわからないじゃない。そんなとこ、人に見せるのは恥ずかしいからね」

__あなたがデビューしたのは、1969年の秋だったよね。そうか、あなたは本当に70年代を歌いつづけてきたんだね。そのあなたが、1979年12月26日ですべてを終える。……ちょうど十年だったんだね。

「そうなんだね。区切りがよくて、いいね」

__やめるとなると、さみしい?

「十年もやれば、いいよね」

__そうだね。次の何かをまた見つければいいんだろうな。

「うん、そうする。また……何か……」

__それでいいさ。

 


解説
「藤圭子をやめたいんじゃない、歌をやめたいだけなんだよ。藤圭子であるかぎり、何をしようと変らないはずだよ」

歌うことをやめて、新しい人生に、英語の勉強を通して、前向きに生きて行こうとする藤圭子さんの意気込みが伝わってきます。


獅子風蓮



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