東京のゲリラ豪雨はのべ1時間ほどで終った。とにかく激しい降りであった。外に出て歩くことが出来るか不安だった。九州にいた頃都市部でも近隣の河川の氾濫などで床上浸水などの記憶が甦ったからだ。この不安は杞憂に終ったが東北・北海道の日本海側など大雨が予想されている。午後民放で観た終戦特集は毒ガスがテーマであった。その中には戦後69年の現在から見ても看過出来ないスクープ報道も含まれていた。沖縄陥落の後、予定されていた本土決戦での米軍側の九州侵攻作戦の内容である。原爆は広島・長崎投下後1発しか残されていなかった。九州(志布志湾)上陸前に鹿児島、熊本、久留米、佐賀、福岡、小倉などに毒ガス弾爆撃を敢行し、軍事基地のみならず民間インフラの壊滅を図った上で上陸するというものであった。もしこの作戦が実行されていたなら数百万規模の民間人が生死の境をさまよい、鳥越俊太郎氏のみならず戦後生まれの私たち子孫の出生の余地は限られたものとなっていたであろう。このことは第二次世界大戦(太平洋戦争)における日本の危うさの証明であるとともに、日本のみならず米国など連合国側も原爆や化学兵器(毒ガス)などの大量殺戮兵器を共有していたという冷厳な事実である。この冷厳さを前に中韓の反日デマや日本国内の一部勢力による歴史や世界の現実を無視した空疎な反戦反核運動はあらためてその存立根拠を喪う。現在9時からNHKスペシャル【自衛隊】では軍事そっちのけの国民福祉や国際貢献の努力を正確に描いている。核や毒ガスとは真逆の平和部隊であることは疑いようのない事実である。今後も国民を挙げて自衛隊を先頭に世界平和に全力を尽くしていかなければならない。 大東亜滅ばず枯れ木の芽噴き出せり まほろば
今日台風はやっと日本海に抜けたようだ。昨夜から今日の日中にかけて通過した高知や兵庫は大きな被害を受けた。今回の台風の特徴は広域にわたって2段、3段の暴風圏が形成されたことで、最も外周に当たる関東でも突風被害が出た。そして東京では夕刻よりあらためてゲリラ豪雨が始まった。駅前までの買い物も行けなくなった。これで終電までJR・私鉄ともダイヤが乱れるだろう。予定通り出勤していたら帰りの足は無かった。土日にテレビをジックリ観ているのは久し振りである。今日午後も鳥越俊太郎のNTVドキュメント戦時中の「毒ガス兵器」の特集であった。日本軍は中国戦線で連戦連勝だったはずだが実態は度々窮地に陥ると【きい】と【あか】と名付けられた毒ガス兵器を使用していたという。東条英機首相は使い過ぎると劣勢になった際に相手に使われるので『あまり使うな』という指令を出していたほどである。敗戦直前まで旧満州で関東軍石井731部隊が中国軍捕虜を【丸太】と呼び、繰り返し人体実験を繰り返していたことはよく知られている。しかしこの最高責任者石井中将は戦犯にもならず渡米して米国の毒ガス兵器開発に全面協力することで免罪された。戦時中に国内での開発は瀬戸内海に浮かぶ無人島【大久野島】で秘密裏に行なわれ、終戦直後も米日の共同で引き続き現地の人々を徴用し、研究成果の引継ぎや兵器自体の解体作業が行なわれたという。その過程で多くの人々が【毒ガス障害者】となった。・・《続く》 きいとあかの卵の腐った臭い敗戦日 まほろば
人間は丸太かイペリット弾撃ち込めり いぺりっとるいさいと悲しみは止まらない 死の露や毒ガス焼けの父がいた きいとあかびらんとくしゃみ愛燦燦 関東軍防疫給水部石井731部隊 オリンピック作戦九州の私に「明日はなかった」(鳥越俊太郎) 特殊煙特殊弾やればやられる止めておけ 対中から対日へ大毒ガス戦継承す 広島の毒ガス島痛いから殺してくれ(戦中戦後大久野島に巨大毒ガス開発工場)