獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その8

2021-06-14 04:32:34 | 対話ブログ

●たらこ唇の天使(2021年1月24日 02:33)

〉たらこ唇の天使さんに御願いですが、相手が信じている対象について、もう少し敬意を払った
〉表現をしていただけないでしょうか。

獅子風蓮さま:
 お気を悪くさせてしまったようでごめんなさい。「謗法払い」のせいで破壊された文化財たち、具体的には
(1)板割浅太郎の位牌、
(2)65年以上も昔、福島県下で放火された観音堂(『板本損偽作論』)、それから
(3)比叡山のふもとで、代々お寺の事務を執っていた家柄に伝わる仏像たち(『私が入信を決めたこの一言』天台宗篇)……これらの明らかに貴重な文化財が、「大御本尊」のような日蓮大聖人とは実のところ何の関係も無い捏造物のために地上から永遠に失われたことを思うと、どうしてもあの崇拝対象物へは好感をいだけず、それであんな言い方になりました。ごめんなさい。 
 思えば明治以来、あのキリスト教だって、日蓮正宗・創価学会並みの「謗法払い」をやっておりました。焼かれた位牌や仏像の量では、日蓮正宗・創価学会も顔負けでしょう。でも、キリスト教が日本社会へ与えた功罪を計り比べますと、功績のほうが罪悪を上回っております。しかるに日蓮正宗・創価学会が、日本社会へどんな実(じつ)のある恩恵をもたらしただろうか? 強いて言えば共産党に流れ込むべき貧しき民衆を迎え入れ、日本の左傾化、社会主義かを防いだことぐらいではありませんか?

 改めて心より暴言をおわび申し上げますとともに、それでも日蓮正宗・創価学会が「謗法払い」について公式に詫びて頂きとうございます。これをやってこそ初めて、日蓮正宗・創価学会がキリスト教を凌ぐ好感と敬意とを、非信徒からゲットできるのではないでしょうか?

 最後に、あなた様が佐藤優氏の創価へのすり寄りについて分析なさったお言葉、深く深く敬服しております。今後、佐藤氏の動向を見るうえで、大いに参考とさせて頂きます。あなた様の日蓮正宗を代表する知識人としての前途を幾重にも念じ上げつつ。

●signifie(2021年1月24日 02:45)

獅子風蓮さん、たくさんコメントしていただいてありがとうございます。
大変な量だったので驚きました。
うわっ長い!と思ったら「白バラ通信 パンドラの箱」の高倉さんのブログをコピペされていたんですね。高倉さんは9年前に私がこのブログを始めるきっかけを作っていただいた方で、とてもお世話になっています。2年半前にこのブログが突然閉鎖されるというアクシデントにあったときも、しっかりとフォローしていただいた方で、このブログはいつもご覧になっていただいていますし、コメントもしていただいています。「東村山女性市議転落死事件」も「白バラ通信 パンドラの箱」もこのブログの読者は大抵読まれておられるので、よそ様のブログを無断で引用せずとも、それを前提に話されて結構です。
獅子風蓮さんのコメントを読ませていただいて感じるのは、獅子風蓮さんは良し悪しは別にして創価学会を宗教だと考えているのではないかと思いました。確かに獅子風蓮さんは創価学会を言葉では否定しているようですが、戸田や池田をどこか肯定しているというか、そこになると突然トーンが落ちてしまうようですね。だから獅子風蓮さんが創価学会をまだ宗教だと思っているのではないかと思って「獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと思っているのですか」とお尋ねしたんです。もしかしたら「創価学会の活動をしてプラスになる人がいれば、それはそれでいいんじゃないか」と考えていらっしゃるのかなと思った次第です。もっと言うなら「創価学会はひどい宗教なので、教義が同じ日蓮正宗に移ったけれども、そこも熱心に信じるほどの魅力がないと感じている」といった感じでしょうか。つまり創価学会も日蓮正宗も良し悪しは別にしても宗教であることには変わりがなく、今後の動き次第では良い宗教に変わることができるのではないかと思っているのかなと思ったのです。もしそうであれば、私やここにいらっしゃる多くの創価経験者で「創価は宗教ではない」と気づいて脱会した方や、事情があって脱会できないで苦しんでいらっしゃる方とは、決定的に創価に対する考え方が違っていると思いました。
ただ獅子風蓮さんの話が多岐にわたり、一貫性がないので判断に苦しみます。
曽根俊矢さんやSGKMKさんに対しても「理解できます」「同感です」と言われていますが、獅子風蓮さんのコメントを読むと、本当にそうなのかな?とクエスチョンマークが出てきてしまうんです。
私の文章は長くてまどろっこしくて読みずらいとは思いますが、獅子風蓮さんの文章は私以上に理解しがたいです。正直申しまして、獅子風蓮さんのブログも、全部読んだわけではありませんが、結局何が言いたいのか、何をどう思っているのかがわかりませんでした。だからこそ「獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと思っているのですか」とお尋ねしたんです。そしてたくさんコメントしていただきましたけれども、それでもわかりません。
レヴィ=ストロースや森鴎外やヴィトゲンシュタインの話は、私も知らないわけではありませんが、ここでそれらの話をされると返って話の内容をぼかしてしまうように思います。
おそらくそう感じているのは私だけではないだろうと思いますので、互いが理解をするためにも、単刀直入にお話をしていただけると嬉しいです。
大変失礼な言い方になってしまって恐縮ですが、もう少し言いたいことを整理してコメントしていただけるとありがたいです。
例えば最後にヴィトゲンシュタインの言語ゲームの話になぞらえて、
『私の場合で言えば、日蓮正宗・法華講という集団の中で、「日蓮大聖人も日寛教学も大御本尊も日蓮正宗も正しい」というルールに従って、信仰をする限り、心の安心が得られるということです。もし、そのルールが社会的にまずいと思ったら、ルールの変更を提案します。それが受け入れられなければ、レッドカードをもらうだけです。』
と書かれていますが、獅子風蓮さんはそのことについてどう思っているのかが読んでいてわからないのです。「ルールに従って信仰をする中で、そのルールがまずくなったら変更すればいい」ということに対して獅子風蓮さんは賛同するという意味でヴィトゲンシュタインの理論を引用されたのでしょうか?もしそうであれば「創価学会も日蓮正宗も時代に即したルールの変更をすればいい宗教になる」と考えているのかなと思ってしまいます。そうなると獅子風蓮さんは創価学会を良し悪しは別にしてもいい宗教に変化する可能性のある宗教であると考えていることになるからです。
何度も同じ質問をして申し訳ありませんが、単純に「獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと考えているのでしょうか?」この質問に単刀直入に答えていただかないと、話が先に進まないんです。このブログの皆さんとの相互理解のためにもよろしくお願いします。


解説
シニフィエさんは、ここで私に対して「獅子風蓮さんの話が多岐にわたり、一貫性がないので判断に苦しみます」と批判しています。
また、レヴィ=ストロースや森鴎外やヴィトゲンシュタインの話を持ち出したことを暗に批判し、私が話をはぐらかせているかのように言っています。
また「大変失礼な言い方になってしまって恐縮ですが、もう少し言いたいことを整理してコメントしていただけるとありがたいです」と言ってますが、理解できないのはシニフィエさんの理解力の問題なのではないでしょうか。
あるいは、別の意図があったのでしょうか。
今考えると、シニフィエさんの得意な印象操作だったのかなと思います。

私は、たらこ唇の天使さんの質問に答えるため、分かりやすいように、レヴィ=ストロースや森鴎外やヴィトゲンシュタインの話をしただけなのです。
落ち着いて読んでいただければ、理解していただけるはずです。
たらこ唇の天使さんは理解力のある方なので、私の説明を受け入れてもらえたはずです。


対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その7

2021-06-13 03:09:33 | 対話ブログ

●獅子風蓮(2021年1月23日 19:05)

獅子風蓮です。
連投、お許しください。

たらこ唇の天使さん、はじめまして。

問題は日蓮正宗にあっては、そのようなごく普通の男性を日蓮大聖人の御代官さまとして崇め奉らねばならない、ということです。

私は、創価学会にいたときにも、池田大作無謬論はおかしいと思い、発言してきました。
法華講に移籍したあとも、法主に信伏随従するべきだという窮屈な体質にはなじめず、結果、法華講みかつとなりました。
友人の住職が末寺のミニコミ紙に何か書いてみないかと言うので、「宗教と倫理の間」という文章を毎月書いて送りました。
「宗教と倫理の間」は私のホームページのマイアーカイブに載せてあります。
https://www.shishi-fu-ren.com/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%96/
法主の「禅寺墓問題」が起きたときは、創価学会と宗門の言い分のどちらが正しいかを判断したいと思い、福島県の白山寺まで足を運び、確認し記事にしました。
その記事には、創価学会の主張の誤りとともに宗門側の主張の若干の矛盾を指摘したのですが、宗門の機関誌「妙教」には、その回は転載されませんでした。
まあ、創価学会も日蓮正宗もどちらかが100%正しくて、どちらかが100%間違っているということはないですよね。
最近では、宗門側の新型コロナ感染症に対する対応というか捉え方で、ひどいなと思うことがありました。
ネットで調べたら、「慧妙」の次の記事が見つかりました。
①2020年 5月1日号 新型コロナウイルスの猛威/激変しつつある世の中の様相/まさに『安国論』の描写のごとし
http://emyo.jp/2020%e5%b9%b4%e3%80%805%e6%9c%881%e6%97%a5%e5%8f%b7-3473.html

②2020年 6月1日号 「日蓮大聖人が控うればこその大現証!」/日本は驚異的に新型コロナの感染者が少ない!
http://emyo.jp/2020%e5%b9%b4%e3%80%806%e6%9c%881%e6%97%a5%e5%8f%b7-3538.html
日本の現状は仏罰なのか、功徳なのか、どっちやねん! とツッコミをいれたくなります。

創価学会は「四箇格言」をひっこめ、「立正安国論」もあまり全面的に出さなくなったようですね。

「立正安国論」は文字通り解釈すると、危険なんです。
牧口先生も原理主義者でしたから、「立正安国論」をそのまま信じて殉教してしまいました。
宗門も、「立正安国論」を現代的に評価しなおした方がいいと思います。
「立正安国論」の現代的な評価については、先ほどの私のホームページの「宗教と倫理の間」の最後の方にちょこっと書いてあります。

レヴィ=ストロースという人類学者が発見した構造主義という考え方があって、日蓮の思想を現代に移し替えるのに役立ちます。
平たく言えば、日蓮の生きた鎌倉時代の時代状況と思想状況を踏まえて、日蓮の思想をそのまま現代に移すのではなく、日蓮の思想の本質部分を切り抜いて、現代に持ってくるという感じです。

「じゃんけん」といえば、「石(グー)・鋏(チョキ)・紙(パー)」というのが一般的ですが、世界にはいろんな種類があって、例えば中国では「ハンマー・鋏・爆弾」だったり、インドネシアには「象・人・蟻」というのもあるとのこと。
日本でも、他に狐拳(きつねけん)というのがあります。
狐は猟師に鉄砲で撃たれ、猟師は庄屋に頭が上がらず、庄屋は狐に化かされる、という三すくみの関係を、腕を用いた動作で合わせて勝負を決する。
通常は二人が向かい合い、正座して行なう。それぞれの手の姿勢は次のとおり。
狐 : 掌を広げ、指を揃えて頭の上に相手に向けて添え、狐の耳を模する。
猟師 : 両手で握り拳を作り、鉄砲を構えるように前後をずらして胸の前に構える。
庄屋 : 正座した膝の上に手を添える。
ようするに、これらの遊びに共通するのは、「三すくみ」という「構造」だというわけです。

日蓮の思想の重要な「構造」はなんでしょうか?
その時代、何が正しい教えなのかをとことん考え、その教えを広めるためには、どのような弾圧があってもくじけないこと。でも、決して自分の誤りを絶対に認めないというわけでなく、智者に自分の考えの誤りを指摘されたら、あっさり自説を引っ込める謙虚さも持ち合わせる、といったところでしょうか。
私の好きな開目抄の一節「智者に我義やぶられずば用いじとなり」ですね。

獅子風蓮さまはそういう、外部の人からすればおよそあほ臭い教義や、美観ゼロのただの板切れでしかない(失礼…)幸福製造機クンをほんとに心の底から信じていらっしゃるのでしょうか? 

たらこ唇の天使さんに御願いですが、相手が信じている対象について、もう少し敬意を払った表現をしていただけないでしょうか。
私は、自宅に安置してある御本尊を「美観ゼロのただの板切れ」とは思っていません。
むしろ、書体も美して、すがすがしいとさえ思っています。
信仰は個人の自由ですし、その対象については、お互い敬意を払いたいものです。

さて、「ご本尊を心の底から信じているか」ということですが、私の場合は、ホームページにも書いたのですが、創価学会に疑問を持った最初のころ、遠藤周作の『沈黙』を読んで、考え込んだことがあります。
農民の拷問の場面を見せられ、棄教すれば農民を助けてやると言われた、キリスト教の司祭ロドリゴは、神の「沈黙」に耐え切れず、踏み絵に足をかけた、というお話です。
私は、自分や身近な人の命より御本尊を守ることができるだろうか?
その時は、なんだか考えるのが怖くて、結論を先延ばしにしましたが、今では、迷わず、自分や身近の人の命を優先します。そういう意味では、私の信仰は、相対化されています。
以前、このブログで、大洪水の被害のあった時だったかな、御本尊を取りに家に戻って災難に会う学会員がいませんようにというコメントを読んだことがありますが、私も同感です。
命あってのものだねですから、ただの「もの」に命を懸けることはありません。
私の本尊観は、正宗の人から見たら、まさに破門ものですね。
かといって、日蓮正宗の信仰を必要とする人には、御本尊はやはり帰依の対象たりうると思うのです。

明治の文豪、森鴎外の書いた短編に、『かのように』という作品があります。
子爵家の息子である主人公は、国史を一生の仕事として研究するつもりでいましたが、どうも、神話というものを歴史とは別にしておかなければならない必要に迫られて、すぐには研究に手をつけられないでいます。
何故神話を別にしなければならないかというと、長い歴史の積み重ねの結果、神話に書かれていることは現実には起こってはいないということがよく分かるからであり、そういうものを、国の歴史とごちゃまぜにして記述する訳にはいかないからです。
しかし、精神的倫理的役割を果たしてきた神話を、一概に「嘘だ」と言って切り捨ててしまうというのは、危険思想であるという非難を免れないだろうと考えた彼は、国史と神話の折り合いをどうつけるかということに悩んでいます。
そこで、さらに考えを進めた彼は、しかし世の中で一番正確とされている数学においても、点だの線だのというものは厳密には存在せず、ただ、点と線が存在しないままでは幾何学が成り立たないから、あたかも点と線がある「かのように」扱っていることに気づきます。
こうして見ていくと、宗教でもなんでも、あらゆるものの根本に、土台として「かのように」が横たわっているのだ、ということに気づいた彼は、「かのように」の前に頭をかがめるという姿勢をもって、国史と神話の折り合いもつけられるし、危険思想としてのそしりを受けることもなくなるはずだと考えた、というようなお話です。

何を言いたいのかというと、私は、日蓮大聖人も日寛教学も大御本尊も日蓮正宗も、あたかも帰依の対象として正しい「かのように」信じているのです。
壮大なフィクションを信じることで、信者が心の安心を得られるのなら、それでいいではないですか。
その宗教が社会的に害毒を流す場合は別です。
創価学会は、社会に害毒を流し、会員を不幸にしているからアウトです。
日蓮正宗も、あまり社会的に非常識な行動に出るようなら、内部で批判していきたいと思います。
そうでなければ、いまの法華講みかつの状態をしばらく続けたいと思っています。

これでも納得していただけないかもしれませんね。

ヴィトゲンシュタインという哲学者が、言語ゲームという面白い考え方を教えてくれました。
それは、「ある言語ゲームの中では、その前提が実在し始める」というものです。
たとえば、サッカーの試合中は、選手はサッカーのルールに従って試合を進めているということ。
サッカーのルールに従わない人が、手を使ってボールを投げたりすれば、ハンドの反則になります。
もう少し別の例では、日本という社会の中で、模様を描いた紙きれを1万円札だと政府が決めて、国民がそのルールにしたがうと、その1万円札は1万円という価値を持つということです。
私の場合で言えば、日蓮正宗・法華講という集団の中で、「日蓮大聖人も日寛教学も大御本尊も日蓮正宗も正しい」というルールに従って、信仰をする限り、心の安心が得られるということです。
もし、そのルールが社会的にまずいと思ったら、ルールの変更を提案します。それが受け入れられなければ、レッドカードをもらうだけです。

難しかったですか。
説明がへたですみません。
ながながと失礼しました。

獅子風蓮でした。


対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その6

2021-06-12 03:01:15 | 対話ブログ

●獅子風蓮(2021年1月23日 18:49)

獅子風蓮です。
連投をお許しください。

SGKMKさんコメントありがとうございます。

獅子風蓮さん、私は獅子風蓮さんを否定している訳では有りません。創価学会員は騙されていて可哀想だと思っているだけですよ。

同感です。

誤解しているとも思ってませんよ。創価学会本部は少しはまともな宗教団体だと考えている方なのかと思っているだけですよ。
創価学会も日蓮正宗も信仰の対象を与えてくれたと考えてますが、それに祈ることで願いが叶うと思ってますよね。
文字曼荼羅が祈る対象なのですよね。
私たちは創価学会や日蓮正宗に感謝の気持ちは有りませんよ。

前回のコメントで、私は胃全摘手術を受けたことを話しました。
そして、ご本尊に向かい、真剣な祈りをささげました。
術後10年以上たちますが、再発もなく、元気にしごとを続けています。
なにも信心の功徳だといいたいのではなく、執刀して下さった外科の先生、進歩した抗がん剤、応援してくれた家族、すべてのおかげだと思っています。
それでも、真剣に祈ることは、自身の免疫系を賦活することにもつながり、それは無意味だとは思いません。
創価学会にも日蓮正宗にも、教義的な誤りを見つけることはたやすいですが、信仰の対象を与えてくれたことに、感謝しています。 と、書きました。

最後の一文が良くなかったのですね。
私の場合、「このご本尊に祈る以外に正しい信仰はない」とは思っていません。
たまたま私の家には日蓮正宗の御本尊があり、それは創価学会や日蓮正宗が存在しなければ、私とご縁がなかった存在です。
困難にぶつかった時に、祈る対象を与えてくれた、それ一点のみにおいて、創価学会にも日蓮正宗にも感謝している、という気持ちを書いただけですが、このブログに集まる人には不愉快な一言でしたね。
シニフィエさんがこのブログを立ち上げたコンセプトとしては、たしか「個々人の信仰は自由だ。しかし、創価は詐欺だから、創価の組織から離れなさい」ということだったと思うのですが……

もし私の一言が不愉快でしたら、お詫びします。

獅子風蓮でした。

●獅子風蓮(2021年1月23日 18:53)

獅子風蓮です。
連投、お許しください。
シニフィエさん、コメント承認ありがとうございました。
私は、夜型人間ではないので、コメントの返事は翌日の日中、仕事の合間に、ちょこちょこと書いています。
なので、コメントの返事が遅れることがあると思いますが、ご容赦ください。
土曜日の私に対するコメントは月曜日に返せると思いますで、よろしくお願いいたします。

私の考えと一致しているとは言われておられますが、なんとなく「戸田も池田もいいところもあれば悪いところもあって、はじめは純粋に人のために創価学会を指揮していったが、途中でおかしくなった」というふうな印象を受けました。もしそうだとすると私の考えとは全く違います。

私は「シニフィエさんとほぼ同じくらいの年代だと思いますが」とは書きましたが、シニフィエさんの考えとすべて一致しているとは言っていません。
考えが違っても当たり前ですよね。そこから対話が始まるのですから。

「創価学会は詐欺である」という断定的な言い方には、最初ショックを受けましたが、その通りだと今では思っています。「創価学会をやめても罰など当たらない」というシニフィエさんの言葉に、どんなに救われた方がたくさんいたことでしょう。
シニフィエさんがこのようなブログを開設、長く運営されていることに対して、本当にすごいことだと思っています。敬意を表します。

戸田の有名な女癖の悪さや極度のアル中だったことも、私としては尊敬できない要素の一つであるし

戸田氏の評価については、保留させてください。
ところで、「映画・人間革命」を見ていて気付いたのですが、映画の中で、御受戒の場面が再現されていたんです。たしか、
「今身より仏身に至るまで爾前迹門の五戒を捨てて、法華本門の五戒を持ち奉るや否や」と言っていました。
正確な御受戒の文言は知りませんが、まあよく再現されてはいると思いました。
日蓮正宗では、受持即受戒なので、「爾前迹門の五戒」は捨ててしまうことを、最初に誓わせるんですね。
ひどいですね。
やはり、「欲望をコントロールする」「嘘をつかない」などの倫理的な戒律は、現代でも必要だと思います。
日蓮正宗においても、時代に合わせて、アップデートするべきところはしていかないといけないと思いました。

池田に至っては広域暴力団の組長よりもはるかに反社会的で何百万人もの純粋な人々を不幸にしてきたという点では、決して許されることのできない人物だと思いますし、それも途中から変容したのではなく、創価に入会する前からそうした人格であったと思われます。

池田氏が現在の集金システムと選挙体制を作り上げ、たくさんの学会員を不幸にしてきたことについては同意します。
最後の「それも途中から変容したのではなく、創価に入会する前からそうした人格であったと思われます」については、同意しかねます。
私も、これからそのへんのことについて、調べて書いていきたいと思っています。

獅子風蓮でした。


対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その5

2021-06-11 00:51:22 | 対話ブログ

●獅子風蓮(2021年1月23日 18:47)

獅子風蓮です。
元創価、法華講みかつのアラカン男性です。

曽根俊矢さん、はじめまして。
いつも、曽根さんのコメント、楽しく拝見させていただいています。
ブログも、曽根さんの体験に基づいた、活動を真剣にした人でなければ分からない葛藤、悩みがつづられていて、胸を打ちます。
私など、ほとんど学会活動をしてこなかったへなちょこ脱会者です。

私は、創価に賛同出来る部分は一欠片も持てません。
この社会に、善人のフリをしてのさばるとんでもない事だと許す事は出来ない犯罪組織だと認識しています。
路線変更、ソフト体勢などイメージを変えることでは許さない反倫理、反道徳、反社会的な犯罪行為を含む過去の事実を無かった事にして、その上に何が築けるのか。

その気持ち、理解できます。

獅子風蓮さんのような、文章からその人格が滲み出ているような方が創価をアンチの視点から擁護するような発言を大変疑問に思っています。
考え方は人それぞれですが、創価の事になると人それぞれと考えられなくなる感情にうまく折り合いを付けれなくなっています。
創価が再生するなんて詭弁だと考えます。

少し誤解があるようです。
私は、現在の創価学会の組織は、学会員の貴重な時間とカネの搾取のシステムの上に成り立っており、公明党という政治勢力を支配することで、日本の政治をもゆがめ、社会に害毒を与える存在でしかないと思っています。
ですから、シニフィエさんから創価学会に未来はあるかと問われて、
「結論、今のままでは、創価学会に未来はありません。」
と、答えたのです。

学会はソフト路線に舵をきったことなどに対して、私が一定の評価をしているようにとられ、不愉快に感じられたのかもしれません。
別に、現在の創価学会を擁護しようなどという気持ちはないのですが、40年を経て、だいぶ変わったんだなあという印象です。
でも、肝心な批判拒否体質は変わっていない点、過去の誤りをきちんと反省できてないことなど、まだまだダメだなあと思うのです。
創価学会の存在すべてが憎い、幹部の顔を見ると腹が立つ、という気持ちは理解できるのですが、私は、創価学会幹部職員の中にわずかにいるかもしれない良心的な部分に訴えたいのです。

会員をだまして時間と金を搾取するようなことはもうやめて、ください。
学会の犯罪行為を知る立場の人で、それを墓場まで持っていこうと考えている人は、どうぞ、将来の創価学会の再生のために、その秘密を明るみに出してください。

ここでは、1例として、「東村山女性市議転落死事件」についてとりあげたいと思います。
少し前に、『東村山の闇』と『怪死 東村山女性市議転落死事件』を読み、創価学会・公明党の謀略性に驚き、恐怖を感じました。
創価学会・公明党の理不尽に怯むことなく闘って無残な最期を迎えた朝木明代さんの死を無駄にしないためにも、創価学会・公明党の悪をなんとか白日の下にさらしたいものです。
さて、創価学会批判の関連書籍を読んでいるときに、気になる情報に遭遇しました。
『サヨナラ私の池田大作 パート2』という本の中に「〈対談〉池田創価はどうしてカルト化したのか  --福本澗一×木村福子」という文章があります。
その中で、福本澗一という人が、「今の創価の最大の弱点は東村山事件と反対者の粛正・解職解任」という項目で次のように述べています。(93ページ)


福本 香川大学に高倉良一氏という教授がいます。池田大作名誉会長を裁判で訴えている人です。
 彼は朝木問題について詳細な情報を持っているようです。私が離脱した時も、創価が最も知りたかったのは私がどれだけ朝木問題を知っているかということもあったのでしょう。今回の創価人事では山本哲也副会長が解任されました。そこには深い意味があると思うのです。山本哲也氏は、高倉教授を尋問した中心者でした。また”池田の長男”の池田博正氏を支える”未来本部”のエリートでしたから、いろいろと憶測を呼んでいます。八幡浜高校・慶応大学の同級生山本ひろし参議院議員の支援をして以来、四国総主事になったのが運の尽きで、尋問担当になったのでしょう。山本ひろし議員は、私の後釜です。
 今の創価にとっての弱点を幾つか挙げると、朝木事件と池田センセーの海外へ持ち込んだ円や銀行に預けた金、つまり為替問題が出てきそうなのです。海外の金では外為法違反をやっている恐れです。学会はそういう金のダーティーな部分を国会の場で追及されるのが一番痛い。
木村 どこまでそれらの事実は明らかになっているのですか?
福本 朝木事件に関しては、暴力団の後藤組関係者が鍵を握っているようです。それについては後藤組へ金を渡していた創価の当時のN経理部担当者が野崎至亮氏に話し、その内容を何と高倉教授に語っていたのです。2014年3月9日のブログでは、その当時の経理部長名はNだと実名で書いています。Nもその後、表舞台から消えていますが、事件の真相を一番知っている人物でしょう。法律改正で殺人罪には時効がなくなりました。
 1995年4月以後の殺人事件は、時効がないのです。東村山事件とは1995年、平成7年9月1日の夜、東村山市の現職の市議会議員朝木明代氏が、東村山駅そばのビルから転落しているのが発見され、搬送された病院で死亡した事件のことです。この市議会議員は、創価学会と池田大作創価学会名誉会長を弾劾する活動をしていたことで有名でした。以後、創価は東村山に本部中枢の大幹部を何人も住まわせており、創価の危機感が伝わってきます。……


そこで、高倉教授のブログを探しました。
「創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その135(http://wrpandora.blog.shinobi.jp/Date/20140622/)」
少し長くなりますが、引用します。


陳述書

殺害予告に脅えた背景となる事情-野崎至亮氏から聞かされていた東村山事件の「真実」
           平成25年6月10日
               住所 略
                     髙倉良一

第1.東村山事件は創価学会による殺害犯行との野崎至亮氏の証言
 東村山事件とは、平成7年9月1日の夜、東村山市の現職の市議会議員朝木明代氏が、東村山駅そばのビルから転落しているのが発見され、搬送された病院で死亡した事件のことです。この市議会議員は、創価学会と池田大作創価学会名誉会長を弾劾する活動をしていたことで有名でした。
 創価学会元副教学部長の野崎至亮氏(〒 略 住所 略 、TEL 略、以下、野崎氏と記述する。)は、「髙倉さんも東村山事件のことは聞いたことがあると思うけど」と前置きして、以下の発言をしました。
 「平成7年9月1日夜、創価学会の最高幹部から朝木議員を脅すように命じられた暴力団員2名が、朝木議員の体をビルの6階の外側に抱え上げて、創価学会に敵対する活動を止めなければ落とすぞと脅していたんです。ところが、誤って朝木議員を落として死亡させてしまったと、この暴力団員2名が、創価学会の幹部(註:池田大作氏の海外資産の移動に関与した創価学会員で、職業は公認会計士か税理士。)のところに顔面蒼白になって駆け込んで来たんです。そこで、この創価学会幹部は、朝木議員のことは自殺として処理するので、ほとぼりが冷めるまで身を隠せと暴力団員に命じたんです。」と、野崎氏は話しました。
 私がとても驚いた顔をすると、野崎氏は、「このことは、暴力団員に身を隠せと命じた学会員から、私(野崎)は直接聞きました。」と、私に告げたのです。
 私が、この野崎氏の証言を聞いたのは、平成16年7月18日(日)午後4時過ぎ、新大阪駅へ向かう大阪市内の道中のことでした。

第2.大阪の研究会が終了してからの野崎氏の発言
 平成16年7月18日(日)の午後4時半過ぎのことでした。高山メディカルクリニック(住所 略)の4階で行なわれた仏法の研究会が終わり、私は高松に戻るべく新大阪駅に向かおうとしていました。すると、高山メディカルクリニックの玄関で、野崎氏が「髙倉さん、途中まで一緒に帰りましょう。」と、私に声を掛けて来ました。
 普段は、谷町9丁目駅から地下鉄に乗車していました。しかし、この時は、野崎氏が「少し歩きましょう。」と言われたので、私は、野崎氏の案内で、いつもとは異なる地下鉄の駅に向かいました。
 私は歩きながら、「池田名誉会長(以下、池田氏と記述する。)のことに疑問を持たれるようになったのは何時ごろからですか。」と、野崎氏に尋ねました。
 すると、野崎氏は、「言論問題(註:昭和44年に、創価学会が藤原弘達氏の著作『創価学会を斬る』の出版を妨害した事件を指す。)の時に、本体(註:池田氏のことを意味する。)が、『創価学会が出版妨害をしたとマスコミから叩かれたのは、まるで処女がいきなり輪姦されたようなものです。』と言ったんです。私は、何と品のない表現をするのだろうかと思ったんです。それから、聖教新聞社の資料室に保管されていた水滸会記録(註:故戸田城聖創価学会会長が、創価学会の青年部幹部に語った言行録を指す。)などを読むようになったんです。昔は、この記録を自由に読むことができ、本体が言っていることはおかしいと考えるようになったんです。」と答えました。
 この発言に驚いた私は、「そんな昔からですか。」と質問しました。野崎氏は、「私の弟(註:故野崎勲創価学会副会長を指す。野崎勲氏は、昭和49年に日本共産党と創価学会が締結した「創共協定」の調印者として有名である。)が本体の側近だったから、いろんな情報が入って来ました。また、私が勲の兄だからということで、私に情報提供する幹部も多かったんです。」と語りました。

第3.本体の弱点は金の問題です
 私は、「本体にとって弱点となるのはどんなことですか。」と野崎氏に尋ねました。
 すると、野崎氏は「国民にとって一番分かりやすいのは、本体の金の問題でしょうな。」と言われました。野崎氏は、「山友(註:元創価学会の顧問弁護士だった山崎正友氏のことを指す。)や原島(註:原島嵩元創価学会教学部長のことを指す。)は、本体のスキャンダルを暴露すれば、本体を倒せると思ったんですよ。しかし、女性問題などのスキャンダルでは、本体を倒せなかったんです。本体の金のことが明らかにされたら、国民にとっては分かりやすいでしょう。ルノアール(註:ルノアールの絵画購入と売却に関する不明朗な資金の動きが、池田氏の裏金作りのためではなかったかと報じられた事件を指す。)のことや国税(註:創価学会本部と池田氏の脱税を摘発しようとした国税庁に、矢野絢也元公明党委員長が政治力を駆使して圧力をかけたと報じられた事件を指す。この問題については、矢野絢也著『乱脈経理 創価学会VS.国税庁の暗闘ドキュメント』(講談社、2011年)で、その詳細が明らかにされている。)のことなど沢山ありますからね。」と言われました。
 野崎氏は、「本体が創価学会の会長を勇退してから、私たち幹部を集めたんです。そして、一人一人に、創価学会の資産はすべて池田家のものですと書いた書面に署名させたんですわ。それも、北条会長のいる前での署名でしたから、ようやるわと思いました。」と語りました。
 さらに、野崎氏は、「北条会長が、創価学会の本部職員を集めて、『創価学会の資産に比べたら、君たちの給料はゴミみたいなものだから、給料が貰えなくなるということなど全く心配することはありません。』と発言したことがあったんです。その時、学会本部の職員たちは『俺たちはゴミか』とぼやいていましたわ。」と話しました。

第4.「金庫事件」の真相
 そこで、私は、野崎氏に、和田公雄氏(以下、和田氏と記述)から聞かされていた「金庫事件」のことを話しました。
 「金庫事件」とは、平成元年6月30日に、神奈川県横浜市旭区のゴミ処分場に捨てられていた金庫の中から現金1億7000万円余りが見つかった事件のことです。
 同年7月3日の夜、中西治雄創価学会総務(以下、中西氏と記述する。)が、このお金の所有者であると名乗り出ました。その時の記者会見で、中西氏は、「この金は、昭和46年から3年間、日蓮正宗総本山大石寺で個人的に開いた土産物店で金杯などを売って儲けて脱税した金で、聖教新聞社地下倉庫に置いたまま忘れていた。」と説明しました。
 この金庫事件のことに関して、創価学会本部の経理に携わっていた職員が退職する寸前に、和田氏に面会を求めて来たそうです。和田氏が面談すると、この人物から、「和田さんにだけは本当のことを教えます。あのお金は、中西さんのものではありません。返還前に沖縄で集められた財務のお金だったんです。」と告げられたそうです。
 このように和田氏が「金庫事件」の真相を語っていたことを、私は野崎氏に紹介しました。
 すると、野崎氏は、「和田さんが、そんなことを言っていたの。だったら本当でしょうな。」と言われました。
 そこで、私は、「和田さんは、創価学会の限られた最高幹部しか、この金庫事件の真相を知らないと思うよ。」と話していたと述べました。

第5.海外の銀行に預けられた池田氏の資産
 野崎氏は、池田氏が創価学会の会長だった頃、池田氏が会員を同行して海外に行っていた時のことを話し始めました。池田氏に同行する会員は、学会本部に集められて海外旅行に関する様々な注意事項を告げられたとのことです。その後、幹部から、1人100万円ずつ入った封筒を渡され、それを各人の荷物の中に入れて持ち出していたと言われました。
 私が、「それは外国為替法違反ではありませんか。」と述べると、野崎氏は、「その通り。でも、池田先生のお役に立てる、広宣流布のためだと、みんな使命感に燃えてやっていたから。」と言われました。
 さらに、野崎氏は、池田氏は海外の銀行に資産を預けていると言われました。最初は、スイスの銀行に預けていたけれども、マネーロンダリングなどの審査が厳しくなったので、香港にある上海銀行に移したとのことです。その後に、ケーマン諸島の銀行に移動させたと語りました。
 野崎氏が話した池田氏の資産に関する話は初めて聞くものでした。私が、「海外の銀行に、池田氏が莫大な資産を預けているというのは本当だったんですね。ちょうど、池田氏が、キューバを訪問された時期ですね。」と述べると、野崎氏は、この資産移動を処理したのは、創価学会の経理を担当している人物であると言われました。

第6.野崎氏の東村山事件に関する発言
 野崎氏は、この人物の名前と肩書を口にされました。ところが、私は、その名前を思い出すことができません。駅に向かって歩きながらだったので聞き逃してしまったのです。肩書は、公認会計士か税理士かのどちらかだったと思います。
 しかし、発言内容については鮮明に覚えています。野崎氏が、この人物から東村山事件に関する「真実」を直接聞いたと述べたからです。その内容は、「第1.東村山事件は創価学会による殺害犯行であるとの野崎至亮氏の証言」で述べた通りです。野崎氏は、朝木議員殺害の「真実」を「直接、この人(公認会計士か税理士)から聞きましたわ。」と語ったのです。
 私がびっくりして、「東村山事件には、創価学会が関係しているのですか。」と質問すると、野崎氏は、「ウチ(創価学会のことを指す。)は、オウムの事件にも絡んでいますからね。」と答えました。
 東村山事件に関する野崎氏の発言は、池田氏の資産に関する話の中でなされたものでした。私は、野崎氏は「真実」を語ったと感じました。
 しかも、オウムのことまで飛び出したので、私は、心底驚きました。この時は、私が質問もしないのに、なぜ、野崎氏が東村山事件のことを話したのだろうかと思いました。
 しかし、野崎氏に、発言の真意を聞くことはしませんでした。私は、創価学会の闇の奥深さを垣間見たような気がしました。私は、とても恐ろしくなり黙り込んでしまいました。野崎氏は、私の雰囲気を感じたのか、これ以上は語りませんでした。

第7.野崎氏の発言の信憑性
 大阪の研究会に参加するようになってから、野崎氏は、私からの質問に答えるという形で発言していました。私の質問のレベルを確認しながら、その疑問を晴らすという形で説明されていました。私が質問しない事柄を話すということは一度もありませんでした。
 ところが、東村山事件に関する野崎氏の発言は、池田氏の資産に関する話の流れの中でなされたものでした。私が、野崎氏に対して、東村山事件のことについて質問したのではありません。突然、野崎氏が東村山事件のことに言及されたのです。
 私は、野崎氏の発言を聞き、本当にびっくりしました。そして、釈迦の説法の方式が脳裏に浮かびました。釈迦が、最高の「真実」を語った際に用いた「無問自説」という方式です。
 釈迦が説いたとされる法華経方便品第二の中に、「爾の時に世尊、三昧より安詳として起ちて、舎利弗に告げたまわく、諸仏の智慧は甚深無量なり、其の智慧の門は難解難入なり」 と説き出したという箇所があります。
 これまでの経典では、釈迦は、衆生からの質問に応じて法を説いていました。ところが、衆生の質問がないのに釈迦自らが法を説くことは、「無問自説」と言われ、このような説法は「随自意」 の説法と言われています。
 私は、野崎氏の発言態度から、釈迦の「無問自説」ということを想起したのです。私は、野崎氏は「真実」を語り始めたと感じました。野崎氏は、私が「無問自説」という釈迦が「真実」を述べた際の方式を知っているということを前提に、東村山事件の「真実」を話したのだと思います。

第8.野崎氏が東村山事件の「真実」を語った背景
 実は、野崎氏から、東村山事件の話を聞かされる前に、私は、野崎氏から弟の勲氏(平成16年3月14日死去)が亡くなっているのが発見された状況のことで相談を受けたことがあります。
 野崎氏によれば、勲氏は、自宅の寝室のベッドから落ちている姿で発見され、その時点では、すでに亡くなっていたとのことです。
 ところが、勲氏の自宅に駆け付けた公明党常任顧問の藤井富雄氏が、勲氏の遺体を救急車で慶応大学医学部附属病院に搬送させたとのことです。野崎氏は、なぜ、死亡していたにも関わらず、勲氏の遺体を救急車で搬送させたのかを不審に思っていると言われました。
 そこで、私は、発見時に死亡が確認された場合には、救急車が病院に遺体を搬送することはあり得ないと述べました。そして、以下のような私自身の体験を話しました。
 かつて、私は、香川大学の女子寮で亡くなっていた学生が発見された際、現場に駆け付けた体験があります。
その時は、他の大学職員が救急車を呼びました。ところが、女子学生の死亡を確認した救急隊員から、遺体を救急車で病院に搬送することはできないと言われました。そして、警察に通報するように言われました。そこで、警察に通報すると、警察官が女子寮で現場検証を行ったのです。
 以上の体験を話すと、野崎氏は、「警察官による現場検証を避けるために、政治力を行使して病院に搬送させたんですな。エス(註:創価学会本部のことを指す)がやりそうなことだ。髙倉さんに話して良かった。」と言われました。そして、さらに、野崎氏は、勲氏の葬儀の模様も克明に話されました
 今にして思えば、私の体験談を聞いて、勲氏の死亡に関する疑問が解消された野崎氏は、私のことを信頼されたのではないかと思います。その結果、野崎氏は、東村山事件の「真実」を「無問自説」という形で私に語ったのだと思います。勲氏の死亡に関する悩みを相談した野崎氏が、東村山事件のことについて、私に嘘を述べたとは思えません。

第9.和田公雄氏から告げられた殺害予告
 これまでの陳述書で述べたように、平成20年2月12日に、私は、和田氏から「将来、高倉さんが忘れた頃に、創価学会とは直接の因果関係が分からない者に、高倉さんを殺させる工作をするはずだ。本体(註:池田大作創価学会名誉会長のことを意味する言葉)は、自分を批判した者は絶対に許さない。目と目を合わせた上で、すっ飛んで行って、相手を殺害するような人間が、創価学会本部には大勢いる。本体の取り巻きは、高倉さんとその家族がバラバラになることを面白がっている。誰も、高倉さんの家族の将来のことなど考えていない。」と、電話で告げられました。
 その2日後の2月14日の夜遅くには、「高松の学会員は逆上して、髙倉を殺すと言っている。一応は止めるけれども、彼らはいつ暴発するか分からない。高松の学会員が暴れ出したら、こちらも創価新報で大キャンペーンを張る。」と和田氏を査問した創価学会の幹部が言っていたと、和田氏から聞かされました。
 さらに、平成20年2月24日の正午過ぎには、東京の京王ブラザホテルのエレベーターの中で、証拠として提出した録音の中にあるように、和田氏から「優秀な人間を殺したくない。」と告げられました。
 私は、これらの和田氏の発言は、単なる脅しではないと考えました。創価学会員によって殺害される可能性があると思いました。このように考えたのは、前述のように、野崎氏から東村山事件のことを聞かされていたからです。

第10.殺害予告を証明する上でも必要な東村山事件の再捜査
 被告池田大作創価学会名誉会長の訴訟代理人たちは、和田氏による私に対する殺害予告発言を否定しています。それどころか、新宿のホテルで私を査問する前に、創価学会本部で和田氏を査問したことも否定しています。
 しかし、私は、和田氏から電話で殺害予告を告げられたばかりか、査問当日のエレベーターの中でも「優秀な人間を殺したくない。」と直接言われました。この和田氏の発言は、証拠として提出した録音からも聞き取ることができます。
 被告池田氏らの訴訟代理人たちが殺害予告を否定していることの真偽を明らかにする上からも、警察に東村山事件の再捜査をしてもらう必要性があると思います。野崎氏を事情聴取するならば、暴力団員に「ほとぼりが冷めるまで姿を隠せ。」と命じた創価学会員の氏名を明らかにできるだけでなく、東村山事件の詳細を詳しく知ることが出来ると思います。
 野崎氏から聞かされていた東村山事件の「真実」が証明されるならば、創価学会本部が、和田氏を通じて私に殺害予告したことが真実であったということの、動かし難い証拠になると思います。

第11.野崎氏の「真意」
 今回、野崎氏の発言を整理していて、私は、以下のことに気づきました。
 
 まず、なぜ野崎氏は、私が尋ねてもいない東村山事件について、私に話したかということです。
 次に、野崎氏は、当時、池田名誉会長とその側近幹部による創価学会の運営のあり方に相当疑問を抱いていたことです。
 そして、野崎氏は、池田名誉会長と創価学会本部の秘密を全部私に話し、私の口から創価学会の実態を世間に公表させようと考えていたということです。
 この三つのことから、私は、今になって初めて、野崎氏の「真意」に気が付きました。
 今回提出した電話記録の中で、野崎氏は、「髙倉さん、約束破ってるしね。だから、もう既にしゃべっちゃってたわけだな、あの時は、心配になって。前にいろんなことしゃべった時に、婦人部には絶対言うなよと言ってたんだけど、大丈夫だってしゃべったでしょ。そういうことがきっかけなってるんですよ。だから、私は私なりに注意して、高倉さんとしゃべってたんだけど、髙倉さんを信用してしゃべってたわけよね。」と語っていました。
 野崎氏は、熱心な創価学会の活動家である私の妻に話すのではなく、野崎氏が語ったことを、私が大学教授であるという立場を利用して、出版物として広く社会に公表することを望んでいたのだと思います。
 「私は私なりに注意して、髙倉さんとしゃべってたんだけど、髙倉さんを信用してしゃべってたわけよね。」との発言からも、野崎氏が、私に語っていた事柄はすべて真実であると思います。野崎氏が東村山事件について語った内容も本当のことだと思います。
 ところが、野崎氏から貴重な東村山事件のいきさつを聞きながら、当時、問題意識に乏しかった私は、さらに詳細を野崎氏から聞き出すことをしませんでした。「ウチ(註:創価学会のことを指す。)は、オウムの事件にも絡んでいますからね。」との野崎氏の発言に、私は愕然として言葉を失ったのです。
 東村山事件のことについて、公表等何らの方策も講じなかった私に対し、野崎氏は、多分失望したと思われます。誠に申し訳なかったと思います。
 そこで、野崎氏の「真意」を実現するためにも、東村山事件の再捜査を遅ればせながら提言させて頂きます。
 殺害予告、粒致未遂を現実に受け、その上、自宅に対する何度かの嫌がらせや研究室に対する嫌がらせを受けた私としては、東村山事件について書かれていることが痛いほど分かるようになりました
 東村山事件についての資料としては、幸福の科学広報局編『創価学会ドラキュラ論』(1995年、幸福の科学出版)、乙骨正生著『怪死』(1996年、教育史料出版会)、矢野穂積・朝木直子著『東村山の闇-「女性市議転落死事件」8年目の真実』(20033年、第三書館)があります。

第12.殺害予告に脅えた背景
 私は、これらの資料を野崎氏から東村山事件の「真実」を告げられる前から読んでいました。いずれも東村山事件は創価学会の犯行であることを主張、立証しようとしたものです。しかし、創価学会が市議会議員の殺害に関与しているとは思いませんでした。
 ところが、野崎氏から東村山事件の「真実」を聞かされました。本当に驚きました。野崎氏が、私に虚偽を述べたとは思えません。
 このような背景があったので、私は、和田氏の殺害予告電話とエレベーターの中での「優秀な人間を殺したくない。」との発言に、心底恐怖を感じたのです。創価学会にとって不都合な人間は、最悪の場合には自殺などを装って殺害されると考えたのです。
          以上

上記の陳述書の中で、「朝木議員のことは自殺として処理するので、ほとぼりが冷めるまで身を隠せと暴力団員に命じた」創価学会の幹部の名前は、創価学会経理局の中村俊介経理部長(当時)とのことです。

なぜ、公明党が自民党との連立を解消しないのかということについては、自民党の最高幹部の方々が東村山事件の真相を掌握しているからです。もちろん、安倍首相も、その報告を受けているとのことです。


引用が長くなって申し訳ありません。
髙倉教授(このブログでは希望さん)、無断引用、お許しください。
髙倉教授の陳述書によると、創価学会幹部の野崎至亮氏から東村山事件の「真実」が語られたというのです。
なぜ、公明党が自民党との連立を解消しないのかというと、自民党の最高幹部の方々が東村山事件の真相を掌握しているからなのだそうです。
驚愕すべき内容です。
もしそうなら、創価学会幹部の野崎至亮氏に真相を明らかにするように迫れば、事件の解決にたどり着けるかもしれません。

野崎至亮氏は今、組織の中でどういう立場なのでしょうか。
ぜひ、勇気を持って、発言してください。
そのほか、東村山近辺の創価学会員で、事件の真相に迫る事実をご存知の方は、私あてでもいいですからご一報ください。
本来のブログの趣旨とは違うのは重々承知なのですが、シニフィエさん、お許しください。
創価学会の闇を知る幹部が老齢となり、鬼籍に入らないうちに、貴重な証言を得たいと思うのです。
もし、創価学会に再生のわずかな望みがあるとすれば、過去をきちんと反省し、過去に犯した犯罪の罪をつぐなった後だと思うのです。
その前提に、過去の歴史の修正、改竄などは、もってのほかです。

長々と書いてしまい、申し訳ありませんでした。

PS:HNの曽根俊矢というのは、本名ですか?
もし本名だとすると、曽根さんのもと同志の「広宣部」の人にブログのことが知れるとまずいんじゃないですか?
ちなみに私は、大学生の頃のパンプレットや宗門の雑誌に寄稿した文章などは本名で書いていました。池田氏への手紙も、きちんと本名で出しました。本名で自分の考えを主張する方が正しいと思ったからです。
しかし、ホームページやブログを始めるにあたって、創価学会の中の狂信的な人たちに生活を脅かされる恐怖もあり、HNを使うようにしました。
創価学会の中枢部は、私のことをすでに特定しているとは思いますが、いまのところまだ何も圧力はありません。
このまま無事に済むといいのですが。

獅子風蓮でした。


解説
高倉教授のブログを長々と引用したことで、後にシニフィエさんから「非常識なほど長い文章」を送ってきたなどと非難され、「獅子風蓮さんが支離滅裂なことを毎日長々と書いてくることに我慢ができなくなって」とまで言われました。
確かに、量的に見れば、非常識に長い文章ですが、引用文をカッコに入れて、全体の流れを読んでいただければ、私の言わんとしているところは分かっていただけると思います。


対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その4

2021-06-10 11:38:27 | 対話ブログ

●たらこ唇の天使(2021年1月22日 23:16)
 獅子風蓮さまは、御本人がどう謙遜なさろうが、聡明無比なお方、誰もがため息をつくような学歴の持ち主ゆえ、創価学会も、今現在御所属の日蓮正宗も、これまではちょうど旧ソ連政府がサハロフ博士ら知名度の高い反体制知識人を扱うような感じで、それなりに礼節をもって対して来たのではありませんか?まあ石原さとみさん母娘(お母様は竹藪金庫事件の実情を御存知のはず)ほどの特別扱いではないにしても、獅子風蓮さまほどの人にうかつに手出しはできぬはず。そのことは、今後在籍の日蓮正宗にあっても同様かと愚見されます。
 今後かりに、獅子風蓮さまが歴代法主らについてもう少し批判めいたことを語った時、日蓮正宗当局が牙を向くかどうか?失礼ながら「男ならやってみな」(昭和初期の、男性に浮気を勧める流行歌の一節)という思いを禁じ得ません。
 私に言わせれば、「夜の街の女性」と遊んでいて父親の死に目に逢えなかった、という点では日顕さんも、作家渡辺淳一氏も全く同様です。愛すべき男でさえあります。問題は日蓮正宗にあっては、そのようなごく普通の男性を日蓮大聖人の御代官さまとして崇め奉らねばならない、ということです。獅子風蓮さまはそういう、外部の人からすればおよそあほ臭い教義や、美観ゼロのただの板切れでしかない(失礼…)幸福製造機クンをほんとに心の底から信じていらっしゃるのでしょうか? モノに罪はありませんが、幸福製造機クンの名のもとに、かつて全国各地で謗法祓いの名のもとに進められた文化財破壊の数々を思えば、ちょっとぐらい「彼」を笑ったところで、なんのこともあるまいと思います。
 日本では仏像も位牌も、多くの場合、それへの書き込み(墨書銘)によって、精緻な家系図を兼ねていることが多い。「創価学会よ、正宗よ、とんでもない事をしてくれたな!」という思いをお持ちの歴史家は、決して少数ではありますまい。

●曽根俊矢(2021年1月22日 23:22)
曽根俊矢です。

シニフィエさんのコメントを拝見して、自分の考えがまとまったように感じます。

戸田の有名な女癖の悪さや極度のアル中だったことも、私としては尊敬できない要素の一つであるし、池田に至っては広域暴力団の組長よりもはるかに反社会的で何百万人もの純粋な人々を不幸にしてきたという点では、決して許されることのできない人物だと思いますし、それも途中から変容したのではなく、創価に入会する前からそうした人格であったと思われます。

上記のシニフィエさんのコメントが表現したかった事でした。
とても許せない気持ちを代弁してくれる方なので、シニフィエさんをリスペクトしています。
それは、シニフィエ教と揶揄される事には、当たらないと考えています。
その辺の獅子風蓮さんの率直なお考えをお聞きしたいと思います。
獅子風蓮さんの考えを理解し、心の澱を緩和したいとの欲でしかありませんが、宜しくお願い致します。


解説
2021年1月22日 23:22の曽根さんのコメントを読むと、曽根さんがシニフィエさんの影響を強く受けていることが分かります。

なお、曽根さんのこのコメントは、例の新スレッド立ち上げの際に、新スレッドに移されていません。
シニフィエさんあるいは曽根さんにとって、都合の悪い内容だったのでしょうか?