夏満月パッパラパーと血を抜けり 若田光一の宇宙日記夜蝉鳴く ガザまでのロードマップに海は無し 体内をカメラが泳ぐ春うらら 何もない晩夏タモリのハナモゲラ 花鳥風月の炸裂ニッポンは蚊帳の外 風鈴のごとき鉄片昭和の夢 火を焚いても火を焚いても夏の果て 高層ビル街抜けてカナンを遠望す クノッソスの迷宮人体は無言なり 大亀の干されしままの涯(よ)となりぬ 大晩夏止めてくれるなおっ母さん 廃墟の火焚かれ平成のどん亀たち 8.15の惨憺たるものオンリー・ユー
今日は広島に原爆が投下された日である。10年ほど前B29の投下ボタンを押した射的手の元米兵が来日し、被爆者たちとシンポジュウムを開いた。そこでも彼は真珠湾奇襲攻撃の対日批判を強調し、原爆投下の正当性が繰り返された。米国のナショナリズムの発露としてなされた議論であり、その意味ではわれわれ日本国民は反論出来ない。それでは何を根拠とすれば米国批判、原爆批判が可能となるのだろうか。核という、そして今日情報寡頭制という個々の人間の存立を奪い去る国家=世界イデオロギーを直視し、国家を超える世界=生命寡頭制とでも言い得る新たな世界観を打ち立てる以外道は残されていない。そのためにまず行なうべきことは【はだしのゲン】に象徴される全ての旧時代の反戦平和=国家イデオロギーを超克し、国家を超える新たな人間の紐帯を産み出すことである。米国は大東亜戦争以来日本を、天皇を恐れている。象徴天皇制の大衆天皇制への進化こそがその根底に於いて人間の生命の息吹きと日本の世界的使命を黙示している。 千年の微熱リトルボーイの日 まほろば
魂のビッグデータに不滅とあり ほおずきの神族たらんとしてあをし 鉄砲百合の吐くものなくて言葉吐く 日暮れまでの空限り無し青葡萄 風鈴のけたたましさは何とせる バルコニーの棺一個に飽き足らず 化石掘るための明るさ盆迎え