名古屋市内では戦前、名古屋汎太平洋平和博覧会(港区)と関西府県連合共進会(昭和区)の二つの大きな博覧会が開催されています。今回は名古屋汎太平洋平和博覧会の跡地を訪問した後、もう一つの博覧会跡地、昭和区の鶴舞公園に向かいました。
鶴舞公園は、明治42年(1909)沼地だった場所を新堀川整備で出た大量の土砂を埋め立てて造られました。翌明治43年、名古屋開府300年を記念して行われた愛知県主催の第10回関西府県連合共進会の会場になり、主要会場のほか各県(3府28県)のパビリオンや娯楽施設も多数建設されました。博覧会の入場者は過去最多の260万人を集め、名古屋が近代都市へ発展する契機となったといわれています。
閉会後会場跡地は、名古屋で最初の都市公園として整備が続けられ、墳水塔と奏楽堂は公園の恒久的施設として残されました。大正9年(1920)にはフランス式庭園と日本庭園(設計は日比谷公園を手がけた東京大学教授、本多静六)が整備され、その後も動物園、図書館、公会堂や運動施設などが建設され、現在の鶴舞公園の姿が整いました。
今回は2か所の名古屋の近代化を担った大きな博覧会跡地を訪れました。港区の跡地は公園として残っているものの、博覧会当時の遺産が平和橋だけというのは、いかにもさびしい。対照的に鶴舞公園跡地は、閉会後すぐに名古屋市を代表する近代公園として整備されたこともあり、博覧会当時の噴水塔や奏楽堂、その後建設された公会堂などが健在なのは嬉しい限り。今回訪問時も、公園では春の日差しの下、お彼岸の休日を思い思いに過ごす大勢の市民でにぎわっていました。
鶴舞公園では、明治以来長い年月をかけて近代化を象徴する歴史的建造物が風景に溶け込み、市民と同じ時を過ごしてきました。街角の身近な近代化遺産が、人々に「安らぎを与える景観をつくりだしているんだなあ~」と、あらためた実感できた幸せな一日でした。
◆鶴舞公園噴水塔/名古屋市昭和区鶴舞1丁目
竣工:明治42年(1909)
設計:鈴木禎次
構造:石造
撮影:2015/03/21
※市指定文化財、景観重要建築物等
■公園のシンボルともいえる噴水塔は、博覧会会場の正門前広場に造られたもので、設計は名古屋ではおなじみの鈴木禎次
(バックの建物は名古屋市公会堂)
■本格的なローマ様式の石造建築で、テラスの手摺は備前焼の陶器、池の石組は地元の木曽川から運ばれた
■コンポジット式の柱を備える本格的な古典様式の噴水塔
■小噴水盤には名古屋市の〇八マーク
■噴水塔の案内板
■噴水塔は公園のほぼ中央⑥番の位置
■雪景色の噴水塔(2008年2月)
■当時の絵はがき~噴水塔の背景には各県売店が見えます