昨日、教え子から電話があった。同窓会の連絡である。教師になって2年目、初めて担任した生徒である。35年になる。分離で2年生の時に新設校に移ったのである。私は3年生に所属していたので、授業ではかかわりあいはなかった。2年の数学を教えていた人が体調不良で休職したので、引き続き3年に残り、担任となったのである。その時の学級通信“道”については9.16のブログでふれた。1年間だけのつきあいであった。それでも声をかけてくれる。ありがたいことである。
教師の仕事は“出会い”と“別れ”の繰り返しである。4月に担任や教科担任として生徒の前に立った時、いつも思ったことは、「それぞれにたくさんの偶然が積み重なった結果、ここにこうして出会えたのだ。だからこそ、この出会いを大切に1年間、悔いの残らないようにやっていきたい。」ということ。
この“出会い”の不思議さを心に強く刻んだのは、交通事故をおこした時であった。私はもともとオートバイや自動車には興味がなく、免許もとらず、もっぱら歩きと自転車での生活であった。就職してからも自転車で通勤していた。結婚して、保育所の送迎のことを考えた時自動車は絶対必要やなと思い、いそいで免許をとった。
免許をとって2年目、香里園に住んでいた叔母から、「頂き物をおすそわけするから帰りに寄って欲しい」と職場に電話が入った。それで、いつもより早く職場を出たのだが、途中でどういうわけか鼻血がでてきた。仕方なく路肩に車を止めて、しばらく仰向けになって血が止まるのを待った。おさまったのでティッシュを鼻につめたまま運転を再開。以楽園という公園のある交差点を青信号で入ったら右手の方から自転車が突っ込んで来たのである。下り坂だったので自転車はスピードも出ていて、自動車の側面にあたり転倒し顎の骨を折るという重傷を負ってしまった。相手の方は入院もされたので、事故の後始末は何かと大変だった。ただ、信号待ちをしていた歩行者の方と車の方が証言をしてくれたので客観的な事実関係がはっきりして、最終的には不起訴処分となった。その間いろいろなことを考えたが、車と自転車がその交差点で衝突するまでの間にはたくさんの偶然があったということを強く思った。私は叔母からの電話、いつもと違う経路と時間、途中の鼻血など、相手の方は警備員さんでいつもより遅く家を出たので急いでいた。などである。10秒でもズレがあれば事故は起こらなかっただろう。また事故直後で救急車を呼んだりバタバタとしていた時に、信号待ちをしていた人が「もし必要があったら」と快く申し出てくれ、電話番号のメモを渡してくれ、そのことが双方の話に食い違いが出た時に助けになった。親切な人がちょうどその場に居合わせたことも偶然である。
その時以来、“偶然の積み重ね”ということを意識するようになった。自分にとって幸運と思える“出会い”はもちろん、不運と思える“出会い”であっても、その不思議さに思いを馳せるとプラス方向に思考が働くように思う。
教師の仕事は“出会い”と“別れ”の繰り返しである。4月に担任や教科担任として生徒の前に立った時、いつも思ったことは、「それぞれにたくさんの偶然が積み重なった結果、ここにこうして出会えたのだ。だからこそ、この出会いを大切に1年間、悔いの残らないようにやっていきたい。」ということ。
この“出会い”の不思議さを心に強く刻んだのは、交通事故をおこした時であった。私はもともとオートバイや自動車には興味がなく、免許もとらず、もっぱら歩きと自転車での生活であった。就職してからも自転車で通勤していた。結婚して、保育所の送迎のことを考えた時自動車は絶対必要やなと思い、いそいで免許をとった。
免許をとって2年目、香里園に住んでいた叔母から、「頂き物をおすそわけするから帰りに寄って欲しい」と職場に電話が入った。それで、いつもより早く職場を出たのだが、途中でどういうわけか鼻血がでてきた。仕方なく路肩に車を止めて、しばらく仰向けになって血が止まるのを待った。おさまったのでティッシュを鼻につめたまま運転を再開。以楽園という公園のある交差点を青信号で入ったら右手の方から自転車が突っ込んで来たのである。下り坂だったので自転車はスピードも出ていて、自動車の側面にあたり転倒し顎の骨を折るという重傷を負ってしまった。相手の方は入院もされたので、事故の後始末は何かと大変だった。ただ、信号待ちをしていた歩行者の方と車の方が証言をしてくれたので客観的な事実関係がはっきりして、最終的には不起訴処分となった。その間いろいろなことを考えたが、車と自転車がその交差点で衝突するまでの間にはたくさんの偶然があったということを強く思った。私は叔母からの電話、いつもと違う経路と時間、途中の鼻血など、相手の方は警備員さんでいつもより遅く家を出たので急いでいた。などである。10秒でもズレがあれば事故は起こらなかっただろう。また事故直後で救急車を呼んだりバタバタとしていた時に、信号待ちをしていた人が「もし必要があったら」と快く申し出てくれ、電話番号のメモを渡してくれ、そのことが双方の話に食い違いが出た時に助けになった。親切な人がちょうどその場に居合わせたことも偶然である。
その時以来、“偶然の積み重ね”ということを意識するようになった。自分にとって幸運と思える“出会い”はもちろん、不運と思える“出会い”であっても、その不思議さに思いを馳せるとプラス方向に思考が働くように思う。