昨日の仕事からの帰り道。
用事の為にいつもと違う道を帰った。
住宅街の真っ直ぐな道をあちらから、赤ちゃんを抱っこした女の人が歩いてくる。
なんだか、気になってその女性をじっと見る。
直線の道を向かい合わせに歩いているから、じっと見るは、かなり、見るということになる。
なにかが気になる。
あっ!
せんせーっ!
子だぬき会を立ち上げて、回してくれている先生である。
(子だぬき会で集まってくれるお母さん方は、わたしの子供たちがお世話になった小学校の先生たちで、いままさに赤ちゃんラッシュ産休サンキュー状態なのである。)
しょこさん!?なんで、こんなところに!?
うわ!偶然ですね!
家がすぐそこなんです!
わーわー、ひとしきり盛り上がって、
では!また!
と、お別れした後に、
気がついた。
あの、特殊な抱っこの仕方は!!!
わたしが子だぬき会やらなんやらで、うそかほんとかいろいろしゃべくりまくるのを、一語一句逃さず聞いてくれる先生である。
前回の子だぬき会で、先生の一歳ちょっとのお子が転んで泣きながら自分で立ち上がった様子を見て、
先生、やっておりますな、と思った。
いつだったか、抱っこの仕方を聞かれて、わたしが自分の赤ちゃんにしていた方法を話した事があった。
自分の腰骨に赤ちゃんを乗っけて、赤ちゃんも前を向くように抱く。
赤ちゃんが、抱っこしてーっ、としなだれかかってくる時に、精神面までしなだれかかってくるのを防ぎたかった。
それに、赤ちゃんも前を向いて視界が開けていれば、メソメソ気分は吹っ飛ぶ。
眠くて仕方ないときは、コアラみたいに抱っこしたけど、そうでないときは、できるだけ本当にどうしようもないときの、物理的移動の手段としての抱っこ、と思っていた。
道で偶然に会った先生はまさに、赤ちゃんに前を向かせて抱っこしていたのである。
このヘンテコリンな抱っこが流行ればいいな。
赤ちゃんとお母さんがおんなじ方向を向いている。
赤ちゃんが、前を向いて、いつもわくわく世界を見ている!
赤ちゃんの目に写る景色はいつもすばらしい!
そんな世界になればいい。
用事の為にいつもと違う道を帰った。
住宅街の真っ直ぐな道をあちらから、赤ちゃんを抱っこした女の人が歩いてくる。
なんだか、気になってその女性をじっと見る。
直線の道を向かい合わせに歩いているから、じっと見るは、かなり、見るということになる。
なにかが気になる。
あっ!
せんせーっ!
子だぬき会を立ち上げて、回してくれている先生である。
(子だぬき会で集まってくれるお母さん方は、わたしの子供たちがお世話になった小学校の先生たちで、いままさに赤ちゃんラッシュ産休サンキュー状態なのである。)
しょこさん!?なんで、こんなところに!?
うわ!偶然ですね!
家がすぐそこなんです!
わーわー、ひとしきり盛り上がって、
では!また!
と、お別れした後に、
気がついた。
あの、特殊な抱っこの仕方は!!!
わたしが子だぬき会やらなんやらで、うそかほんとかいろいろしゃべくりまくるのを、一語一句逃さず聞いてくれる先生である。
前回の子だぬき会で、先生の一歳ちょっとのお子が転んで泣きながら自分で立ち上がった様子を見て、
先生、やっておりますな、と思った。
いつだったか、抱っこの仕方を聞かれて、わたしが自分の赤ちゃんにしていた方法を話した事があった。
自分の腰骨に赤ちゃんを乗っけて、赤ちゃんも前を向くように抱く。
赤ちゃんが、抱っこしてーっ、としなだれかかってくる時に、精神面までしなだれかかってくるのを防ぎたかった。
それに、赤ちゃんも前を向いて視界が開けていれば、メソメソ気分は吹っ飛ぶ。
眠くて仕方ないときは、コアラみたいに抱っこしたけど、そうでないときは、できるだけ本当にどうしようもないときの、物理的移動の手段としての抱っこ、と思っていた。
道で偶然に会った先生はまさに、赤ちゃんに前を向かせて抱っこしていたのである。
このヘンテコリンな抱っこが流行ればいいな。
赤ちゃんとお母さんがおんなじ方向を向いている。
赤ちゃんが、前を向いて、いつもわくわく世界を見ている!
赤ちゃんの目に写る景色はいつもすばらしい!
そんな世界になればいい。