獅子風蓮のつぶやきブログ

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乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』Ⅳ章 その8

2023-03-10 01:43:16 | 東村山女性市議転落死事件

乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』(教育史料出版会1996年5月)
より、引用しました。
できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

なお、乙骨さんにはメールで著書を引用している件をご報告したところ、快諾していただきました。
ありがとうございます。

(目次)
□まえがき
□Ⅰ章 怪死のミステリー
□Ⅱ章 疑惑への道のり
□Ⅲ章 対立の構図
■Ⅳ章 たたかいの軌跡
□Ⅴ章 真相を明らかにすることは民主主義を守ること
□あとがき

 


◆「池田洗脳教育」
創価学園が、中・高一貫教育を標榜して開校したのは1968年(昭和43)4月。以後、71年には東京都八王子市に創価大学が、73年には大阪府交野市に姉妹校である創価女子学園(現関西創価学園)が相次いで開学。その後、創価小学校、創価幼稚園、創価女子短大が次々と創設され、現在では、幼稚園から大学までの創価一貫教育体制が完備されている。
創価学園をはじめとするこれら一連の創価系教育機関はミッションスクールではない。 したがって学校当局も「宗教教育」はいっさい行っていないと公言する。池田氏もまた、「創価学園の入学式を祝う」と題する一文において、
「創価学園は創価学会のために設立したのではない。(中略)事実、創価学園においては、宗教教育は行わない」(「創価学園建設の一年」)
と記している。
だが、これはまったくのウソである。私は、創価中学に1期生として入学したが、振り返ってみれば、中学時代の3年間、徹底して指導されたことは、「創立者(創価学園ならびに大学では池田氏を創立者と呼称する)池田先生の手駒として広宣流布のお役にたつ人材になれ」ということ、ただ一つにほかならなかった。
当時、池田氏は我々1期生や2期生に対し、次のように語っている。

「私は、将来、必ずこの中から大政治家や、超一流の外交官が出ることを確信しております。また一流の大学の総長も、大数学家も、または、ノーベル賞をとれるような科学者も絶対に出ることを確信しております」(68・9・6・グラウンド開き)

「21世紀にはいった直後の西暦2001年7月17日、この日に諸君は、社長や重役になっているかもしれない。ジャーナリストとして、大活躍しているかも知れない。またある人は、庶民の指導者として、地味ではあるが輝く人生を生きているかも知れない。ある人は科学者、芸術家、医者等々に、もうありとあらゆる世界に、第1期の卒業生、第2期の卒業生として活躍していると私は信じます。その西暦2001年7月17日に、(中略)全員集おうではないか。その日を目標にしよう」(69・17・第2回栄光祭)

池田氏が諸行事の度に語るこうした夢物語を、我々は、夢物語に終わらせるのではなく、実現することが弟子の道だと、くり返しくり返し指導された。師匠の言葉を虚妄にすることは絶対に許されない、池田氏の究極の野望である「天下取り」の先兵として、2001年7月17日を目指して、あらゆる分野に進出して、そこで道を切り開けと徹底したマインドコントロールが施されたのである。

そうした創価学園の教育現場の実態を、『月刊現代』1990年4月号掲載のレポート、「創価大学・学園『池田洗脳教育』50時間のテープ」は次のように記している。
このレポートは、創価学園の在職10年以上の複数の教員が、朝の職員会議をはじめとする創価学園の諸行事での、池田氏や小林道夫校長の訓示など50時間分を秘かに録音したテープをもとに構成されており、宗教教育を行わないとする創価学園の教育現場の実態をナマナマしく伝えている。
「(昭和)63年5月22日、創価学会の本部幹部会において、21名の新任副会長の就任が決定され、その中に学園の小林校長の名前があった。始業前の学園職員室で、この昇格が晴れやかに披露されたのは2日後の同月24日だった。まずS教頭らしき声が、
『小林校長、このたび副会長になられましたので今日ご紹介します』
と報告したあと、
『これは学園全体の大きな喜びである……これを契機に創立者のめざす創価学園の人材育成の場所を確固たるものにしていきたいと思います(大拍手)』
次に小林校長の挨拶がつづくが、その結びは、
『全員新たな気持ちで、先生(池田氏のこと=注筆者)の元に結集して、新たな出発をしていきたいと思います!(大拍手)』
小林校長はわずか数十秒間の挨拶の中で「先生」を8回連呼した……。各テープで登場する「先生」「創立者」はすべて池田氏を意味する。このとき始業チャイムが鳴った。 それを無視して、再びS教頭らしき声。
『26日を立派に大成功させて、間違いなく創価学園が発展し、学生の一人ひとりが立派に成長していることを先生に感じとっていただいて、お帰りいただけるようしっかり御本尊様に祈り……』」(『月刊現代』90・4)

創価学園の元教員が次のように語る。
「池田氏は、学園に来るたびに、『ここは池田家の学校です』と語り、自らの『天下取り』の野望達成に役立つ人材を育成するよう要求した。それを受けて生徒を指導するのが学園の教師の使命だから学会の副会長でもある小林学園長は、職員会議の上、『池田先生の指導を寸分違わず実践するのが、創価学園の教育である』『小・中・高一貫教育とは創立者と直結することである』と口癖のように語っていた。池田氏を宣揚し、池田氏の手駒を作る教育が宗教教育であることは明白だが、教義を教えていないから宗教教育ではないというなら、洗脳教育だ。創価学園は、池田ユーゲント、池田紅衛兵を作る養成所に他ならない」

実際、創価学園では、授業の一環であるロングホームルームで、創価学会名誉会長もしくはSGI(創価学会インターナショナル)会長の肩書きで行われている池田氏の宗教行事での講演や指導教材として、「創立者指導学習」と称する教育活動が実施されている。また、通常のホームルームや課外活動では、池田氏の『新・人間革命』の勉強会や勤行会もさかんに行われており、94年当時、サッカー部や卓球部は、毎日、昼休みに仏間で唱題会を行っていた。


◆東京都学事部へ申し入れ
朝木さんが弁護士とともに、教諭の行為は人権侵害にあたると抗議した後も、当のT教諭は、毎週ロングホームルームの時間に創立者指導の学習を行うとともに、A君に対し、土曜日の放課後に任意で行われている『新・人間革命』の勉強会に出るよう強制している。T教論に反省の態度はまったくない。
もっとも、小林学園長の発言に明らかなように、創価学会の意向なかんづく池田氏の意向に忠実であることだけが求められる創価学園である。その創価学会は「日顕宗撲滅」という信教の自由を侵害する違法行為を平然と行っているのだから、T教諭がA君の信教の自由を省みないのも、また、その非を批判されても反省しないのは当然といえば当然。
こうした事を踏まえて朝木さんは、94年6月30日、私立高校を監督する東京都の学事部を訪問。創価学園の憲法違反体質を厳しく処断するよう口頭ならびに文書で申し入れた。朝木さんが東京都学事部に退出(ママ)した「創価高校内人権侵害問題に対する申入書」は、次のように3点にわたって創価学園の違法行為を指摘。厳重な処分を求めている。

「創価高校内人権侵害問題に関する申入書
東京都知事殿
        退学強要事件親權者代理人代表
         東村山市議会議員 朝木明代

1、退学強要事件
創価高校が教育方針について『宗教教育は行わない』と対外的に表明しながら、創価学会を脱会した生徒の学外での信仰上の意見発表を理由として、担任教諭が右脱会を詰問し退学を強要した人権侵害事件について、再発防止策の内容開示及び関係者の厳重処分を求める。
2、思想信条の調査と『高校受験案内』問題
 (1)現在市販の各社来年度入試用『高校受験案内』の創価高校の頁には『在校生の7・8割が学会員の子弟』という掲載事実があるが、右は創価高校が在学生または受験生に対する思想信条の調査を行なった事実及び右調査に基づく情報を各社に提供した事実を前提としている。
 (2)右掲載事実は、すでに、本年になされた都による行政指導後になされており、右行政指導に対する創価高校の面従腹背の証明である。
 (3)創価高校が創価学会員子弟であるか否かを基準として思想信条の差別選別を行なった右行為は、憲法第14条及び同第20条第1項同第2項に違反するものであって、私立学校法第5条第2項が規定する『私立学校が法令の規定に違反したとき』に該当する。
 (4)所轄庁として、厳重処分を求める。
3、『創立者指導学習』の実質と宗教教育
 (1)創価高校では現在7月17日の『栄光祭』(池田大作SGI会長の公選法違反検挙事件の出獄記念日)に向けLHR等の時限に『創立者指導学習』と称する教育活動を全校生徒を対象に行なっている。
 (2)『創立者指導学習』なるものの実質は、単に学校創立者に関する範囲を越えて、資料にも明らかなように、宗教団体SGI(創価学会インターナショナル)会長の肩書付きで紹介された池田大作会長の講話等が教育学習の教材として使用されており、しかも、右教材は宗教団体の機関紙『聖教新聞』から抜粋されたものである。
 (3)所轄庁として、厳重処分を求める」

この申し入れを受けて東京都学事部は、尾崎創価高校校長らを呼び、今後、2度とこうした行為のないよう厳しい指導、注意を与えている。
都学事部の指導という事態に発展した退学強要事件は、当然、マスコミの知るところとなり、『夕刊フジ』や『フライデー』そして『週刊実話』などが同事件を報じた。


◆不倶戴天の敵
創価学園では1988年に、池田氏の写真を撮ろうと集まったカメラマンに対し、教師、生徒が集団で暴行を加えるという「フライデー暴行事件」という不祥事を引き起こし、その暴力的体質がマスコミによって指弾された。だが、退学強要事件は、創価学園がもっとも恐れる政教一致ならぬ学教一致の実態を広く世間に知られるとともに、監督官庁である東京都学事部の指導、注意を受けるという一大不祥事に発展したことから、創価学園は大混乱。その結果、池田氏は、自らの出獄記念日を祝す7月17日開催の「栄光祭」への出席をキャンセルしてしまった。
創価学園にとって池田氏の来校は最高の誉れ。したがって池田氏が来校する前には、「特掃」と呼ばれる念入りな掃除が、中学、高校の全クラスで行われる。『月刊現代』に掲載された、池田氏の来校を前にした小林校長(当時)の肉声は、そうした学園の雰囲気をよく伝えている。

「学園としては待ちに待った先生のご来校であります。いちばん心配しておりました天気もどうやら晴れ上がってまいりまして、晴天でよかった。先生は非常にお忙しい中を、時間をかきわけるようにして学園へおいでくださる。とくに高校1年生は、学園に入ってきたほとんどの理由が、先生との出会いにあります。その最良の日を今日迎える。彼らにとっては生涯忘れられない日となる……(全教職員は)休み時間、昼休みに、もう一度学校中の掃除チェックを願います。先生を気持ちよくお迎えしようという真心は、形に現れなければ真心とはいえない」(『月刊現代』90・4)

この特掃は、池田氏が来校するたびに、全学あげて実施される。もっとも、掃除ばかりではない、教員の間では、無事故で無事、池田氏を迎えられるよう、唱題会も実施される。

「特掃だけではありません。教員の間では、創立者を無事にお迎えできるようにと唱題会が、学校内にある仏間で、連日行われ、これに参加することが強要される」(元学園教師)
それだけに、池田氏の「栄光祭」キャンセルは、創価学園に大きな失望をもたらした。同時に、それは池田氏の来校を阻んだ朝木さんに対する憎しみへと転化していったという。当時の創価学園内の空気を学園関係者は、次のように語っている。

「創価学園では毎年、創立者が、昭和32年の大阪参院補選に際し、選挙違反容疑で逮捕拘留された時の出獄記念日に当たる7月17日に『栄光祭』というフェスティバルを開催する。これは、逮捕拘留という国家権力による不当な弾圧を被った師匠の仇を弟子が討つことを誓う儀式であり、創立者と生徒が子弟の契りを確認する学園でもっとも重要な儀式となっている。創立者は、『栄光祭』の席上『私の仇を討て』と扇動し、『天下を取ろう』と檄を飛ばすことを常としてきた。ところが、今年は、退学強要事件が生じ、これが表沙汰になることによって、都学事の指導注意を受けるまでに発展してしまったため、責任の波及を恐れた創立者は、『栄光祭』への出席を取りやめてしまった。 創価学園は『池田家の学校』。その創価学園にまで批判勢力の手が及んだことに創立者は激怒。創価学園内には事件を扇動した朝木市議に対する怒り、そして憎しみが充満した」
この事件をきっかけに朝木さんは、創価学会にとってまさに不倶戴天の敵と認識されるようになっていったのである。

 

 


解説
創価学園をはじめとするこれら一連の創価系教育機関はミッションスクールではない。 したがって学校当局も「宗教教育」はいっさい行っていないと公言する。(中略)
だが、これはまったくのウソである。私は、創価中学に1期生として入学したが、振り返ってみれば、中学時代の3年間、徹底して指導されたことは、「創立者(創価学園ならびに大学では池田氏を創立者と呼称する)池田先生の手駒として広宣流布のお役にたつ人材になれ」ということ、ただ一つにほかならなかった。

著者の乙骨さんは、中学の1期生で高校は外部。
私は高校の6期生で、それ以外は外部。
ややすれ違いはあるものの、乙骨さんは創価学園の先輩です。
でも開学当初の雰囲気は、私が経験したものとずいぶん違っていたのかもしれませんね。
私は、高校時代に宗教教育を受けた覚えはありません。


当時、池田氏は我々1期生や2期生に対し、次のように語っている。
「私は、将来、必ずこの中から大政治家や、超一流の外交官が出ることを確信しております。また一流の大学の総長も、大数学家も、または、ノーベル賞をとれるような科学者も絶対に出ることを確信しております」

という池田氏の言葉も、創立者としての慈愛のこもった言葉と受け止めています。


「創価学園では毎年、……7月17日に『栄光祭』というフェスティバルを開催する。……ところが、今年は、退学強要事件が生じ、これが表沙汰になることによって、都学事の指導注意を受けるまでに発展してしまったため、責任の波及を恐れた創立者は、『栄光祭』への出席を取りやめてしまった。 ……創価学園内には事件を扇動した朝木市議に対する怒り、そして憎しみが充満した」
この事件をきっかけに朝木さんは、創価学会にとってまさに不倶戴天の敵と認識されるようになっていったのである。

こういう当時の三多摩地区の創価学会の雰囲気が分からないと、どうして東村山市議転落事件が起きたのか、その本質的なところは分からないでしょう。
そういう意味で、乙骨さんのこの本は、事件の解明を検証するためには必読の書だと思います。

 

獅子風蓮



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